第二十八話 悩める噺家
その日、朝食が終わって洗い物をしていると、お初と会った。
お初が明るい顔で頼む。
「口入屋の虎之助さんに、ちょっと変わった頼みがあるんだけど、いいかしら」
「なんでえ、どんな頼みでえ」
「松の湯の二階でね、客寄せのために、噺家の恐屋さんが怪談をしているのよ」
「休憩用の座敷で怪談噺を聞かせているのは知っているぜ。俺は聞いた覚えがねえがな」
「その恐屋さんなんだけどね、得意の怪談噺が怖くなくなったと、悩んでいるのよ」
(噺家の悩みが、どう仕事に結びつくのか、よく見えねえな)
「そりゃあ、怖くねえ怪談噺には価値がねえからな」
「それでね、馴染みの客も離れていっているのよ。そこで、どうにかしてほしいって頼みなのよ。できる?」
「なんか、変わった仕事だね。だが、やりもしねえで、できねえとは断らねえよ。よし、今日は松の湯に行ったら、恐屋の怪談を聞いてみようじゃねえか。まずは、聞いてからだ」
暮六ツ時に風呂に入りに行く。番台の松五郎さんに声を掛ける。
「松五郎さん、今日は恐屋さんの怪談噺ってあるけえ」
「あるよ。今から風呂に入れば上がる頃に聞けるよ」
「そうけえ、やっぱり、恐屋の怪談って怖いのけえ」
松五郎の表情が曇る。
「怖い、と褒めたいところだけどねえ。最近は芸に張りがないっていうか、あまり受けがよくねえんだよ。お初さんの手妻のほうが人気さ」
「そうけえ、噺家さんも大変だな」
一風呂浴びて、二階の休憩用の座敷に上がって、八文を払う。
萌黄色の襦袢を着て、上から黒い羽織を羽織った、三十くらいの男が階段を上がってくる。男の身長は五尺五寸(約百六十五㎝)で、小太りな体型をしており、髪は綺麗な小銀杏髷を結っている。
(あれが、恐屋か。少々太っているが、見るからに噺家さんだね、格好は様になっているな)
恐屋は奥のほうの空いている場所にちょこんと座る。
客の入りは三十と、松の湯の二階にしては、まずまずだった。
「ええ、それでは、陽が傾き、よい頃合いになってきました」
恐屋は軽く枕の噺をすると、化猫が油売りを騙し取って喰おうとする話をする。
恐屋の仕草や話し方は関心を惹き、仕草は丁寧だった。
(なんだ、あんまり怖くねえな)
化猫の話はよくできた噺に感じた。だが、それほど怖いものに感じなかった。
最後に話を終えると、二階座敷はしーんとなっていた。
恐屋が一礼をして一階に下がっていく。
恐屋がいなくなると、常連たちが話し始める。
常連客の顔は誰しも渋かった。
「いやあ、なんだろうねえ。前は、もっと恐屋の話って、怖かったよなあ」
「そうそう。さーっと汗が引くような怖さがあったよ。でも、今はなあ」
(ありゃ、散々な言われようだね、恐屋さん。全然、怖えって声が聞えてこねえ)
一階に下りて、松五郎に尋ねる。
「恐屋さん、どこでえ」
「恐屋さんなら、台所だよ。あの人は演目が終わったら、いつも軽く何かを喰ってから帰るからね」
松の湯の台所に行くと、恐れ屋は饅頭を喰っていた。
「恐屋さん。お初に頼まれた口入屋の虎之助ってんだが、今、いいけえ」
恐屋はちらりと虎之助を見て不機嫌に口走る。
「ちょっと待ってくれよ。私は今、食事中だよ。演目が終わった後に食べる饅頭の美味いこと、美味いこと、演目の後の饅頭は止められないね」
(恐屋は相当に饅頭が好きなんだな)
恐屋は饅頭を食べてから向き直る。
「それで、口入屋さん。私の怪談、どうでした。怖かったかい?」
虎之助は偽らざる感想を口にした。
「正直に言いますが、その、今一でした」
恐屋はしょんぼりする。
「やはり、そうけえ。私もあちらこちらで、怪談をやらせてもらっているんだけど、評判がよくねえ。書入時なのに、声があまり掛からずに寂しくてね」
「でも、あっしは噺について助言できることなんて、ありやせんぜ」
恐屋は弱った顔で依頼してきた。
「私の評判が落ちてきたのも演目に原因があると思うんだよ。ほら、同じ怪談なんて、二度か三度も聞けば、飽きちまうだろう。だから、怖い話を仕入れてきておくれ。仕入れてきてくれたら、噺を買うからさあ」
(怖い噺の仕入れねえ。変わった仕事だが俺以外にやる奴いねえだろうな)
「わかりやした。御期待に応えられるかどうかわかりやせんが、やってみやす」
虎之助はその日は帰って寝る。
翌日、飴屋に寄って水飴を一升(一・八ℓ)買って夜を待つ。
水飴の甕を持って、尾張中納言下屋敷に行き、地下御殿に下りる。
下りた先は祠になっていた。祠から出ると、人魂ただよう墓場の真ん中だった。
墓場を抜けて、幽霊の桜が住む幽霊長屋を目指した。
開いている木戸を通ると、子供の笑い声だけが聞こえる。
「桜さん? 桜さんは、いるけえ? 虎之助でえ」
子供の声が、ぴたりと止む。
長屋の腰高障子の一つがすーっと開いて、桜が出てくる。
桜が不思議そうな顔をする。
「いつぞやの、口入屋さんかい。今日は何の御用でえ」
「まず、これを、手土産で子供たちのために水飴を持ってきやした」
桜が手土産を怪しむ。
「それは、ご親切に。でも、タダじゃないんだろう」
「そこはそれ、怖え噺を教えてくだせえ」
桜が不思議がる。
「怖い噺だって? 何で、そんなものを私に聞くんだい」
「そりゃあ、桜さんは幽霊だから、怖え噺をいくつも知っていると思ったんでさあ」
桜が怒って小言を言う。
「あんたねえ、幽霊だからって怖え噺を知っているって考えるは偏見だよ。幽霊だって、怖い噺を知らない奴は大勢いるのさ」
(あれ? これは当てが外れちまったかな)
「そうなのけえ。これは見込み違いだったか」
桜は渋々の体で告げる。
「でも、手ぶらじゃなく、きちんと手土産に水飴を持ってきたんだ。怖い噺の一つくらい教えてあげるよ」
桜は長屋に入るので従いて行く、
桜の家は、茶箪笥と布団くらいしかない、こざっぱりした部屋だった。
「いいかい。じゃあ教えるから、よくお聞き」
桜はある金貸しに起きた悲劇を語った。聞き終わって、虎之助は一瞬、身震いした。
「なるほどねえ。結局、一番怖い存在は幽霊じゃなくて、金に眼が眩んだ人間ってことけえ」
桜は真面目な顔で教える。
「そうだよ。私らまっとうに死んでいる幽霊より、生きている人間のほうが欲が強い分、よっぽど怖いのさ」
「なるほど、こいつは勉強になったな。よし、さっそく恐屋に教えてやろう」
水飴を置いて家に帰る。その日は、夜四ツ前に帰れたので家で寝た。




