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第三話 湯屋の泥棒

 仕事がなくなったので、長屋に帰る。虎之助が蕎麦屋の屋台から食器を出して井戸端で洗っていると、一人の若い女性が寄ってくる。

 年の頃は十八歳。身長は五尺(約百五十㎝)で線の細い体をしている。髪型は丸髷。丸顔で目鼻が ぱっちりした女性だった。服は赤い柄のない着物を着ていた。女性は名をお初といった。

 お初は虎之助と同じ長屋の向かいに住んでいる。江戸に来る前は歩き巫女として各地を廻っていた。


 お初が、にこにこした顔で話し掛けてくる。

「こんにちは、虎之助さん。仕事を回してあげようか」

「それはありがたいね。どんな仕事だい」


 お初が明るい顔で内容を告げる。

「松の湯のご主人の松五郎さんがね、お客の銭を盗む泥棒に困っているのよ。その泥棒を捕まえてほしいんだって」

「風呂屋で銭を盗むって、どうするんでえ? 銭は紐に通して、腰に巻き付けて風呂に入るだろう。()りようがねえよ」


 お初がさも興味あり気に語る。

「それがね、風呂に入って、湯船から上がると、四文銭が一枚なくなっているんだって」

「盗みって風呂の中でするのけえ? それなら誰か気付くだろう」


「それが、誰にも気付かれないから不思議なのよ」

「盗人なら許せねえが、相当の変わり者だな」


 お初が面白そうに告げる。

「そんでね、番台で用心して看視しているんだけど、犯人がまるでわからないんだって」

「よし、わかった。これが片付いたら、風呂屋に行ってみるよ」


 虎之助は洗い物を済ませる。紐に四文銭六枚を通して、湯屋に向かった。

 湯屋の入口には矢をつがえた弓の看板(湯射るの洒落)があるので、すぐにわかる。

 暖簾を潜って、番台に風呂代と糠袋のお代として十二文を払う。


 番台に主人の松五郎が座っていた。松五郎の身長は五尺三寸(百六十㎝)。茶色の着物を着て、銀杏髷(いちょうまげ)を結った、のほほんとした気のよさそうな三十男だった。


 松五郎に一声を掛ける。

「お初さんに頼まれて来た、口入屋だよ」

「そうけえ。なら、よろしく頼むよ」


 脱衣所で風呂用の褌に着替えて、銭を通した紐を腰に巻いた紐に吊るす。脱衣所から洗い場を通る。湯船と洗い場にある石榴(ざくろ)口(洗い場と湯船を仕切る板)を潜って、湯船に入る。

 あまり長湯をせずに湯船から上がる。湯汲み番から綺麗な湯を貰い、糠袋で体を洗う。

 貰った湯に、洗い場にある水を入れる。湯の温度を整えて体を流す。

(ここまでは問題ねえなあ)


 体を洗いながら、脱衣所を注意していたが、怪しい人間はいない。

 チャリンと音がする。下を見ると、いつのまにか紐の結び目が解けて、銭が(こぼ)れていた。銭を拾うと、三枚残っていたはずの四文銭が二枚しかない。

 よく目を凝らして見るが、銭は落ちていない。


 近くに人はいないので、誰かが拾ったようにも見えなかった。

(確かに、四文銭が一枚なくなった。誰かが俺の銭を拾って持って(けえ)れば泥棒には(ちげ)えねえ。だが、これだと、俺の不注意でよく見えねえところに銭が落ちたかもしれねえ。たかだが、四文銭一枚で騒ぐのもケチ(くせ)えようで、みっともねえか)


 虎之助はすぐに帰らず、風呂屋の二階座敷に上がる。松の湯の二階には風呂上りの客が休憩する有料の休憩場所があった。

 座敷を上がったところにいる三助(湯屋の雑用の男)に利用料の八文を払う。

 松の湯では座敷利用者には薄茶の一杯が出る。だが、菓子は有料で八文する。


 虎之助は薄茶を飲みながら他の利用客の話に耳を傾けた。すると噂話が聞こえてくる。

 渋い顔をした男の客が銭を通して紐を見て愚痴る。

「熊さん。やっぱり、おかしいねえ。四文銭が一枚足りねえ。さっき洗い場で落とした時に誰かに持っていかれちまったらしい」


 熊さんと呼ばれた男も、渋い顔で告げる。

「銭が一枚少ないのは八つあんの思い違えだろう、と言いてえが。実はそうでもねえらしい。ここの湯屋は風呂に入っている間に四文銭が一枚なくなる。俺も同じ目に遭った」


 八つさんが嘆かわしい顔で語る。

「嫌だねえ、こんな近所に人の落とした銭を持っていくような卑しい根性の人間が住んでいると思うと」

 熊さんが脅かすような顔で語る。

「いや、それがね、違うらしいよ。竹次郎さんがね。閉店間際の五ツ刻に風呂に入りにきたら見たんだってよ。四文銭に足が生えて走って行くのを」


(ほう、御府内(江戸)じゃあ、銭に足が生えて逃げていくものなのかあ。道理で銭がなくなるのは早えわけだ)

 八つさんが馬鹿にする。

「そんな、馬鹿な話があるけえ。銭に足が生えるなんて、ねえねえ」

(そりゃそうか、いくら御府内だって。そうそう、銭に足が生えて逃げ出したら(かな)わねえよなあ)


 風呂から上がってさっぱりしたところで、座敷を下りる。

「どうでした」と松五郎が不安な顔で聞いてきた。

「今のところは何とも言えねえ。また夕方に来ます」


 虎之助の話を聞くと、松五郎は、がっかりした。

 家に帰ると、お初がやってきた。お初は興味津々の顔で訊いてくる。

「どうだった? 何か、わかったかい?」

「泥棒は見つけられなかった。ただ、足の付いた四文銭が走って逃げる噂は聞いた。御府内じゃあ、銭に足が生えるのかい?」


 お初は笑顔で勧める。

「普通は生えないわよ。でも、気になるわね。妖怪が怖くないなら、調べてみなさいよ」

「調べるたって、相手は足が生えているんだぜ。俺なら足が生えたなら、すぐ遠くへいっちまうよ。足が生えた段階で、捕まえようはねえ」


 お初は真面目な顔で教えてくれた。

「四文銭が妖怪化して逃げるのなら、逃げる先は地下御殿よ。でも、地下御殿への入口は大きなものならいざしらず、小さな入口は夜にならないと開かないわ」

「何でえ。するってえと、妖怪化した四文銭は暗い場所にじっとしていて夜になったら、地下御殿へ通じる小さな入口を通って逃げ出すってえのかい」


 お初が自信に満ちた顔で提案する。

「おそらく、そうよ。よし、私が妖怪から姿を見えなくする。隠密の札を書いてあげるから、それを持って湯屋に夜中ずっと隠れていなさいよ。何か、わかるかもしれないわ」

「こちとら仕事だ。駄目もとで、やってみるか」


 お初が帰ろうとしたところで、足を止める。お初は虎之助の家の(かまど)を見る。

 お初が苦い顔で注意する。

「虎之助さん、竈が汚れているわよ」

「掃除しよう、掃除しようと思ってはいるんだが、中々、手が出なくてね」


 お初は毅然とした態度で注意する。

「駄目よ。虎之助さん。この国には、竈神、厠神、箒神がいるから、竈は綺麗にしかないと」

「そういうものかねえ」


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