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第五話 湯屋の四文銭(後編)

 朝になると、湯屋の主人である松五郎が心配そうな顔で下りてくる。

「どうだった、虎之助さん。夜中に大きな音がしたが、泥棒は出たのけえ」

 正直に話しても信用が得られるかどうか難しいと思ったので話を作る。

「おいらの知り合いの見立て通りだったよ。隠れていたら、泥棒の奴がやってきた。それで、板の下に隠していていた、四文銭を回収しようとしたんでさあ」


 松五郎は感心した顔で訊く。

「それで捕り物になったのかい?」

「そう、それで取っ組み合いになって一人目を捕まえた。だが、泥棒は二人組だったんでさあ。もう、一人がそこの脱衣所に転がる大釜を投げつけてきやがった」


「あれは、修理に出そうと思った三升炊きの釜。あれを投げてきたとなると、二人目は、かなり力持ちだな」

「さすがの俺も、あの大釜が飛んできた時には驚いた。その隙に一人目の泥棒と二人目の泥棒に逃げられちまった。面目ねえ」


 松五郎は外された板の下を覗いて、四文銭を一枚、拾い上げる。四文銭をしげしげと見ながら(ねぎら)う。

「そうかい、それはご苦労だったね」


 そこで松五郎は当然の疑問を口にする。

「でも、泥棒は、どこから入ったんだろう」

「それは、わからなかった。だが、なぜ、ここの湯屋に入ったかは白状させたよ」


 松五郎が話に喰いついた。

「それは気になるね。なぜ、うちを狙ったんでえ」

(かまど)でさあ。竈の汚い家は何でも泥棒にとっても狙い目だそうでさあ」


 松五郎が意外そうな顔をする。

「竈って、あの火を焚く竈のことけえ?」

「竈が汚れている家は隅々まで手が届かない家だから、泥棒もやり易いそうでさあ。竈が綺麗な時は、こんな変な事件が起きなかったでしょう」


 松五郎が顎に手をやり、思案する。

「確かに、指摘されりゃ、そうだ。俺のおっかさんの大女将(おおおかみ)青梅(おうめ)が腰を悪くしてねえ。竈の掃除をしなくなってから、こんな変な事件が起きるようになったね」

 気になったので訊く。

「大女将が駄目なら、女将さんに掃除してもりゃやあよかったでしょう」


 松五郎が渋々の顔で打ち明ける。

「妻はもうじき子供が生まれるんでさあ。あまり重労働させたくねえんだよ」

(なるほど、そういう事情だったのか)

「昨日の今日では泥棒も見つかったので入らねえでしょう。だが、他の泥棒が入るといけねえ。今日は俺が竈を掃除していきやす。ですが、竈の清掃は何とか考えたほうがええですよ」


 松五郎が頭に手をやって困った顔をする。

「わかったよ。とはいっても、うちも人手が余っているわけじゃねえからなあ」

 松の湯で竈を清掃して、残り物のご飯を食べさせてもらって、長屋に戻る。


 長屋に戻って寝ていると、夕暮れ時に御隠居がやってきた。

 御隠居は感心した顔で褒める。

「虎之助、風呂屋で泥棒二人を相手に大立ち周りをしたんだって」

「まあ、そんなところでさあ。でも、問題はまだ解決していねえんでさあ。大女将の腰がよくならねえと、また、泥棒が入りそうで、困ってやす」 


 御隠居が不思議がる。

「大女将の腰がよくなると、泥棒が入らなくなるなんて、不思議な話だねえ」

「どうにか、なりませんかね、御隠居」


 御隠居が自信あり気に答える。

「私に泥棒はどうにかできねえけど、大女将の腰なら、よくできるよ」

「どんな、神通力を使うんでやす」


 御隠居が笑って否定する。

「神通力なんか使わねえよ。どれ、よければ明日、松の湯に一緒に行こうか。見せてあげるよ。鍼と灸ってやつを」


 翌日、薬箱を持って隠居と一緒に、松の湯に行く。

 松五郎が気楽な調子で尋ねる。

「ご隠居に虎之助さん、今日は一緒に湯に入りに?」

 御隠居が素っ気なく答える。

「違うよ。今日は大女将の青梅さんに話があって来たんだ」


 松五郎が困った顔で教えてくれた。

「大女将なら腰が痛くて二階で寝たきりでさえ」

 御隠居が穏やかな顔で確認する。

「腰が痛いのは医者に診せたけえ?」


 松五郎が渋い顔で否定した。

「医者になんて診せたって、よくなりませんよ」

「なら、鍼と灸を試してはいねえんだろう。今日は痛い腰に灸を据えてあげようと思って、やってきたんだ。少しでも、痛みが引けばと思ってね」


 松五郎が下女を呼び、青梅が眠る部屋に案内させる。

 青梅は丸髷を結った、丸顔で小柄な女性だった。青梅は寝巻きのままで布団に横たわっていた。

「青梅さん、今日はちょいとばかり気になって、来たよ。よければ、悪い腰に灸を試してみねえかい?」


 青梅はすっかり弱気になっていた。

「灸なんて銭の無駄、と断りたいところだけど、今はこの痛みに、すっかりまいちっまってね。少しでも痛みがとれるならお願いするよ」

 青梅は寝巻きを半分脱いで(うつぶ)せに寝る。


 御隠居が薬箱から鍼を出して炙ってから鍼を打つ。

 次に(もぐさ)を出して、丸めて紙に巻き、数箇所に置く。

 火の点いた線香を使い御隠居は灸に点火する。

 灸が始まると、ご隠居と青梅さんが世間話に興じる。


 そのうち、青梅が熱がると灸を取る。

「七日も続ければ、効果が出るだろう。また、明日も来るよ」

 御隠居と一緒に湯屋を出る。

「青梅さんの腰よくなりますかね」


 御隠居は、のほほんとした顔で見解を述べる。

「さあ、薬屋の隠居が言うのも何だが、効かない人には、効かねえからなあ」

「そう言うものですかねえ」


 七日後、湯屋に行くと湯屋で働いている青梅の姿を見つけた。

 松五郎さんに尋ねる。

「青梅さんには灸がよく効いたようだねえ」

 松五郎が苦い顔で教える。

「ここだけの話。灸が効いたというより、ご隠居に愚痴を聞いてもらってよくなったようでさあ」


「何でえ、腰が悪いんじゃなかったのけえ」

 松五郎が済まなさそうな顔で教えてくれた。

「悪かったんでしょうが、あまりにもあっしが嫁のことばかり気に懸けるので、かまってほしかったみたいでさあ」


「そりゃあ、家族持ちも大変だあ」

「そうそう、それで、泥棒が出なくなったから仕事料を払うよ。銭なら四百文。羽書(一ヶ月定期)なら二ヵ月分。どっちがいい?」

「なら、羽書で貰うよ。風呂は頻繁に使うだろうから」

 以後、松の湯では四文銭が一枚なくなる怪奇現象はなくなった。


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