第十九話 欲深きは人間か、妖怪か
働かなくてもまだしばらくは暮らせるが、なにもしないと暇をもてあますのが人間。
虎之助は地下御殿に水売りに行く。いつもの妖怪相手に水を売っていると、豆吉とばったり遭った。
豆吉はにこにこ顔で挨拶してくる。
「おっと、久しぶり、虎之助さん。しばらく見なかったね」
「裏当帰を弁財入道から仕入れて転売して稼いだからね」
豆吉は渋い顔で警告した。
「おっと、虎之助さん。今、裏当帰の話は地下御殿ではしないほうがいいねえ」
「なんでえ、なにかあったのけえ」
「裏当帰が金になると知った人間が、弁財入道様の薬草蔵から、ごっそり裏当帰を盗んで行ったんだよ。それも、一俵(約六十㎏)とか二俵とかの単位ではないらしい。それで、もう弁財入道様は、かんかんさ」
(欲張りすぎるから、こういうことになるんだよな。でも、まあ、弁財入道も運のないこって)
虎之助はいささか弁財入道に同情した。
「あんな高いものを俵単位で持っていかれたら、それは腹も立つさなあ」
「そうさ。だから、屋敷に近寄るのも、やめたほうがいいよ」
「教えてくれて、ありがとうな豆吉さん、恩に着るぜ。水しかねえけど、飲んでいくけえ」
「ありがたいねえ。じゃあ、一杯もらおうか」
虎之助は砂糖倍増しの水を奢った。
豆吉は、しんみりした顔で愚痴る。
「あと、ここだけの話だが、俺としては、畑を裏当帰から大豆へとまた作物を元に戻してくれれば、美味しい豆腐ができるから、嬉しいんだけどね」
(こっちはこっちで、悩みは切実だねえ)
御府内(江戸)に戻ったので、尾張屋の荘左衛門を訪ねる。
「ちょっとごめんよ。小耳に挟んだんだけど、裏当帰の価格が下落しているんだって」
荘左衛門は少しばかり驚いた。
「耳が早いですね。でも、下落ってほどではないですよ」
「なんでえ。大量に裏当帰が流れたんじゃないのけえ」
荘左衛門苦笑いして事情を話す。
「ほとんどは、大樹様(将軍のこと)の薬草蔵行きですよ。そこからのおこぼれが市中に出回っているんですよ」
「なんでえ、大樹様は薬草が好きなのけえ」
荘左衛門は笑顔で教えてくれた。
「大樹様は薬草園の整備に力を入れるって話もありますからね。その一環として珍しい薬草を集めているって話ですよ」
「なるほどねえ。てっことは御城も地下御殿への入口が持っているってことかい」
「そりゃ、あるでしょうよ」
帰って寝ようとして、長屋に帰ると、お初が尋ねてきた。
「御隠居が口入屋の虎之助に仕事があるって、捜していたわよ」
(はて、なんだろう。御隠居の頼みだ。無下にできねえ)
「ありがとうよ」
「じゃあ、私は手妻の興行があるから、留守にするから」
「はいよ、行ってらっしゃい」
眠る前にご隠居の家に行く。座敷に上がると、御隠居がお茶と羊羹を出してくれた。
「御隠居、仕事の内容はどんなんですか?」
御隠居が穏やかな表情で語る。
「裏当帰がらみの話だよ。裏当帰じゃが、御城では種の入手に成功したそうだ」
「それなら、栽培できやすね」
御隠居は腕組みして難しい顔で話す。
「それが、そう簡単には栽培できねえそうだ。なんでも、地上で普通に育てても、細い茎にしかならず、花も実も小さいそうなんだよ」
「地下御殿と地上じゃ、環境が大きく違えやす。影響も大きいんでしょうね」
「本草学者が色々と調べているんだが、まだ因がよくわからないそうなんじゃ」
「栽培は簡単にいきやせんか」
御隠居がそこで真面目な顔をして、頼む。
「そこで、どうしたら、裏当帰が順調に育つか調べてはくれまいか」
(難しいが、ここで断るようじゃ男が廃るか)
「わかりやした、挑戦してみやす」
家に帰って一眠りしてから、屋台を担いで水売りに行く。
だが、お客の姿は見えなかった。客を探して、堀端の辺りに移動してみる。だが、妖怪は虎之助を避けるように、寄ってこない。
(こりゃあ、避けられているね)
弁財入道の屋敷に近づくなと忠告されていた。なので、忠告を頭に入れながら場所を変える。
(尾張徳川家の下屋敷の地下にも地価御殿に行く階段があったな。尾張下屋敷の地下は、どうなっているんでえ)
屋台を担いで尾張下屋敷の地下に行くと、そこは広大な墓地になっていた。
(ほー、これまた、幽霊や妖怪が出そうな佇まいだな)
墓地を覗くと、ふわりふわりと人魂が漂っている。
(人魂は水を飲まないだろうな。せっかくの火が消えちまう)
それでも、幽霊が近くにいれば出るだろうと思い、呼び声を上げる。
「みずやー、みず、ひゃっけー、ひゃっけー」
しーんとした墓場に水売りの声が響くが、誰も返事をしない。
「ここも商売になりそうもねえか」と思うと、背後から急に女の声がした。
「飴を売ってくれませんか」
振り向くと白い死装束を着た髪の長い女がいた。女は頭巾を目深に被り、顔を隠していた。女の身長は五尺(約百五十㎝)あったが、足元にいくにしたがって色が薄くなっていたので幽霊だと思った。
「俺は水売りだから、飴は売ってないね。砂糖なら、あるよ」
女の幽霊は悲しげな声で話す。
「水はお腹を壊すから、嫌です」
「わかったよ。なら、一日、待ってくれ。明日、飴を仕入れて売りに来るから」
女の幽霊は切実な声でせがんだ。
「駄目です。今すぐ欲しいんです」
「ない物は、売れねえよ」
すると、おんなは頭巾が取れた。頭巾の下には、崩れかかった世にも恐ろしい女の顔があった。
「飴を寄越せー」と女の幽霊が恐ろしい声で叫ぶので。
「ない物は売れねー」と負けずに腹から声を出して叫び返す。
虎之助の声があまりにも大きかったので、女の幽霊はびくりとなり「怖い」と零す。
虎之助の声が聞こえたのか、なにもない場所からすーっと胡蝶が現れた。
「男の怒鳴り声が聞こえたのかと思えば、虎之助かい。それに幽霊の桜とは妙な組み合わせだね」
虎之助は愚痴った。
「聞いてくれよ、胡蝶さん。そこの桜さんが飴がないっていうのに飴を売れって叫ぶんだよ」
桜は弱気な態度で主張する
「だって、子供たちのために、飴がほしいんだもの」
「えっ、ガキのため?」
胡蝶が弱った顔で意見を述べる。
「桜は子煩悩だからね」
桜はしょんぼりした顔で告げる。
「子供が水売りの声を聞いて甘い物を欲しがるんだよ。でも、水は子供の体に悪いだろう。だから飴が欲しかったのさ」
(幽霊でも腹を壊すのか? よくわからねえな)
「なんでえ、俺のせいけえ。まあ、それなら、ちょっと待ってな。今、飴を探してくるから。でも、夜中だからな。手に入るかな」
虎之助は墓地にある地下御殿の出入口から、尾張徳川家の下屋敷に戻った。




