第三十話 花菱への支払
何が怖え話かと、考えると、思わず寝てしまった。朝になると頭が冴えて結論が出た。
(これは、噺そのものではなく、花菱さんの話し方や仕草に噺が怖くなる秘訣があるな。秘訣を見つけて教えてやれば、恐屋も調子が戻るだろう)
夜になって尾張徳川家の下屋敷から地下御殿に下りる。そのまま、幽霊長屋に入って花菱の家の腰高障子の前で声を出す。
「花菱さん。花菱さんは、いるけえ?」
腰高障子がすーっと開く。中に入ると花菱が寝ていた。
「恐屋の羽織を調べてきやした。恐屋の羽織は木綿で京都の西陣織。裏地は赤鬼の絵でさあ」
花菱は上半身を起こして、怪訝な顔で確認してくる。
「木綿? 絹じゃないのかい?」
「へえ、恐屋としても、本当は絹を着たかったそうです。でも、最近は町人が絹の羽織を着ていると、贅沢が過ぎるとお叱りがありそうなんで、怖くて木綿だそうです」
花菱は報告を聞くと、素っ気ない態度で訊く。
「そうかい、わかったよ。それで、虎之助は報告だけをしに来たのかい?」
虎之助は腰を低くして頼んだ。
「報告ついでに一つご相談がありやす。どうも、花菱さんの噺はここで聞くと怖えが、俺が他所で話すと怖くねえ。何か秘訣があると思うのですが、教えてはくれねえでしょうか」
「教えてもいいけど、虎之助に教えても修得できるかどうか。それに、教えるのなら、その恐屋に教えたほうが、早いねえ」
花菱の感触は悪くなかった。
(物分かりがよくて、助かる。これは恐屋さんが助かるかもしれねえ)
「わかりやした。なら、恐屋さんに稽古を付けてやってくれやせんか」
花菱が澄ました顔で告げる。
「いいよ。但し、報酬は貰うよ。稽古を付けるお代として、恐屋の寿命を貰う」
(何だって、そりゃ大変な条件が付いたぞ)
虎之助は驚きを隠さず交渉した。
「寿命ですか! 何か、こう、もっと、金とか、食い物とか、衣類になりやせんか」
花菱はつんとした顔で譲らなかった。
「ダメよ。対価は代えられないね。でも、恐屋が私の出した条件を飲むってんなら、保証する。恐屋の噺は、今よりもっと怖くなる」
(花菱が保証するって請け合うのなら、怖くなるんだろうね。でも、支払いは寿命かあ)
地下御殿から戻って朝になるのを待って、恐屋の長屋に行く。
恐屋が朝から七輪を出して、家の前で鰻を焼いていた。
「おう、虎之助さん、ちょっと、待ってくれ。鰻を食べる至福の時間は、邪魔されたくねえんでえ」
恐屋は焼き上がった鰻に山椒味噌を塗って、美味そうに喰っていた。
(それにしても、恐屋さんて、鰻が好きだねえ。鰻やら饅頭をいつも食べているから、こんな丸っこい体になっちまったのかね)
恐屋が鰻を食い終わり、火の始末をしたので、家の中に入る。
「どうしてえ? 今度はどんな話を売りに来たんでえ」
「あっしが怖え噺を調べていったところ、怪談の秘訣に行き当たりやした」
恐屋が冗談だとでも思ったのか、笑って応える。
「怪談の秘訣ねえ。そんなものがあるなら、是が非でも学びたいね」
「ただ、その怪談の秘訣を知るのは幽霊なんでさあ。それで、怪談の秘訣を学びたけりゃあ、寿命を寄越せと命じられました」
恐屋は虎之助の言葉を信じなかった。恐屋は馬鹿にしたような顔をする。
「幽霊が怪談噺のお師匠さん? 馬鹿馬鹿しい。そんな、幽霊に怪談の秘訣がわかるもんならね。幽霊に弟子入りだって、してやるよ」
「本当に幽霊はいるんですって、名前を花菱といいやす」
「花菱」の名前を出すと、恐屋の顔色がさっと変わる。
「え、やだよ。ちょっと、本当にその怪談を教えてくれる幽霊は花菱って名乗ったのかい?」
(態度が変わったな。これは真に受けた顔だあ)
「へえ、何か御存知なんですか」
恐屋が真面目な顔で話した。
「先代がね。ある晩、酒に酔った時にぽろりと零したんだよ。俺には二人の師匠がいる。一人は俺の前の代の噺家の恐屋。もう、一人は花菱だ、って」
(なるほど、やはり、花菱は先代の恐屋を知っていたんだな。しかも、稽古までつけてやったらしい)
「では、先代の恐屋さんも、花菱さんからの稽古を受けたんですか」
恐屋が深刻な顔で意見を述べる
「その危険は充分にあるね。でも、まさか、花菱ってのが、幽霊だとは思わなかったよ」
「で、どうします? その花菱さんに稽古を付けてもらいやすか?」
恐屋は嫌そうな顔で拒絶した。
「嫌だよ。寿命なんか、払いたくないよ。師匠も、きっと花菱に寿命を払ったから、四十で亡くなったんだよ。私しゃ、百まで生きたいよ」
(もっともな反応だな。誰だって、生きてりゃ命は惜しい)
「わかりやした。なら、断ってきます」
虎之助が立ち上がると、恐屋が迷いのある顔で引き止める。
「いや、ちょっと待った。一晩、考えさせてくれ。私も芸に生きると決めた男だ。命を削って覚えられるような芸じゃなきゃ、芸じゃない」
(言うね、恐屋さん。芸に生きる男だねえ)
「なら、花菱さんの話を受けるんで」
恐屋が情けない顔をする。
「でも、早死にたかないよ。寿命は惜しい。だから、一晩、考えるんだよ」
「わかりやした。なら、明日の昼九ツ(約十二時)に、また考えを聞きに来やす」
恐屋が素っ気ない態度でお願いする。
「昼九ツは止めておくれ、明日の昼は恵比寿屋で上方風の鰻をご馳走になる予定があるんだ。昼八ツ(約十四時)にしておくれ」




