第四十二話 回向院の勧進相撲(中編)
胡蝶に連れられて土蔵の前に行く。土蔵は高さが二丈(約六m)、縦に五間(九m)横に二間(三・六m)の広さがあった。
槍を持った骸骨の番士が、四人で警備をしていた。土蔵には大きな南京錠が掛っていた。胡蝶が鍵を開ける。中に入ると、中は牢屋になっていた。
牢屋の中には浴衣を着た一人の力士が横たわっていた。
「大富士さんか。俺は虎之助だ。俺が妖怪と話を付けた。あんた、相撲を取れば、地上に帰れるぜ」
大富士がよろよろと上半身を起こす。
「いや、駄目だ。俺には勝てねえ。勝てなかったら、殺される」
(勝てなきゃ殺すって話じゃなかったな)
「え、そうなのけえ。でも、あんた東西無双の大関だろう。あんたに勝てる奴なんて、そうはいねえ」
大富士はすっかり弱気になっていた。
「そりゃあ、人間相手の話だよ。首が伸びたり、火を吐いたりする奴が相手じゃ、勝てねえよ」
「でも、ここで相撲と取らなきゃ外に出られねえぜ」
大富士は沈痛な表情で下を向く。
「でも、無理に勝負して、負けて喰われるなんて、御免だ」
「負けたら喰われるって、厳しい条件が付いているのか」
「ああ、外で鬼の地獄灘と呼ばれる妖怪が話しているのを聞いた」
(こりゃ駄目だ。完全に腰が引けている。この状態で無理に土俵に上げて、無様に負けたら、それこそ客が納得しねえ)
「わかった。なら、俺がどうにか解放してくれるように話を付けてやる」
大富士は泣きそうな顔で頼む。
「頼むよ。虎之助さんだけが頼りだ」
外に出ると、心配した顔の胡蝶が待っていた。
「どうだった、大富士は戦えそうか」
「駄目だな。完全に腰が引けてらあ。それはそうと、最後の一番は負けると、喰われるのけえ? 地獄灘が土蔵の外で話しているのを大富士が聞いたって零していたぜ」
胡蝶が苦い顔で言ってのける。
「負けた人間を喰う? そんな話は、わたしゃ聞いていないよ。たぶん、勝手に地獄灘が吹聴しているのさ」
「そうか。でも、こりゃ、まずいな。最後の大一番が成立しねえぞ」
胡蝶がじろじろと虎之助を見ていた。
「どうしたんでえ、胡蝶さん。そんなに俺を見て」
胡蝶が真面目な顔で頼んだ。
「虎之助、あんた体格は大富士に及ばないが、身の丈だけは、ある。大富士の替え玉をやる気はないか」
虎之助は正直に答えた。
「替え玉は無理だ。だが、大富士の代わりに戦えってのならやってもいいぜ。ただし、相手が妖怪の大関なら、どんな汚い手を使っても、勝ちにいくぜ」
胡蝶は楽しそうな顔でうんうんと頷く。
「そのほうがいい。地獄灘は奢りが過ぎるほどに強い。ここで一遍、負けたほうがいい」
「わかった、なら。ちょいとばかし準備してくる。待っていてくれ」
「最後の取り組みはおそらく、四ツ(約二十二時)に頃にある。それまでに、戻ってきておくれよ」
虎之助は急ぎ、長屋に向かい、お初の部屋を訪ねる。
「お初、すまねえ。ちょっと、相談がある。人の命を懸けて妖怪と相撲を取る展開になりそうだ。なんか、確実に勝てる手はねえか」
お初が困惑した顔で告げる。
「なによ、藪から棒に、訳を話してごらんなさい」
虎之助は地獄灘と相撲を取る展開になったと説明した。
お初が思案顔で語る。
「手はあるけど、円空さんの合力が必要ね。円空さんに合力してもらって、福の神を呼び出してもらいましょう。福の神を虎之助に憑依させれば、勝てるわ」
「御住職に、そんな真似ができるのけえ。でも、神様を憑依させられるのなら、もっと強そうな神様を呼び出したほうがいいだろう」
お初は眉を顰めて説得してきた。
「違うのよ。相撲興行は百姓町人の娯楽よ。そこに槍や刀を持った神様を持ち出す態度は無粋。福の神を呼び出して場を納めてもらったほうが、上手くいくわ」
(お初の言うとおりかもしれねえな。誰も血生臭い結末を望んじゃいなえ)
「そういうものかね。おっと、こうしちゃおられねえ、時がねえんだ。すぐに御住職に相談だ」
お初を伴って、回向院に走っていく。回向院に着くと、慈空に頼む。
「大富士を助けるために、至急、円空住職に会いてえ」
慈空は良い顔をしなかった。
「お初さんも一緒ですか、あまり良い気はしません。ですが、虎之助が懸命なので、案内しましょう」
円空は一人、本堂で蝋燭を立てて、阿弥陀如来像を前に座っていた。
阿弥陀如来像の前には台があり、神楽鈴が置いてあった。
慈空が円空に声を掛ける。
「御住職、虎之助が来ました。お初殿も一緒です」
円空が頷くと、慈空は本堂の扉を閉めて出て行った。
虎之助はお初と一緒に、円空の向かいに座り、頼んだ。
「御住職、成行で妖怪と相撲を取ることになりやした。やるからには勝ちてえ。御住職なら、福の神を呼び出して、おいらに憑依させられる。福の神の力があれば勝てるとのこと。どうか、力をお貸しくだせえ」
円空が不断は見せない真剣な顔でお初を見る。
「お初殿。虎之助に余計な内容を教えましたな。虎之助を試すおつもりですか」
お初は涼しい顔で言い返す。
「試すもなにも、これは虎之助が頼んだ行いです」
虎之助は事情がわからないので訊く。
「なんでえ、御住職。都合が悪い話でもあるんですけえ」
円空が虎之助を綺麗な目で見つめる。
「虎之助や、人間の体に神を降ろすなぞ、本来は無理なのだ。たとえ、気性の優しい福の神でも、人間の体には耐えられない」
「てえと、失敗すると俺は死んじまうのけえ?」
「降ろす神が福の神なら、死にはしない。なにも起きないだけじゃ。だが、ここで、虎之助が神を受け入れる素質がある体だとわかれば、欲深い人間は利用するじゃろう」
お初が涼しい顔で意見する。
「悪い人間に利用されたくなければ、虎之助が断ればいいだけの話です」
円空が渋い顔をしてから、お初に厳しい眼を向ける。
「人の世は誘惑が多い。聖人君子といえど、その誘いを断るのは難しい」
虎之助はお初と円空の考えの違いを悟った。だが、やるべき仕事はわかっていた。
「御住職、難しい理屈は俺にはわかりません。でも、今やるべき内容は、わかっています。俺は妖怪の大関相手の相撲で勝ちてえ。ガキのような我儘だとは思いますが、力を貸してくださいませんか」
円空はじっと虎之助の顔を確認する。虎之助が真っ直ぐに見返すと、円空は折れた。
「いいじゃろう。虎之助は我が子同然。ならば、一度くらいは願いを聞いてやろう」
「ありがとうごぜえやす。なら、あっしは、どうすればいいんで?」
「そこに座っておれ」
円空が立ち上がると、阿弥陀如来像に一礼してから座り直し、経を唱え始める。
円空の経が始まると、お初は立ち上がり、神楽鈴を鳴らして踊り始める。
お初の神楽と円空の経が一体になる。阿弥如来像の前に一尺(約三十㎝)の光る玉が現れた。光る玉は虎之助の周りを回ると、虎之助の体に飛び込んだ。
丹田の辺りが、ぽかぽかと暖かくなる。
(なんで、体が少し軽くなった感じがすらあ)
お初が神楽を止める。大して激しい動きではないが、お初は肩で息をしていた。
お初が晴れた顔で説明する。
「福の神が虎之助に宿ったわ。あとは土俵に上がって四つに組めば、虎之助も妖怪力士も踊り出す」
「踊り出すって、俺は相撲しに行くんだぜ?」
お初が明るい顔で教えてくれた。
「そうよ、だから、地面に手や体が付かないように踊ればいいのよ」
「なるほどね、下手に調子に逆らって、手や体が土俵につけば負けになるのか。よし、こうしちゃいられねえ、さっそく地獄灘を倒して、大富士を取り返してくらあ」
虎之助は円空に頭を下げて、地下御殿に向かって走り出した。




