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第二十話 幽霊と水飴

 尾張徳川家の下屋敷に帰ってくると、夜四ツ(約二十二時)を知らせる鐘が聞こえた。

「こりゃ駄目だ。江戸中の木戸が閉まっちまった」

 どうにかならないかと辺りを見回す。勤番長屋の台所から薄ぼんやりと明かりが漏れていた。

(駄目元で台所の前で声を掛ける)


 腰高障子の前で声を出す。

「夜分遅くに、すいやせん。ごめんくださいやし、誰かおられませぬか」

 少しの間を置いて、障子が開くと、以前に茶をご馳走してくれた下士がいた。

 下士は虎之助の訪問に驚いた。

「おや、いつぞやの口入屋さん。どうしたんだい、こんな夜更けに」


「へえ、すいません、急に飴が入用になったものですが、飴を分けてもらうわけにいきませんか?」

 下士は面倒がらずに教えてくれた。

「いいよ。ちょうど、国許に大勢、帰ったあとだからね。山里殿が置いていった水飴が残っているよ」


「へい、水飴を分けてくだせえ、おいくらですか?」

 下士は機嫌よく水飴を分けてくれた。

「銭は要らねえよ。水飴を置いてった人間は山里殿だからね。山里殿だったら、虎之助さんになら喜んであげただろう。邪魔だからどうせなら、全部持っていっとくれ」


 下男は三斤(約一・八㎏)の甕をくれた。

 中を見ると、まだ、半分ほど水飴が入っていた。

「ありがとうございます」

「拙者はもう、寝るから。お休み」


 水売りの屋台を土蔵の前に置く。

 虎之助は水飴が入った甕を持って地下御殿の墓場に降りる。桜がいた場所で声を上げる。

「桜さん、水飴が手に入ったぜー」と声を上げると、桜の代わりに胡蝶が現れた。


 胡蝶は感心した顔をする。

「よく、こんな夜更けに飴が手に入ったねえ」

「俺も無理かと思ったが、運がよかった」

「そうけえ、ならこっちだよ。従いておいで」


 胡蝶は墓地の外で出て行く。

「墓地の中にいないのけえ」

 胡蝶がうんざりした顔で事情を話す。

「墓地は静かな場所だったよ。だから、幽霊が多く住んでいた。だが、地上との出入口ができたから、今は気性の穏やかな幽霊と子供の幽霊は長屋に引っ越しているよ」


「幽霊も長屋暮らしねえ」

 胡蝶が寂しさを滲ませて語る。

「将軍が江戸に来て、地下御殿も変わっちまったってことさ」


 胡蝶が表通りから裏長屋に行く。子供の泣き声だけが聞こえる不思議な場所に出た。

「桜ー、桜ー。虎之助が水飴を仕入れてきたよ」

 胡蝶が声を上げると、桜がすーっと現れる。桜は頭巾を外したが顔は崩れてなかった。桜は髪を結っていないものの、切れ長の眼をして、小さな口をした小顔の女性だった。


 桜は丁寧に礼を述べる。

「水飴を手に入れてきていただき、ありがとうございます」

「なに、今回はたまたま手に入った。だが、今日に頼んですぐの入手は難しいぜ。人間の世界では、夜は木戸が閉まって、どこにも行けねえからなあ」


 桜は柔らかい顔で尋ねる。

「無理を頼んで、すいませんでした。恩に着ます。それで、御代いかほどですか?」

「今回の水飴は貰いものだから、銭は要らねえ。次からは一杯四文だ」


 子供の泣き声が止まった。長屋の腰高障子が開き、半透明な子供の幽霊が二十人ばかし出てきて、桜の元に行く。

 子供たちは少しずつでも飴を分けてもらうと、長屋に戻っていった。

「なんだか、侘びしい光景だな」


 胡蝶が悲しげな顔で事情を語る。

「幽霊には私たち妖怪とはまた違う事情があるからねえ」

「そうだ、胡蝶さん、幽霊でも、妖怪でもいい、本草学者を知らねえけえ」


 胡蝶が興味を示した。

「知って、どうするってんでえ?」

「裏当帰を地上で育ててえが、地上じゃ、うまく育たねえ。何か秘訣があるとは思うんだが、それが一向にわからねえ。その秘密を聞きたいんでさあ」


「私にとっては、どうでもいい話――と捨てておきたい。だけど、虎之助は桜のために水飴を持ってきたからねえ。いいだろう。従いておいで」

 胡蝶は虎之助を連れて歩き出した。

「今日はお客がなかったんですが、やはり俺は避けられておるんですかねえ」


 胡蝶は素っ気ない態度で教えてくれた。

「人間が弁財入道の裏当帰をごっそり持っていっただろう。だから、人間に対して警戒するように触れが出たのさ」

「なるほど、それで、俺のところに客が来なくなったのか。いい迷惑だぜ」


 胡蝶はうんざりした顔で内情を告げる。

「こっちも迷惑さ。弁財入道は今回の一件で裏当帰の栽培から手を引くってんで今、畑から裏当帰を引っこ抜いて大豆畑に戻す作業で、おおわらわさ」

「ほうぼうに影響が出ているんだな」


 胡蝶が連れて来た場所は、地上でいえば虎之助の長屋がある場所だった。

(地上でいえば御隠居の家がある場所だな)

 胡蝶が呼びかける。

「御隠居、御隠居」

(なんでえ、地下のこの場所にも御隠居が住んでいるのけえ)


 顔に緑の毛がわさわさと生えた、身の丈約四尺七寸(約百四十㎝)の茶色い着物を着た妖怪が出てくる。

(まるで、苔の妖怪みてえだな)


 妖怪のご隠居は虎之助を警戒した様子もなく訊く。

「お客と思ったら、胡蝶さんかい。どうしてえ?」

「裏当帰があるだろう。人間が地上で育てたいらしいんだけど、上手く行かないそうだ。なんぞ秘訣でもあるそうだが、何か知らないけえ」


 妖怪の御隠居は目を細めてじろじろと虎之助を見る。

「秘訣はある。だが、それを人間に教えていいかは迷うねえ」

 虎之助は腰を低くして頼んだ。

「そこを何とか、教えていただくわけにはいかねえでしょうか」


 妖怪の御隠居はあっさりした態度で条件を提示した。

「なら、この市谷の地下に出る狼の妖怪を退治してくれれば、教えよう」

 胡蝶が苦い顔で意見する。

「御隠居、そんな無茶ですよ。虎之助に狼の退治なんて」


「地下御殿に出る狼ってどんな狼なんでぃ」

 胡蝶が困った顔で説明する。

「全長が一丈、目方が百貫。弓矢を弾き、皮は槍刀を通さない。人の言葉も解する頭もいい狼だよ」

「そんなの、倒しようがねえでしょう」


 妖怪のご隠居はぷいと横を向いて発言する。

「なら、諦めるんだね」

「いや、諦めねえ。俺は、やりもしねえで諦めるのは大嫌(でえきれ)えだ。やってやりやしょう、狼退治」


 妖怪の御隠居は大きく構えて、笑みを浮かべる。

「ほほう、言うねえ。なら、狼を退治したら、またおいで」

 胡蝶と一緒に妖怪の御隠居のいた家を出る。胡蝶の表情は冴えなかった。

「虎之助や。本当に狼退治をするのけえ?」

「おう、やってやるよ。ただし、ちょっと訊きたい話がある。狼の大好きな物はわかるけえ」


 胡蝶は真面目な顔で教えてくれた。

「狼は大の酒好きだよ。酒なら、一升でも二升でも飲める」

「嫌いなものは、わかるけえ?」


 胡蝶はちょっとだけ考える素振りをした。

「何よりも負けず嫌いさ」

「ってことは、飲み比べで勝負すりゃ乗ってくるけえ」


 胡蝶の表情は晴れない。

「乗ってはくるだろうけど、虎之助が勝てるとは思えないねえ」


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