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第八話 コハダ鮨とお犬様

 虎之助の妖怪相手のコハダ鮨の商売は当りに当った。作れば作るだけ売れた。コノシロが揚がり続ける限り、商売は安泰に思えた。

 鮨を売り始めて四日後(三月二十六日)の昼に御隠居がやって来て、機嫌もよく尋ねる。

「虎之助よ。コハダ鮨の売れ行きはどうでえ」

「もう、いいってもんじゃありやせんよ。笑いが止まらないくらい売れています」


 御隠居がうんうんと満足そうに頷く。

「私もコハダ鮨が好きでね。あっちこっちで食べ歩いたもんだよ」

「ご隠居にも食べさせてあげたかったけど、さっき箱に入れたばかりだしな。まだ、飯とコノシロが馴染んでないけど、食べやすか?」


 御隠居が改まった態度で話す。

「いや、今は要らないよ。今日は口入屋の虎之助に相談がある」

「へえ、何でしょう? 御隠居のご依頼なら、いつでもお受けしやす」

「尾張徳川家の下屋敷に山里(やまさと)()衛門(えもん)がおる。この男は大のコノシロ好きの侍なのじゃ」


「それが、何か問題が?」

 御隠居が顔を(しか)めて語る。

「コノシロを食べることは『この城を喰う』『この城を焼く』に繋がり、武士の間では謀反を意味するとして、忌み嫌われる食べ物なんじゃ」

(妖怪にとって縁起がよくても、お侍にとっては縁起が悪い食べ物なんだな)


「あれ、でも、さっき山里はコノシロ好きだって仰いましたよね」

 御隠居が表情を曇らせて説明する。

「そうじゃ、だから問題なのじゃ。山里はいくら上司や同僚に言われてもコノシロを食べるのを止めねえ。隠れて喰えばまだ可愛いが、堂々と食べるものだから、上司に嫌われておる」


「そりゃあ、嫌われるでしょうね」

 御隠居が苦い顔で教えてくれた。

「ついに怒った山里の上司の神谷(かみや)兵庫(ひょうご)が、山里に謀反の疑いあり、切腹せよと怒ったわけじゃ」


「コノシロを喰う、喰わない、で切腹騒動ですか?」

 御隠居の表情は晴れない。

「それで、山里は、ならば切腹すると言い出した」


「何か、馬鹿なことをしていますね。それで、どうなりやした」

「切腹といっても、今日や明日にできるものではない。また、願い出ても簡単に叶うものでもない」


「そうなんですか? 俺はてっきりお侍って、簡単に腹を切るものだと思いました」

 御隠居が難しい顔で語る。

「それに、神谷殿は上司といっても江戸務めの江戸に定住する侍。山里は国元から来ている勤番侍。中納言(徳川宗春)様は交代で尾張帰国のために十日後に江戸を立つから、山里も、これに同伴する」


「なるほど、読めましたぜ。お偉いさんは切腹の沙汰を出す前に、山里を十日後に国許に帰して、切腹の一件を有耶無耶(うやむや)にするつもりでしょう」

「そうなのだ。山里もそれを察知しているから、強気でいられる。だが、世の中どこで何があるかわからぬ。なので、今のうちに山里に金輪際コノシロを食わぬとする誓紙に署名させてほしいそうなのだ」


「それは、誰からの依頼ですか?」

 御隠居は神妙な顔で教えてくれた

「切腹をせよと言い出した、神谷殿の頼みだ。神谷殿とて本当に切腹させようとは考えておらん」


「そんなの、自分でやらせればいいでしょう」

「人間関係は一度、崩れれば簡単には修復できん。ここで、神谷殿が出て行けば余計にこじれる。だから、(わし)に頼んできた」


「何かやりたくない仕事ですが、仕事を選んじゃいられねえ。ちょいとばかし署名をもらいに行ってきやす」

 虎之助は誓紙と鑑札を手にすると、尾張徳川家の下屋敷に出かけた。

 裏門から入る。土蔵の前には職種が違う四人の人間が地下御殿に挑もうとするのか、集まっていた。

(下屋敷にも地下御殿に下りる階段があるんだな。これから地下御殿に下りるんだろうが、今日も地下御殿は盛況だ)


 下屋敷にある下士の勤番長屋の入口で声を出す。

「御免くだせえ、こちらに山里殿はおいでですか」

 近くにいた年配の下士が対応に出る。

「どちら様で、どのような用件でしょうか」


「あっしの名は虎之助、口入屋でさあ。新庄(しんじょう)宗右衛門(そうえもん)の使いで切腹の件で山里殿に話があるんでさあ」

 下士は顔を歪めて意見を述べる。

「ああ、あの話ですか。面白い話にはならないと思いますよ」

 下士は虎之助を連れて、台所に連れていく。台所で茶を飲んでいる侍がいた。


 侍の身長五尺(約百五十㎝)で本田髷の丸顔。年は三十くらい。洗い古された茶色の羽織を着て袴を穿いていた。

 下士が侍に声を掛ける。

「山里殿お客さんですよ」


 山里は構えて発言する。

「拙者が山里だが、何用だ」

「何って、山里様が切腹すると言い出して、皆が憂慮(ゆうりょ)しているんでさあ、それで、仲裁に新庄様が入りました。コノシロはもう食べないと書いた誓紙に署名するなら。切腹を止めるように神谷殿に頼むと請け合っています。この誓紙に署名していただけやせんか」


「どれ、見せてみろ」と命じるので誓紙を見せる。

 山里はふんと鼻を鳴らすと、下士に誓紙を乱暴に渡す。

「こんなものに署名する義理は、にゃーだも。焚きつけにでもしてくくりゃー」

「焚き付けに、って乱暴な」


 山里はむすっとした顔で告げる。

「拙者はお役があるすけ、これにて失礼すりゃー」

 山里は虎之助をまったく取り合わずに、台所から出て行った。

 後には誓紙を渡され、困った下士のみが残った。

「これ、本当に火にくべてしまって、いいんでしょうかねえ?」

「要らねえなら、返してくれよ」


 下士から誓紙を返してもらい懐に仕舞う。

(さて、これで帰ったらガキの使いと変わりがねえ。どうやって、山里に署名させようか)

 下士が気を使って話し掛けてくる。

「出し殻のようなお茶でもよければ、茶でもどうでえ」

「おう、ありがてえ、気を使わせてすまねえな」


 少しの間を置いて、温目ぬるめのほうじ茶が出てくる。

「山里さんって随分な乱暴なお方だが、いつもああなのかい」

「いやあ、はっきり申せば気の小さい、粗忽者ですな。ですが、その調子のよさが神谷殿に疎まれた。そこに今回の切腹の話が出たので、相当に面白くなかったらしいねえ」


「やはり、本気で切腹する気はねえんだな」

 下士は冴えない顔で意見を口にする。

「この下屋敷で本当に切腹するなんて思っている人間なんて神谷様も含めて誰もいないねえ」


「なるほど、それで強気なんだな。でも、今の山里殿のお役目って何でえ?」

「今は、お犬番だね。中納言(徳川宗春)様が大事にしているお犬様のお世話している」


「お侍さんの役目が犬の世話けえ?」

「もう、神谷様と山里殿の確執は明らかだからねえ。大事な役目は任せられねえ。かといって、遊ばせておくわけにはいかねえ。そこで、お犬番が回ってきたのさ」

 山里の慌てた叫び声が聞こえてきた。

「大変だ。お犬様が逃げた。誰か捕まえてくりょー」


 虎之助は勤番長屋を出て声のしたほうに走っていく。すると、半開きの土蔵の扉の前にへたりこむ山里がいた。山里が青い顔で告げる。

「大変だなーも、お犬様が地下御殿に下りていってしまわれた」

 虎之助は土蔵の扉を開けて階段を覗くが、犬の姿はもう見えなかった。


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