第四十六話 帰らない客(後編)
味噌田楽を売り切って弁財入道の屋敷に行く。屋敷の前には六尺棒を持った、骸骨の番士が八人いた。骸骨の番士の内一人が、虎之助を見ると中に駆けて行く。
少し待つと、屋敷の中から逆麻呂が出てきた。
逆麻呂が出てくると、番士は道を空け、門の内側に虎之助を入れてくれた。
逆麻呂と一緒に以前に密談した茶室に入る。逆麻呂は機嫌よく切り出した。
「虎之助さん。約束していた前回の相談料を払いましょう」
「昆布は売れたんですけえ」
「まずまずの儲けでしたよ。昆布の需要は、これからも伸びる。昆布は今後、よい商いになるでしょう。それで、報酬ですが、何がよいですか。金ですか? 物ですか?」
「地下御殿でも大声で鳴く雄鳥が欲しいんですが、できやすか?」
逆麻呂が驚いた顔をする。
「変わった品を御所望ですね。訳を話してごらんなさい」
「弁財入道の屋敷で眠る箒神を起こして、力を借りたいんでさあ」
逆麻呂が少しだけ考える素振りをする。
「なるほどね。それで雄鳥ですか。よい品がありますよ。狩野永徳の作品で『時知らせ』です」
「絵の鶏は、鳴かないでしょう」
「凡人の作品なら鳴きません。ですが、名人の作品は別です。『時知らせ』の掛物に描かれた雄鳥が鳴くのは、妖怪の間では有名ですよ。貴方が望むのなら『時知らせ』の掛物を買うのに、間に入ってあげてもいい」
(狩野永徳といえば、俺でも知る名人だ。安くはあるめえ)
「でも、名人の掛物って、いくらする品ですか?」
逆麻呂が真面目な顔で告げる。
「ずばり、千両ですね」
「千両か、それは無理だな。どうやっても集められねえ」
逆麻呂はにやりと笑う。
「無理だと思うでしょう。でも、『時知らせ』の掛物を持っている妖怪は羅刹公主なのです」
(それなら、最悪、貸すくらいは、してもらえるかもしれねえ)
「つまり、相撲の懸賞金を掛物に代えてもらえばいい、と?」
「望むのなら、私が駆け引きしてあげますよ」
「そいつは有難てえ。なら、一つ、頼みますわ」
五日後、味噌田楽を売っていると逆麻呂の使いの小狐の小僧がやってくる。
「逆麻呂さまから、『時知らせ』が手に入ったので、屋敷に来るように、とのお話です」
「よし、わかった。さっそく行くぜ」
弁財入道の屋敷に行くと、逆麻呂が掛物を持って正門の前で待っていった。
「人間は弁財入道の屋敷に出入を禁止されています。ですが、今回は格別に、出入御免をいただきました。さあ、こちらへ」
入口で草履を脱いで、足を洗って屋敷に上がる。
薄灯があちらこちらに灯る広い屋敷を、奥へ奥へと進む。
「さすが、妖怪大名と呼ばれる弁財入道様のお屋敷だ。広い、広い」
逆麻呂も感心した顔で相槌を入れる。
「そうですね、これほどの屋敷を維持するのは並大抵の努力ではないでしょう。でも、それができるから、弁財入道は素晴らしいのです」
「これなら、神様の逗留したがるわけでえ」
「中にはあまりに居心地が良すぎて、帰ってくれなくて困るお客様もいるようですが。そろそろ着きますよ」
「失礼します」と逆麻呂が障子を開けると、中は十二畳の部屋になっていた。
部屋の四隅に行灯があり、部屋の中央には大きな布団がある。
布団には身の丈六尺(役百八十㎝)の真っ赤な肌をして、大きな角髪を結った大男がすやすやと寝ていた。
「こちらで寝ているのが、箒神です」
「よし、さっそく掛物を使い起こしてくだせえ」
逆麻呂が掛物を開く。掛物には立派な雄鳥が描かれていた。
小狐が両手をぱんぱんと叩く。天井に三寸(約十㎝)の穴が開き、光が下に伸びてくる。
光が鶏の顔に当ると、掛物の鶏が「コケッコッコー」と見事に鳴いた。
行灯の光が十倍の輝きを放つと、箒神がむくりと上半身を起こす。
「なんだ、もう朝か」
逆麻呂が危坐して申し上げる。
「すいませんが、なかなかお起きにならないので、仰せつかった刻限をだいぶ過ぎてしまいました」
「何、本当か? こうしてはおられぬ。竈神と会う約束があるのだ」
(竈神と会うのか、なら、竈を綺麗にしておけば、何かいいことがあるかも知れねえな)
箒神が起きると、狐の女中が行李を運んでくる。中には着替えが入っていた。
箒神が寝巻きを脱いで、服に着替え始める。
このまま、着替えてすぐに部屋を出ていきそうだったので、口早に声を掛ける。
「箒神様。助けてくだせえ、帰ってほしいのに帰ってくれない客がいて、困っているんでさあ」
箒神は面倒臭そうな顔をして、ふっと息を吐く。息は一枚の札になった。
箒神は急ぎ支度をしながら告げる。
「逆さにした箒に、その札を貼っておけ、そうすれば、帰ってほしい客はすぐにも帰る」
箒神は支度を調えると「遅れた、遅れた」と喚きながら部屋を出て行った。
札を貰った虎之助は家に帰って、饂飩粉を持って日暮里に急ぐ。
「薬が手に入った」と下男に告げると、すぐに先日の若い侍に取り次いでくれた。
「薬が手に入りやした。竈の煤と灰を集めてくだせえ。それに、この薬を混ぜて撒きやす」
侍は不思議そうな顔をする。
「竈の煤と灰に混ぜる薬? 変わった薬ですね」
「変わっちゃいるが効きます。それと、箒です。箒にこの札を貼って逆さにして飾ると、さらによく効きます」
「ますます、もって奇妙な薬ですね。だが、鷹の調子は、すこぶる悪い。ここは藁にも縋る気で試してみましょう」
下男と下女が竈から煤や灰を集めている間に、虎之助は箒を入手する。
箒を逆さにして札を貼った。すると、たちまち疫病神が床下から這い出してきた。
疫病神は慌てていた。
「おっと、こうしちゃおられん、行く場所があったんだ」
疫病神が一目散に駆けて行く。
疫病神の退散を確認してから、虎之助は竈の灰を集めるのを手伝った。
最後に竈の煤と灰に、饂飩粉を混ぜて床下に撒いた。
「よし、虫殺しは撒きやした。虫の害は取り除かれます。あとは黙っていてもよくなるはずでさあ」
事情は知らない侍は、浮かない顔で相槌を打つ。
「そうだと、いいんだけどなあ」




