第四十三話 回向院の勧進相撲(後編)
地下御殿に辿り着くと、胡蝶が苛々した顔をして正門の前で待っていた。
「遅いよ、虎之助。もう、地獄灘の全勝優勝が決まって、最後の一番が終わったよ」
「なら、間に合わなかったのけえ」
「ぎりぎりだよ。全ての取り組みが終わって、休憩を挟んで人間との一番だよ」
「そうか、なら、ちょうどよい、俺が土俵に上がらあ」
妖怪たちは屋敷に入ってきた虎之助を見てひそひそと話し合う。
(なんか、感じがよくねえな。誰も俺が勝つと思っていねえようだ)
胡蝶が土俵を迂回して、一番豪華な席の前に行く。
そこには弁財入道と、豪奢な真っ赤な着物を着て角を生やした妖艶な女性が座っていた。女性の身長は六尺(約百八十㎝)と、虎之助と変わらず高い。目は切れ長で、白い髪は腰まで伸びていた。
胡蝶が虎之助にそっと教える
「あの女性が、地獄灘の谷町の羅刹公主だよ」
弁財入道と羅刹公主の周りには、芸子の格好をした双子の狸の妖怪がいた。また、一丈(約三m)の棒を持った、身の丈が一丈の牛頭と馬頭が三頭ずつ、弁財入道と羅刹公主の護衛に付いていた。
(弁財入道と羅刹公主が芸者を上げての観覧てとこか)
弁財入道が目を細めて、虎之助を見る。
「虎之助よ。何ゆえ、この場所に入ってきた」
「へえ、地獄灘と一番相撲を取りに来やした」
「ぷっ」と狸の芸子が笑う。
弁財入道は、呆れた顔で告げる。
「虎之助よ。お前はここがどこだかわかっておらん。それに、そちを呼んだ覚えもない。儂は人間で一番強い力士を呼んだのだ」
「へえ、その大富士が、加減不良とのことで急遽、胡蝶さんに代役を頼まれました」
弁財入道が顔を顰めて胡蝶を見る。すると、羅刹公主が笑って告げる。
「いいでしょ。せっかく、地獄灘と対戦しに来たんです。やらせてあげなさいな」
羅刹公主が水を向けると、渋い顔で弁財入道が納得する。
「お前が頼むなら、いいか。でも、人間が無様な負け方をしても、責めるなよ」
「責めはしないわ。でも、負けた時には、虎之助には死んでもらいましょう」
虎之助は怖れず、啖呵を切る。
「では、あっしが勝った暁には何があるんでやんす?」
「そうね、千両。千両やるわ」
弁財入道は苦い顔をして忠告する。
「おいおい、そんな約束をして、後でどうなっても知らんぞ」
「次の一番は、懸賞金が千両の、千両相撲だぞ」と酔った妖怪たちが騒ぎ出す。
土俵の西口に立つと、向こうからでかい大銀杏を結った、身長が一丈の黒鬼が現れる。
「よ、待っていました。地獄灘」と声援が飛ぶ。
(あれが、地獄灘けえ。身の丈一丈とは、普通なら勝てそうもねえな。でも、こっちには福の神が宿っているから、どうにか、なるだろう)
狸の芸子の一人が立ち上がると、ふわっと浮く。
狸の芸子が地獄灘の元に飛んで行き、耳打ちする。
地獄灘の身の丈は、虎之助と同じ六尺にまで縮む。
地獄灘がにっと歯を見せて笑い、威勢のよい声を出す。
「虎之助よ。せめてもの情けだ。体格ぐらいは一緒にしてやるよ」
「そのほうが、未練がなくていいや。でかくて負けたとあっちゃ、言い訳も立つめえ」
「てめえがどんな手を使おうと、勝つのは俺だ。後で吠えず面かくなよ」
虎之助が着物を脱いで土俵にあがる。地獄灘も立会いの位置に着く。
「はっきよい、のこった」と狸の行司が合図をする。
虎之助と地獄灘が土俵中央でぶつかる。力を入れるが、地獄灘はびくともしない。
「どうした人間と」地獄灘が余裕の顔で笑う。
どこからか、「ててんてんてん」と太鼓の音が聞こえてきた。
地獄灘の廻しを掴む虎之助の手から力が抜ける。
地獄灘の虎之助の廻しを掴む手も離れた。
二人は背後に引っ張られるように後ろ歩きになる。
虎之助は踊りになるとわかっていたので、無理に動きに逆らわなかった。
対照に地獄灘は踊るまいとして、体勢を崩しそうになる。
地獄灘の手が地面に付きそうになる。なんとか耐えると、次は尻餅を搗きそうになる。
観客はここに来て初めて、地獄灘が負けるのでは身を乗り出す。
だが、地獄灘はどうにか耐えて土俵に残る。
すると、次は虎之助と地獄灘の片足が持ち上がる。
そのまま、片足で跳びをして、土俵の真ん中で二人の体が回り出した。
虎之助は見事に回るが、地獄灘は終わりかけの独楽のようにふらふらと回る。
地獄灘が倒れそうになるたびに、観客から「おおおう」の声がする。
それでも、地獄灘は倒れない。
(さすが、妖怪の大関だ。足腰が強靭でいやがる。また、平衡感も優れている)
回転する踊りでも勝負がつかなかった。二人は両足立ちの姿勢に戻る。
二人はゆっくり土俵際まで、すり足で後退する。次は、そのまま大きく開脚した状態でゆっくりと上体を反らす動きに変わった。
虎之助と地獄灘、どっちの体が先に土俵の外に出るかの勝負になる。
(勝負は力の勝負から体の柔らかさの勝負になったな。でも、なんでだろう、今日はどこまでもいける気がすらあ。これが福の神の力か)
ぐいぐいと体が曲がり、地面に近くなる。それでも、行司からの勝ち名乗りが聞こえない。
(地獄灘なかなかやるぜ。本来なら、もう後ろに倒れてもいいところだぜ)
観客の叫ぶ声がする。
「見ろ、地獄灘の大銀杏が土俵の外に付いたぞ」
「虎之助の総髪は、まだ地面に付いちゃいない」
行司が地獄灘のほうに走る音がする。次いで、虎之助の元にやってきた。
行司が虎之助の頭を確認する。
「勝負あり。決まり手、腰砕け。勝者は虎之助」
勝負が決まると、虎之助に宿っていた福の神の力が飛び出した。
すると、土俵とその周りには笑いが溢れる。
体を起こすと、弁財入道が笑っていた。羅刹公主も笑っていた。
地獄灘は苦笑いだった。地獄灘が寄ってくる。
「まさか、この自慢の大銀杏が因で負けるとは、思わなかった」
「そうだな、相撲なら、あんたが勝っていた」
「どんな手を使ってもいいと、認めたのは俺だ。お前の勝ちだ、虎之助。俺も、まだまだ精進が足りんのだな」
こうして、地下御殿の大一番は笑いの内に幕を閉じた。
大富士は、その日の深夜に、回向院にひょっこり帰ってきた。だが、大富士はいなくなってから、戻ってくるまでの出来事を、まるで覚えていなかった。




