チアキ編 3
「やれやれ、と言ったところだね」
教会を出てすぐ、彼はそう呟いた。
「ですが、休んでいる時間はありません。帰りの馬車は既に手配されてるのでしょう?」
「うん。この展開は想定していたけど……時間が掛かり過ぎたね」
「想定していた?あの人が遺言状を燃やそうとする事をですか?」
わたしは抱いた疑問をすぐにぶつけていた。
「まぁ、方法はともかくとして、何らかの暴挙に出る可能性は、ね」
「スカイ様から事前に言いつけられていたので、常に警戒していました。だから、あの男の暴挙にも反応出来たのです」
「それ、シアンは聞いておりませんわ」
「適材適所だよ。アイリスには警戒役に着いて貰った。シアンも慣れない事をして疲れたろ?その上で警戒までしていたら、倒れていたかも知れない」
「そ、そこまでひ弱ではありません」
「はは。まぁいいじゃないか。上手く事は運んだんだし」
そう言いながら、シアンさんの頭を撫でる彼は、配偶者というよりも兄としてシアンさんに接しているように思えた。
「と、余り時間がないんだったね。まずは街の掲示板にでも行ってみるか」
「掲示板?」
わたしの頭に浮かんだのはスレッドにコメントを書き込む、電子掲示板。しかし、そんな訳がない事はすぐに分かった。
「……無料掲示板の枠はないのか」
噴水が見える広場には沢山の人が集まっている。
その広場の一角に尋ね人や雑務の依頼、わたし達の様に求人の広告等の紙が貼られた掲示板があった。
しかし、彼の言うように無料で使用出来る掲示板には紙がびっしりと貼られ、これ以上は追加不可能に思えた。
「ええ……現状順番待ちの状態でして、三ヶ月先まで予約で埋まっております」
そう言ったのは掲示板の管理をしている広場の管理管の老人だった。
「有料の方は枠が空いているんですか?」
「其方はまだ余っております」
「では、有料の方を使いませんか、兄様?」
「……」
彼は口に手を当てて考えているようだった。
有料の掲示板は無料の物に比べて大きく、使われている紙も文字も大きく、目につきやすく思う。
それでも悩むという事は高いという事なのだろうか?
「いや、悪いけど、今回は遠慮しておこう」
「そうですか?」
「手間をかけさせたね」
「いえ、これも仕事の内なので」
老人は管理局らしき建物に戻っていった。
「求人はどうするのですか、兄様?」
「掲示板はどちらかと言うとついでだったんだ。有料の枠を使う程じゃない」
「では?」
「今から、別の場所に向かう」
彼に連れられ、繁華街に入った。
かと思うと、すぐに路地裏に入り、そこを抜けると道端で布を広げて販売する露店が多く並ぶ、露店街に出た。
「この辺りは、営業許可を貰えない層が教会の目につかない区画で露店を開いているんだ」
「それって、もしかして闇市ってやつじゃあ?」
「へぇ、よく知ってるね。其方の世界にも?」
「名前くらいですけど……」
「そうか。まぁ、ここじゃあ“闇”と名前がついても違法な物を扱ってる店は殆どない。ただ、許可が貰えないからここで開いている者ばかりだ」
「では、スカウトを?」
「ああ、接客の経験なら僕らよりも長いだろうし、良さそうな人間をスカウトしよう」
わたし達は露店街を歩いていく事になった。
それぞれ気になる商品があったみたいだけど、接客を見て声をかけたりかけなかったりしていた。
わたしは元の世界の基準であれば、接客の良し悪しは分かったが、人事権のある立場ではなかったので特に口は挟まなかった。
暫く道なりに進むと壁にトンネルらしき大きな穴が通路のように開いていた。
しかし、通路の上には看板があり、そこが何かの施設かお店だとわかった。
「……」
彼の目付が一瞬険しくなるのを感じた。
「兄様?」
「気にしなくていい、何度も通ってるんだ、ここは」
そう言って彼が先に進もうとした時、ガタガタと背後から大きな音がした。
「馬車?」
わたしはその音に聞き覚えはあった。
しかし、そこに疑問を抱いたのはここが狭い裏道、加えてこの世界において馬車は比較的裕福な者の乗り物だという事。
「……道を開けたほうがいい」
「あ、はい」
彼に導かれ、道の端に移動した。
「見ない方がいい」
「えっ?」
そう言われるより先に視線は捉えていた。
その馬車の荷台に檻がある事。
そして、そこに少女が二人いた事。
「――エルフ?」
それは元の世界のファンタジーでは常連の種族。
尖った耳を持つ以外は、見た目は人間と変わらないはずの人種又は妖精。
此方の世界でもその名が使われているのか、彼の顔は引き攣っていた。
「…………」
そのまま馬車は大きなトンネルの先の施設へと入っていった。
「スカイさん、今のって……」
「見ない方がいいって言ったじゃないか、気にしなくていい」
「……」
確かにその通りだと感じた。
しかし、それ以上に気になって仕方がなかった。
「あ、あの場所って……もしかして、その……」
「……奴隷市場だよ」
吐き捨てるように彼は言った。
その言葉が彼にとってどういう意味を持つのか、理解しない訳ではない。
でも、その先の事がどうしても気になって仕方なかった。
「じゃ、じゃあ、あの子達は」
「……」
「ええ、奴隷として売られるのでしょうね」
彼の代わりに答えたのはアイリスさんだった。
「貴女の仰るエルフが、此方でも同じ意味であるのなら、エルフは高値で売買されます」
「売買……」
奴隷の意味を知らない訳ではないけど、その言葉には抵抗があった。
「エルフは森の奥深い場所に住む種族、体力はあまりありませんが、エルフ特有の魔法・秘術が使え、比較的美形が多い種族の為、労働力よりも“愛玩用”として求められます」
「愛玩、用……」
その言葉も意味がわからない訳ではなかった。
「述べた様に森の奥深くに住み、抵抗手段を持つ事から市場に出回る事が少ない為、自然とその価値は高まるので、高値での売買が成立するのです。貴方が知りたかった情報は以上になります」
ハッとして、アイリスさんの目を見る。
「馬車が来た直後です。今から市場に迎えば、買い求める事は出来るでしょう。ですが、それをしてどうするのですか?」
そうだ。わたしは無意識の内に彼女達を助けたいと思ってしまっている。
「貴女はこの世界では無一文です。それに一人二人助けたところで何がある訳でもないでしょう?その時は満足したところで、新しい奴隷は来ます。エルフ以外も沢山」
これは偽善である以上に自己満足だ。
「勿論、この奴隷市場を壊そうなど物騒な事は出来ません。現在この国において、奴隷は合法です。貴女に力がないのは勿論ですが、あったところでそのような事を行えば犯罪です」
それでも、目があっただけの彼女達を救いたいと思った。
「……ええ、分かってます」
「アイリス、チアキは気になっただけだろう。そう責め立てるな」
「あ、いえ。そういうつもりでは……申し訳ござ――」
「わかった上ですみません。わたしに何か出来る事はないですか?」
――――――空気が凍ったのがわかった。
「…………ふむ」
彼が此方に一歩踏み出した。
「店の運営資金の一部を街の銀行に移してある。それを使えばエルフでも奴隷の一人――二人までなら何とかなるだろう」
「ほ、本当ですか!?」「スカイ様!?」
わたしとアイリスさんはほぼ同時に喋っていた。
「……あくまで、可能というだけだよ。他の蓄えはあるのはあるけど、この金は非常時の命綱なんだ。これがあるとないとでは余裕が半年は違うと言っておくよ」
「じゃ、じゃあ?」
「その前に君に聞きたい事がある」
「な、なんですか?」
「アイリスも言っていたが、一人二人助けた事で全体は変わらない。エルフの秘術に魅了の魔法があるとは聞くが君がそれを受けたようには見えない。なら、一瞬見ただけのエルフを君が助けようとするのは何故なんだい?」
「…………」
そんな事はわからない。ただ……
「助けないといけない……そんな気がするんです」
人の感情は理屈で説明仕切れない、ただ何というかそうしなければならない気がした。
「それ自体はやはり暗示のようだけど……その気は無い、か」
例えば、目の前で将来世界を救える存在が今まさに死のうとしている。
それを自分だけが知っていたら、命を賭けて救おうとする人間が居てもおかしくないと思う。
世界を救うとまではいかなくても、あのエルフがわたしやわたし達にとって必要なピースになる予感があった。
問題はそれが明確な根拠のない直観という事なのだけど。
「だったら、僕に一つ提案がある。君に覚悟はあるか?」
それはつまり背負うべきリスクがあるという事。
それ自体は当然の事だろう。
何もせずにわたしの要望だけを通せると思える程、都合よくはない。
「話してもらえますか?」
「……わかった」
彼はアイリスさんの方へとゆっくり歩いていった。
「僕の考えとしては、元が取れるなら、彼女達を助ける事もありだと思う。ただ、救うとしても、そのまま遊ばせる訳にはいかない。かと言って、奴隷として非道を強いるのでは助ける意味はないだろう」
彼はそう言うとアイリスさんの持っていたメモ張を受け取った。
「なら折衷案を考えた時、僕らは都合のいい時期だと思う」
彼はメモ張を叩く、そこには露店街のスカウト候補が書かれてあった。
「僕らは今、労働力を欲している。条件を調節すれば、それは彼女達の“居場所”にもなり得るだろう」
彼はそこでメモを閉じた。
「だが、それだけでは駄目だ。元々彼女達は“愛玩用”。値段も大きく張る。仮に元を取らせる為に働かせるなら。住み込みは当然ながら、食費等の必要経緯以外、無給で働かせたとしても数十年は掛かるだろう。それだけの間彼女達を縛りつけるのは本意ではないし、僕らとしても不都合だ」
そして、人差し指の代わりにわたしにメモ張を突き付けた。
「そこで、君にその分のリスクを背負ってもらう。どうかな?」
「……内容は、どうなりますか?」
「まずは、彼女達の主人は君になる。形態としては僕……ブルー家が君に金を貸し、君が彼女達を購入した事になる。まぁ、その辺の手続きはやっておくが、責任は君が背負えという事だよ。どういう事かわかるかい?」
「わたしが借金した上で、彼女達の……管理をしないといけないと言った所でしょうか?」
異世界に来て二日目で借金持ちになるとは思わなかった。
「その理解でいい。では、問題は――」
「返済の方法……ですか」
彼は頷いた。
「店員の方もやってもらうけど、それ以上に僕が期待するのは二つだ。君の異世界への転送、そしてエルフの秘術。これらを知る事が出来れば、充分に元を取る事が出来ると考える」
「……」
「当然、君は勿論。彼女達の協力は必須だ。反抗的な態度を取られては困る。その辺りの説得は君の仕事だよ」
「……はい」
「だけど、チアキ。君の背負うリスクの本質はそこじゃない。君の責任は管理に失敗した時に発生する」
「……!」
「彼女達は今でこそ奴隷だが、奴隷になるべく生まれてきた訳じゃない。その上で不当に捕らえられたんだ。自由になるチャンスがあれば、そこに飛びつくだろう。……それは、本来なら救った形にある君を裏切っても、ね」
「あ……え?」
「君から見れば、彼女達を救った形になるだろう。しかし、彼女達の視点からではそうでない可能性があるという事だ。いきなり、捕らえられて『はい、この人が主人です』と言われて、君なら納得出来るかい?」
「……」
「そういう所も含めて、君の責任であり、管理なんだ」
「そうなった……場合は?」
「仮に一人でも……目標が達成される前に、彼女達のどちらか……勿論、君が責任を放棄して逃げた場合でも、“返済”は不可能として、残っている者達の身柄はブルー家のモノになる」
「……」
「具体的な方法を今は考えないが、その時は奴隷になる覚悟をして欲しい、君も」
「……」
「勿論、強制はしない。こう言うのもなんだけど、所詮彼女達は他人だ。その為に君が奴隷になるリスクを背負わなくても、誰も責めない。それでも、彼女達を救いたいなら、という話なんだ」
「いえ、奴隷を救う為に奴隷になるリスクを背負う。道理だと思います」
「……本気かい?」
「はい」
自分でもあっさりととんでもない決断をしたと思う。
でも、震えも恐れもなかった。
そうするのが、正しいと信じていた。
奴隷市の中は先程のエルフ以外にも奴隷となった人と業者、そして買い手となる層が居た。
わたしはなるべく、他の場所を見ない様に、目的のエルフの業者と彼の交渉を見ていた。
すると、それまで口を挟まなかったシアンさんがわたしの傍まで来ていた。
「随分と思い切った事をするのですね」
「そうですね。自分でも驚いてはいます」
しかし、心中は穏やかだった。
彼女達を救う事が出来た事の安堵感が大きかった。
「……兄様は、本当はチアキさんと同じ気持ちだったのだと思います」
シアンさんは囁くような声で、しかしはっきりとわたしに伝えてきた。
「え……」
「兄様は元奴隷です。誰よりも不当に虐げられる痛みを知っています」
「あ……」
「本来なら、一人でも多く奴隷の救済を願っているのです、でも、ブルー家当主という立場上そういう訳にもいかない。だから、条件を付けてブルー家に利する理由、形を考えたのです」
「スカイ、さん……」
「それに……兄様はチアキさんを信じようとしているのです」
「どういう事ですか?」
「先程の条件、抜け道がある事に気付きませんか?」
「抜け道、ですか?」
「例えば、三人で結託して一斉に逃げ出せばどうしますか?」
「……あ」
「それを知っても貴女は責任を放棄しない。兄様はそう信じようとしているんです」
「ど、どうして、ですか?」
「それはきっと……チアキさんが奴隷を救おうとしたからでしょう」
「え……それって?」
「自分の本意であっても、それを成せない兄様が、その行為を代わりに行ってくれたチアキさんを信じたいと思った、そういう事です」
「……そんな、わたし、は」
「もしかしたら、仮に駄目だったとしても奴隷にする気はないのかも知れませんわ」
「う……」
もしそうなら、わたしの行為は彼にとって単なる負担ではないだろうか?
自分の責任は自分で取ると覚悟はしたけども。
「その上で、言っておきます」
「え……」
「兄様のお考えがどうであれ、兄様の信頼を裏切るなら――私は許さないという事を」
それは脅迫ではない。
宣言だった。
だけど、わたしはこの時一番――奴隷になるリスクを覚悟した時よりも――背筋が寒くなるのを感じた。




