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第三十三話 縁起を担いだ鮨

 七月八日のある晩の地下御殿。

 虎之助が天婦(てんぷ)()の屋台を出していると、おシマがやってきた。

「おや、おシマさんお久し振り。今日はキスが大量に手に入っているよ。揚げたてを喰っていくけえ」


 おシマは苦い顔で遠慮した。

「天婦羅は熱いから、あまり好きじゃないんだよ。それに、キスは下魚で縁起が悪いよ」

(そういえば、人間の世界で縁起がよいものは妖怪の世界じゃ縁起が悪い。人間の世界で縁起が悪いものは、妖怪の世界では縁起が良い、だったな)

「そうか、じゃあ、もう少し涼しくなったら、またコハダ鮨でも作るかな」


 おシマは困った顔で打ち明けた。

「そう、それで、今日は弁財入道様からの相談さ」

(あの弁財入道が、俺に相談だと? どんな内容なんでえ)

「いいぜ。あっしは口入屋でもあるんでさあ。どんな仕事でさあ」


「上方の大物妖怪に見越し入道ってのがいるんだよ。この見越し入道の旦那が来るってんで、接待しなきゃならないのさ」

(ここまでは、珍しくも何ともねえ話だな)

「妖怪さんの接待けえ。どこの世界でも付き合いってのは大切なんだな」


 おシマの表情は、ぱっとしない。

「そうさ。それで、弁財入道様が見越し入道の旦那に何か食いたいものはあるかって、聞いたんだ。そしたら、鮨が喰いたいって注文が付いた」

(江戸の鮨か。別に問題になる注文ではねえな)

「いいだろう。鮨くらい、出してやんなよ。大して高いものじゃねえだろう」


 おシマは冴えない顔で言葉を続ける。

「注文には続きがあるんだよ。マグロに匹敵する縁起の良い魚の鮨が喰いたいって望みが出たんだよう。ただし、コハダ鮨以外で、だよ」

「マグロねえ。江戸じゃあ、あまり、揚がらねえ上に、悪くなり易い魚だな。でも、マグロは妖怪の間じゃ縁起がいいのけえ」


「マグロは上方ではシビって呼ばれる魚さ。死ぬ日って読めるから、妖怪の間じゃ縁起がいいのさ」

(所変われば意味合いも変わるか)

 虎之助も困った。

「江戸前で獲れて、コノシロ以外で縁起が悪い魚。それでいて鮨にできる魚ねえ。ちと、思いつかねえな」


「だろう。それで、弁財入道様も困っちまったのさ。そこで、人間の知恵を借りられないかと思って声を掛けさせてもらったのさ」

「難しいが、やってみます」


 夜が明ける頃に、地上に戻る。魚のことなら、喜平か末次に訊くに限る。

 家を知っているので、酒の一升を持って末次の家に顔を出す。

 漁から帰って朝風呂を浴びて来た末次に会えた。

「末次のお頭、お久しぶりです。今日はちょっとお知恵を借りたくて参上しやした」


 今日の末次は機嫌がよかった。

「何でい、この年寄の頭でわかる内容なら、教えてやるよ」

「江戸湾で獲れる魚で、コノシロ以外に縁起の悪い魚って、ありやすか?」


 末次はちょいとばかし意外そうな顔をする。

「縁起がいい魚じゃなくて、縁起の悪い魚けえ」

「へえ、そうなんです。上方くる変わり者の客人が、シビのような縁起の悪い魚を食いたいと、駄々を()ねているんでさあ。ただし、コノシロは駄目だそうで」


 末次は素っ気ない態度で告げる。

「何でえ、偏屈(へんくつ)な客だな。それなら、アナゴを食わしてやりな」

「アナゴって縁起が悪い魚なんですか?」


 末次が暗い表情で語る。

「町人にとっては縁起が悪いもへったくれもない。だが、漁師にとっては縁起が悪いんだよ。アナゴは何でも食う。だから、水死体も喰うんだ」

「それは、気持ち(わり)い。もとい、縁起が悪い」


「俺も水死体から大量のアナゴが出てきたのを拝んだら、アナゴが喰えなくなっちまった」

 末次の家を後にする。翌朝、早起きして喜平が来るのを待つ。

 魚屋の呼び声が聞こえたので、呼び止めて喜平に訊く。

「喜平さん。アナゴってあるけえ」

「アナゴけえ? 今日は仕入れてねえな。大量に揚がる魚ではねえが、滅多に揚がらない魚でもねえ。明日でよければ、買い付けてきてやるよ」


 翌日、喜平が家に来たのでアナゴを見せてもらう。

 アナゴはぬるっとして細長い体をした魚だった。

「これが、アナゴけえ。鰻に似てらあ」

「食べ方もだいたい一緒だよ」

 内臓を取ってもらう。(あぶ)って山椒味噌で食べると、美味しかった。


(今の時季は、まだ暑い。酢で締めるだけの調理法は止めたほうがいいな。鰻と同じように調理できるのなら、焼いて醤油タレを塗る調理法が使えるな)

 翌日、喜平からアナゴを仕入れて骨と内臓を取り除いてもらう。

 醤油タレを塗って焼いてから、酢飯の上に載せて、アナゴ鮨を作った。


 アナゴ鮨を作って、地下御殿に下りて行く。

 化け猫たちの巣くう、古寺に行くと、おシマがいた。

「おう、おシマさん。注文の品のができたぜ。アナゴの鮨だ」


 おシマは渋い顔をして駄目だしした。

「アナゴは鮨にしても美味くないだろう」

「そこはそれ、生の身を酢で締めたんじゃねえ。上方風の蒲焼風にして酢飯に合わせたんでさあ」


 おシマが興味を示す。

「どれ、試しに食べてみようかね」

 おシマが鮨を抓んで口に入れる。

「ほう、これは中々、美味いね。でも、このアナゴ、どう縁起がいいんだい」


「アナゴは漁師に縁起が悪いと嫌われる魚でさあ。何でも、水死体を喰うことがあり、水死体から出てくるそうで」

 おシマは虎之助の話を聞いて、にこにこした。

「水死体を喰うだって。そいつは縁起がいい。なら、注文するよ。七月十七日にアナゴ鮨百貫を宵五ツ(約二十一時)までに弁財入道様のお屋敷に届けておくれ」


「わかりやした。しかとお届けに伺います」

 七月十七日、アナゴ鮨の入った桶を、天秤棒で担いで持って行く。

 屋敷の入口で待っていたおシマが安堵した顔をする。

「鮨がきたよー」と声を上げると、赤鬼の下士が鮨の入った桶を持って行く。


 おシマがほっとした顔をした。

「これで、肩の荷が下りるってもんだよ。この鮨がないと弁財入道様の顔が潰れるからね」

 おシマは鮨の代金として、一朱金で五枚を払ってくれた。

「ちょっと多過ぎやしませんか」


 おシマが気のよい顔で勧める。

「別に私の金じゃないよ。弁財入道様の金さ。いいから貰っときな」

「なら、遠慮なく」


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