第四十四話 鶏の薬
回向院の勧進相撲から六日後の八月二十六日。
虎之助がおでんの屋台を支度していると、御隠居がやってくる。
御隠居が穏やかな顔で頼む。
「また、ちょいと口入屋の虎之助に頼み事があるんだけど、いいけえ」
「へい、この仕込が終わったら、すぐに伺いやす」
味噌タレの支度が終わると、御隠居の家に行く。
家に上がると、お茶と羊羹が出てくる。
「伊勢屋の羊羹はほどよく甘くて好きなんだよ」
「ご馳走になりやす」
御隠居が真面目な顔で語り出す。
「ところで、虎之助よ。大樹(将軍)様が鷹狩を復活させた話を知っているけえ」
「なんとなく話に聞いた覚えはありますが、詳しくは知りやせん」
「鷹狩はその名の通り、鷹を空に放して鳥を仕留める狩りだ。だが、ここで問題が起きた」
「鷹が盗まれた、とかですか」
「いいや、鷹を育てるのには良質な鶏肉がいる。鶏は鷹匠組頭の鏑木彦左衛門殿が飼育しているのだが、最近になって、鶏がバタバタと病気になって死んでいく」
「このまま鶏が病気で死んでいけば、鷹に良質な餌を供給できなくなる、って話ですか」
御隠居は苦い顔で打ち明ける。
「そうだ。そこで、鏑木殿はどうにか鶏を助けようと、薬問屋を回っている。尾張屋にも話がきた」
「尾張屋は人間の薬だけでなく、鶏の薬も取り扱っているんですけえ?」
「取り扱っているわけないだろう。試しに、人間の薬を与えてみた。だが、鶏はよくならぬ。そこで、息子の徳之丞は困ってしまった」
「へい、それで俺に何を期待するんで?」
御隠居は真剣な顔で頼む。
「鶏の体は、鶏がよくわかっているはず。地下御殿に行った時に鶏の妖怪を訪ねて、何が効くか聞いてきちゃくれないか」
「それぐらいなら、お安いご用で」
夜になり、地下御殿に降りて行く。
おでんの屋台を出すと、妖怪たちのお客がやってくる。
「地下御殿に住んでいる鳥の妖怪を知らねえか」と訊くが、誰も知らなかった。
(誰も知らねえのか。でも、俺も地下御殿に屋台を出すようになったが、鳥の妖怪は見た覚えがねえな)
豆吉が来たので尋ねると、教えてくれた。
「虎之助さん、鳥の妖怪って奴は気まぐれで、旅好きな奴がほとんどさ。どっかに家を定めて、定住するってのは稀な奴なんでさあ」
「なら、鳥の病気を知る妖怪は、いねえのけえ」
「強いて上げるなら、市谷の地下に住む御隠居かね。あの御隠居、元医者で方々を旅してきたと自慢していたからな。知っているかもしれねえぜ」
(地上に住むご隠居は薬問屋の隠居で、地下御殿に住む妖怪の御隠居は、元医者なのけえ)
客足が途切れたところで、屋台を担いで、妖怪の御隠居が住む長屋に出かける。
妖怪の御隠居が住む家の前で声を上げる。
「御隠居。御隠居は、いるけえ? 虎之助だあ。ちょいと話が聞きてえ」
家の戸が開き、妖怪の御隠居が出てくる。妖怪の御隠居の表情は明るかった。
「虎之助かい、久しぶりだね。大相撲じゃ、奮闘したそうだね」
「へい、なんとか格好が付きやした。どうです、おでんを肴に、きゅっと一杯」
妖怪のご隠居は機嫌よく答える。
「おでんかい。今の季節、悪くはないね。ならご馳走になろうかね」
おでんを温めて、酒と一緒に振舞う。
適当に世間話をしていると、店子の妖怪も来て小さな輪ができる。
おでんの種がなくなると、妖怪のご隠居がほろ酔いで訊いてくる。
「今日は別におでんをご馳走しに来たわけじゃないだろう。用件は何でえ」
「へい、鶏の病気に効く薬を知っていたら教えてくだせえ」
「それなら、米糠に酒粕と緑茶を混ぜたものを与えるといいよ」
「そんな、単純なもので、治るんですかい?」
妖怪のご隠居は穏やかな顔で語る。
「鶏はけっこう丈夫な生き物だよ。流行病でもない限り、それで大丈夫」
(本当かねえ。でも、鳥を見てきた妖怪の元医者のいう種だからな)
朝になって、木戸が開く。屋台を家の前に置いて風呂を浴びてから、御隠居の家にいく。
「御隠居、わかりやした。薬は米糠に酒粕と緑茶を加えたものでいいそうです」
御隠居は虎之助の答を聞いて、意外そうな顔をする。
「なに、そんなものでいいのかい。なんか単純過ぎて、あまり有難味がないね」
「あっしもそう思うんですが、妖怪の元医者の教えでさあ」
「なるほどねえ、医者の言葉かい。体に悪いものでもないから試すように進言してみるよ」
十日後、虎之助はご隠居にまた家に呼ばれる。
御隠居の家に行くと、ご隠居の表情は曇っていた。
「虎之助や、教えてもらった薬を鶏にやった。鶏はよくなった、と思ったら、今度は鷹の元気がなくなった。このまま、鷹が大量に死ねば、切腹ものだそうだ」
(おっと、今度は鷹が病けえ。どうにも上手くいかないものだね)
「鶏用の薬は駄目ですかい」
「もちろん試そうとした。だが、鷹は鶏用の薬を飲まぬ。すまないが、鷹用の薬についても聞いてきておくれ」
おでんの屋台を担いで妖怪の御隠居を訪ねる。
「御隠居、御隠居はいるけえ」
「おや、虎之助。今度は何のようだい」
虎之助は酒とおでんを支度しながら頼んだ
「おでんを土産に聞きてえ話があって、来ました。鷹用の薬を教えてくだせえ」
妖怪の御隠居は腕組みして、難しい顔をする。
「鷹の妖怪は気位が高いゆえ、医者に懸からないよ。ゆえに、薬も処方した体験がない」
「そうなのけえ、なら、どうすればいいと思いやすか」
「どうしようもない、と諦めさせたい。だが、一つ気になることがある。鳥小屋の床下を調べてみなされ。もしかしたら、病を振りまく疫病神がいるかもしれねえ」
(病気が神様の仕業だとすると、薬でよくなるのは一時のものかもしれねえ)
「疫病神がいたら、どうすりゃいんで」
妖怪のご隠居が厳しい顔で示唆する。
「お願いして避けてもらうのじゃよ。いっておくが、くれぐれも力任せに追い出しちゃあ駄目だよ。疫病神が本気になれば流行病を起こすなぞ造作もないからね」
「鷹が助かっても、人や妖怪が犠牲になったら意味がねえな。わかった。ちょいと疫病神がいるか、見てきまさあ」




