第四十一話 回向院の勧進相撲(前編)
秋も深まる八月二十日。回向院で寄付を集めるために、勧進相撲が三日間に亘って開かれる。興行は盛況で、大勢の観客が訪れた。
優勝した力士は大関の大富士であり、大富士は全勝優勝を決めた。大富士は身長六尺三寸(約百九十㎝)の長身で、体重は三十五貫(約百三十㎏)の力士だった。
勧進相撲の最終日には、一般の人間でも、金を払えば大富士に挑戦できる出し物が行われる。
挑戦料は二朱であり、勝てば二両がもらえるとあって、街中の力自慢、腕自慢の十二人が挑戦するが、大富士は負けなかった。十三人目の挑戦者として虎之助が挑戦する。
虎之助は立会いの強烈な一撃を耐えて、四つに組んだ。ここまでは、よかった。
だが、大富士の力業に、じりじりと土俵際に追い詰められる。
一か八かの投げに出た。ところが、勝負を大富士に読まれて逆に投げられ、土俵の下に転がった。
御隠居が笑って声を懸ける
「力もそうだが、土俵際の駆け引きも大富士のほうが上手だったのう」
「さすがは、大関です。素人が勝てるものじゃねえ」
相撲が終わると、大口寄進者たちと力士の交際会が行われる。
虎之助も一両を寄進したので、交際会に出席して、ちゃんこ鍋をご馳走になった。交際会でも大富士は座の中心にいた。だが、大富士は威張らず、奢らず、寄進者と談笑していた。
後援者の一人が大富士に尋ねる。
「まさに、東西無双の大関である大富士に怖いものなんてあるんですか?」
大富士が笑って答える。
「三つありやす。一つは親方。一つは母で、もう一つは、お化けでさあ」
大富士の答えに笑いが起こり、場が和む。
(土俵の上では鬼みてえだったが、土俵を下りれば人のよい兄さんだなあ)
交際会が終わったので、その日は長屋に真っ直ぐ帰って休む。
翌昼、地下御殿におでんの屋台を出そうと仕込みをしていた。
すると、御隠居が困った顔で、やって来た。
「虎之助や、仕込みが終わってからでいいから、手を貸してくれ」
「へい、わかりやした。味噌タレの準備が終わったら行きやす」
御隠居の家に行って、座敷に上がる。
虎之助が座敷に上がると、御隠居が晴れない顔で相談する。
「勧進相撲で来ていた大富士が行方不明になった」
「回向院がいくら広いといっても、あんななりなら、すぐに見つかりそうなものだと思いやすが」
「それがね、どこにもいないんだよ。縁者が方々を探し回っているんだが、まるで見当たらない」
「手懸りがまるでねえんですか?」
「それが、一つだけある。夜に厠に起きた力士が、女と一緒に大富士が歩いている場面を見たそうなんじゃ」
「夜遊びなら、そんなに大騒ぎしねえで待っていりゃ、帰ってくると思いますぜ」
御隠居の顔が曇る。
「それがね、大富士と女が一緒に境内を歩いている時に九ツ(約二十三時四十五分)の鐘を聞いたそうなんだ」
「それは妙でやすね。木戸が閉まって、遊びに行けねえや」
「だろう。だから、もしやと思うが、地下御殿の妖怪に拐かされたんじゃないかと、不安になったのさ」
「わかりやした。暮六ツになったら、地下御殿に下りて、ちょいと事情を聞いてきやす」
軽く寝て、日が暮れるのを待つ。暮六ツにおでんの屋台を持って地下御殿に降りて行く。
おでんは、種一つ二文と格安に設定した。ところが、客が来ない。
(客が全く見えねえ。これは地下御殿で、何か異変が起きているぜ)
確実に妖怪がいる弁財入道の屋敷を目指す。
すると、がやがやと妖怪の声が聞こえてきた。妖怪は弁財入道の屋敷に集まってきていた。
弁財入道のお屋敷の正門が大きく開かれていた。いつも見える番士がおらず、数え切れないほどの妖怪たちが入っていた。
(何でえ、これは? 弁財入道の屋敷で祭りでもあるのけえ?)
あまりの妖怪の多さに、一度は尻込みした。だが、どうせ、あそこにいる妖怪の大半は不断の客だと思い込むと、気分が軽くなった。
屋台を担いで堂々と近づいて行く。妖怪たちは虎之助をちらちらと見るが、襲ってくることはなかった。
弁財入道の屋敷の正門から中を拝見すると、土俵ができていた。
さすがに、門から中に入ると、なにか言われそうだった。
塀の外で首を高く伸ばしている女の轆轤首に訊く。
「これは、いってえ何の騒ぎでやすか?」
轆轤首は、にたりと笑い教えてくれた。
「何の騒ぎって、見りゃわかるだろう。相撲興行が来ているんだよ」
(妖怪の世界でも相撲は人気なんだな)
酔った河童が寄ってきて声を掛ける。
「屋台の兄ちゃん、まだ準備に掛かるのけえ。こちとら相撲が始まる前に少し腹に入れてえんだ」
「いえ、すぐできます」と屋台を開くと、すぐにわらわらと妖怪が寄って来る。
おでんと酒が飛ぶように売れる。忙しく対応していると虎之助を呼ぶ声がする。
顔を向けると、苦い顔の胡蝶が立っていた。
「虎之助、いいところに。ちょいと、こっちに来ておくれよ」
「でも、今、おでんと酒を売っている最中でえ。終わってからで、いいけえ」
胡蝶が虎之助の持ってきている屋台を一瞥する。
「わかった。なら、三朱で、おでんと酒をみんな買い取るから、こっちに来ておくれよ」
胡蝶が全部買うと発言すると、妖怪から不満の声が上がる。
「文句を垂れるんじゃないよ。おでんも酒も、お前たちにみんなやるよ。弁財入道様からの差し入れだよ。仲良く食べるんだよ」
タダで飲み食いできるとわかると、妖怪たちは歓声を上げる。
妖怪たちは勝手におでんを温め始め、酒をぐいぐい飲み始めた。
虎之助は屋台から追い出されるように屋台から離れる。
胡蝶が真面目な顔して門の向こう側で手招きする。
「こっちだよ、虎之助」
「こっちだよって、人間の俺が、弁財入道の屋敷の正門から中に入っても、いいのけえ」
「虎之助なら、いいんだよ。さあ、早く」
胡蝶の横を歩くと、胡蝶は屋敷に入らず、庭隅に移動する。
「虎之助がここに来た子細は大関の大富士を探しだろう」
「よく知っているね。うん、待てよ。大富士は女に従いて行ったって話だったな。まさか、連れ出した妖怪は、胡蝶さんけえ」
胡蝶はあっさりと認めた。
「そうだよ。私だよ。大富士には、一番でいいから相撲を取ってほしかったのさ」
「何か、状況がよく見えねえな」
胡蝶は真剣な顔で説明してくれた。
「実は地下御殿にも今、相撲興行が来ているのさ。そこで、優勝した妖怪の力士と人間の力士をぶつけて、どっちが強いか決めようって話が出た」
「まさか、大富士さんは負けて帰れなくなったのけえ」
「違うよ。大富士は、すっかり地下御殿の佇まいに飲まれちまったのさ。妖怪と勝負するなんて嫌だと拒否したのよ」
「何でえ、それじゃあ最後の一番は、どうなるんでえ」
胡蝶は弱った顔で相談してきた
「このままだと、最後の大一番ができない。大富士が負けるならまだしも、取り組みがないとなれば、興行がしらけちまう。興行主である弁財入道の顔も潰れる。そこでだ、大富士に土俵に上がるように、説得してほしいのさ」
「わかった。やってみらあ」




