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第二十九話 幽霊の花菱

 お初に恐屋の住む長屋を聞く。恐屋は浅草の長屋に独りで住んでいた。

「恐屋さん。(こえ)え噺を一つ仕入れてきやしたぜ。まあ、聞いてくだせえ」

 恐屋が興味を示して噺を聞く。噺を聞き終わった恐屋が渋い顔で告げる。

「足りねえな。怖え、話ではある。でも、これは、怪談とは呼べねえな」


「金貸しの話は駄目ですかい」

「でも、私が手を加えりゃ、怪談にはできる。だから、買い取り費用は、一緡(さし)でどうでえ」

(話の買い取り費用が一緡か。飴代のほうが高くついちまったが、こればかりは、相場があってないようなものだからな)


 恐屋がむすっとした顔で言い放つ。

「なんでえ、私の値付けに不満けえ。なら、もっと、(こえ)え噺を仕入れてきてくれよ。本当に怖かったら、私は一両でも買うよ」

 再度、飴屋で水飴を一升(一・八ℓ)を買って、夜まで寝て桜を尋ねる。


「桜さん、桜さん、いるけえ」

 桜が機嫌よく出てきてくれた。

「おや、虎之助さん、今度は何の用だい?」


「昨日、教えてもらった怖え噺だ。噺家に聞かせたら、あまり怖くねえから、もっと怖え噺を持ってこいと駄目だしされた」

 桜は冴えない顔で愚痴る。

「だから、一遍釘を刺しただろう。幽霊だから怖い噺を知っているとは限らねえ、って」


「それは、そうだが、他にも怖え噺を知っている奴はいるかい」

 桜は気の良い顔で教えてくれた。

「一人いるね。元花魁の花菱さ。花菱は大の話し上手で、子供たちも人気さ」


「芸達者な幽霊がいるもんだね。なら、ちょいと紹介してもらって、いいけえ」

「あまり、表に出たがらない幽霊だからね。でもいいさ、水飴を持って従いておいで」

「へえ」と返事をすると、桜は五軒となりの長屋の前で声を出す。


「花菱さん、ちょいと、いいかい? 話があるんだ」

「お入り」と声がすると、腰高障子がすーっと開いた。中には立派な布団が敷いてある。寝ていた人が起き上がる。相手は島田髪を結った、骨と皮だけになった透き通るような白い肌の若い女性だった。


 桜がごく簡単に、花菱と虎之助を紹介する。

「こちらは花菱さん。そいで、こっちは口入屋の虎之助」

 虎之助から先に挨拶をする。

「初めやして。口入屋の虎之助と申します。今日は花菱さんにお願いがあって、来やした。どうか、俺に一つ怖え怪談噺を教えてくれやせんか」


 花菱は痩せこけた顔で、不機嫌に虎之助を見つめる。

「幽霊に怪談噺を聞きに来るって、なんの冗談だい。しかも、あんたは噺家でもないだろう」

「へえ、あっしは噺家ではありやせん、口入屋です。ですが、怖い噺を探している噺家の恐屋さんから、怖え噺を仕入れてきてくれと頼まれたんでさあ」


 花菱があまり気の乗らない顔で小首を傾げて訊く。

「怪談? 恐屋? そいつは、何代目の恐屋だい?」

(なんでえ、花菱さん。恐屋を知っているのけえ)

「すいやせん、恐屋としか、わかりません」


 花菱が目を細めて尋ねる。

「なら、そいつの羽織は、どんなんだった」

「へえ、黒の羽織を着てやした」


 花菱は苛っとした顔で乱暴に訊く。

「黒い羽織は当たり前だよ。羽織はよいものを着ていたかい。また、その裏地に模様はあったかい?」

(なんで、怒られなきゃならなんいだ)

「すいやせん、あっしには羽織のよしあしはわかりやせん。また、羽織の裏地も注意して見たわけではないので、わかりやせん」


 花菱はぷいと横を向きくさす。

「使えない男だね」

「それで、噺を教えていただけるんでしょうか?」


 花菱は機嫌がよくなかった。

「手土産は水飴かい。わっちへの貢ぎ物にしては、随分と安いものだね」

「なら、何をもってくれば教えていただけやすか?」


「いや、今回はタダで教えてあげるよ。ただ、今度、恐屋に会ったら、羽織の生地と裏地を調べてきておくれ」

(なんか、これもまた、奇妙な依頼だね。芸の道を行く人間は、よくわからねえや)

「いいかい、話すよ」と花菱は前置きする。


 花菱はある噺家に言い寄られて本気にしてしまい、迎えにくる間に病気で亡くなった遊女の話をした。

 花菱の噺はとても現実味を帯びていて、実際にあった話のようだった。

 噺を聞き終わると、一瞬ぶるっと身震いした。

「いやあ、そんな話があるなんて、もしかして、今の話は花菱さんの身の上話ですか」


 花菱は馬鹿にしたように切り捨てる。

「馬鹿を言いっちゃいけないよ。私はそんな、言い寄られたくらいで男に執着して化けて出るような女じゃないよ。これは花柳界で聞いた噺を元に、私が作ったのさ」

「作り噺にしちゃあ迫力があらあな」


 花菱はつんとした態度で話を打ち切った。

「さあ、もういいだろう。わっちは、もう寝るからね。おやすみ」

 花菱の家を出た時に気になったので、桜に訊く。

「花菱さんって、いつから、この長屋にいるんでえ」

「さあ? 私より前にいるから、二十年以上前だね」


(とすると、怪談噺の遊女が花菱さんだとしても、二十年以上前の話。恐屋は三十前後だから、怪談噺の噺家とは無関係か)

 噺を仕入れたので翌朝に恐屋を尋ねる。恐屋に花菱から教えてもらった怪談噺をする。

 恐屋は食い入るように聞いてから、感想を口にする。

「前の話よりはいい。だが、虎之助さんの仕入れた話は怪談噺ではなく、可哀想な話だよ」

(そう指摘されれば、そうかな。でも、花菱さんから聞いた時には怖え話だったんだよな)


「でも、客に受けそうな話だから、買うよ。銭を持っていってくんな」

 恐屋は二緡(さし)の銭を差し出した。

「ところで、一つ聞きてえんだが、恐屋さんの羽織って生地は何で、裏に模様が入っているけえ」


 恐屋はにやりと笑い自慢する。

「なんでえ、気になるかい。これは、伊勢屋の木綿で、染めは京都の西陣。裏地には赤鬼の絵が入っている」

「随分と立派な羽織なんだねえ」


 恐屋は忌々しそうに語る。

「そうでもねえよ。裏地も生地も小粋な先代の真似して絹を使いたかった。だが、今のご時勢、侍でもねえのに絹の羽織なんて着ていたら、お咎めがありそうで怖くて着られねえ」

「今の大樹(将軍)様は華美な生活が嫌れえだからなあ」

「そうさ、参っちまうよ」


 恐屋の長屋を後にする。

 虎之助は花菱の話が怖い話だと思ったので、確認するために御隠居の家を尋ねる。

「御隠居、すいやせんが、一つ怪談噺を聞いてくれやせんか」

 御隠居は虎之助の言葉に面喰らった。

「なんでえ、藪から棒に」


「噺家の恐屋さんから怖い噺を仕入れてきてくれと頼まれやした。でも、仕入れてきた怖い噺が、怖くねえと値踏みされました。そこで、御隠居の意見を聞きたいんでさあ」

「怪談はあまり聞かないから、素人の意見になるよ。それでもいいなら、聞いてあげるよ。話してごらんよ」


 虎之助は花菱から仕入れた怪談噺をする。御隠居は眉間に皺を寄せて黙って聞いていた。

 噺が終わったので「どうでしょうか」と尋ねる。

「怖いような、怖くないような噺だね。でも、私には悲惨な噺にしか聞こえなかったね」

(あれ、御隠居も恐屋と同じような感想になったね。でも、俺が聞いた時には怖かったんだよな)

 虎之助は何が怖い噺なのか、わからなくなった。

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