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第十六話 猫と冷水

 店の奥から線の細い身長五尺(約百五十㎝)の男性が出てくる。男性は表情が穏やかで、綺麗な本多髷を結った三十くらいの男性だった。

 徳之丞が笑顔で語る。

「父上、いらっしゃい。今日は遊びにいらしたのですが」

「いやあ、仕事の話だよ。実は薬草の大幅値引きをお願いしたい」


 徳之丞は乾いた笑いを浮かべ尋ねる。

「それは、困りますね。訳を詳しく話してください」

「そこにいる虎之助がよく効く下痢止めの処方箋を手に入れてね。それで、お腹を下して苦しむ人々を救いたいんだ。ただ、薬草は高価で薬を作ると一朱は貰わないと割りに合わなくて困っている」


「それで、どうにか安くという要望でしょうか。どれ、その処方箋を見せてください」

 虎之助が見せると徳之丞はうんうんと頷く。

「変わった薬草を二つ使いますね。でも、これは素人が一朱で売っても損をしますよ。初期出捐(しゅつえん)と手間賃を計算に入れていねえでしょう」

「確かに、入れてなかったわ。そうするてえと、まだ高くなるなあ」


 徳之丞が真面目な顔で提案した。

「ふむ、なら、どうでしょう。この処方箋を尾張屋が五両、いや十両で買いましょう」

(よく効く薬の作り方ってのも、大金になるんだな)

「でも、薬は高く売るつもりでしょう?」


 徳之丞が真面目な顔で意見する。

「もちろん、利益は頂きます。ですが、私どもなら、もっと安く作れます。そうですね、二百文までなら落とせる」

「それなら、庶民の手が出ない値段じゃねえな。よしわかった、ならこの処方箋を尾張屋さんに売ろう」

 虎之助が処方箋の代金として十両を受け取ると、徳之丞が控え目な態度で切り出した。


「実は、これとは別件でお話があるのですが、いいですか」

(おっと、交換条件ってやつかい。これだから商人は安心できねえ)

「俺は口入屋ですから、依頼なら引き受けますよ」


 徳之丞は虎之助とご隠居を店の奥座敷に上げた。

「虎之助さんは聞いたところによると尾張中納言(徳川宗春)様から地下御殿への出入御免を賜ったとか」

 地下御殿のことについては蔵奉行の牛込からは口外するなと命じられていた。

 なので、答えに窮すると御隠居が答えた。

「いかにもそうじゃが」

「御隠居。教えていいんですかい」


 御隠居は飄々とした顔で教えてくれた。

「虎之助は知らないが、尾張屋は尾張徳川家とも関係が深い。徳之丞は知っているのじゃよ、地下御殿のことを」

「何でえ、そうだったんですけえ」


 徳之丞が真面目な顔で依頼してきた。

「それでなんですが、地下御殿には裏当帰と呼ばれる薬草が生えていると本草学者がいうのです。この裏当帰を、どうか手に入れてきてください」

(薬草取りか、俺は学がないからちと難しいな)


 虎之助は正直に話した。

「難しいと思いますよ。あっしは学者じゃねえんだ、当帰と芍薬の区別もつきませんぜ」

 徳之丞は頭を下げた。

「そこを何とかお願いしたい」


 御隠居の顔を見ると、引き受けてほしそうにも見えた。

「わかりやした。薬を値下げしてもらった分の恩がある。何とかやってみますぜ」

 地下御殿のことなら妖怪に聞くに限る。ただ、鮨は売り上げが落ちていた。

なので、興味を持ってもらうために、水売りの屋台を準備する。


 水売りの屋台を担いで、夜に地下御殿に下りてゆく。

「水、水、ひゃっけぇー、ひゃっけぇー」

 水売りの売り声を上げながら歩く。


 青い着物に草履を履いた身長五尺(約百五十㎝)の牝猫の妖怪がよってきた。

 猫の妖怪は虎之助を馬鹿にした。

「お兄さん。水なんて井戸を汲めば好きなだけ飲めるよ。水なんか売れはしないよ」

「ただの、水じゃなぇんだよ。御府内の水さあ――ってのは冗談で。俺が売る水には砂糖と白玉が入っている。それで四文さ」


 猫の妖怪の髭がひくひくと動く。

「ほう、甘いのかい。それなら、飲んでみようかね」

 猫の妖怪は古びた四文銭を一枚、ひょいと出した。

「まいどありい」と虎之助は妖怪の目の前で、金属製の椀に水に砂糖と白玉を加えて出す。


 猫の妖怪はちびちびと水を飲む。

「確かに甘いねえ。また、容器がひんやりしていて冷たく感じるねえ。この白玉もいい。だが、もう少し甘いほうがいいねえ」

「砂糖倍増しなら二文、砂糖三倍増しなら四文でさあ。白玉の倍ましもできるよ」


「追加料金で、甘くできるんだね。それは、いい商売だ」

「砂糖を三倍で」と猫の妖怪はもう四文出したので、砂糖を加える。

「甘い、甘い」と猫の妖怪は美味しそうに水を飲む。


「何でぇ、お客さん。甘い物好きなんですけえ」

「そうさ、砂糖なんて地下御殿じゃ滅多に手に入らないからね。それに、私は猫だろう。熱い甘酒は飲めないのさ」


「そうけえ、それは難儀なことだ」

 猫の妖怪は気分もよく告げる。

「お兄さん。これから、うちらの集会があるんだけど、集会場に来るかい?」


「お客さんが紹介してくれるんですけえ。そいつは有りがてえ」

 猫の妖怪は意地悪く目を細める。

「でも、とって喰われても知らないよ」


「そんときは、そんときでさあ、もう屋台が来なくなるだけだと思ってくだせえ」

「肝が据わっているね。じゃあ、案内するよ。あと、私のことはシマと呼んでくれ」


 おシマは西に向かって歩いて行く、しばらく歩くと、四百坪の敷地に建つ古寺が見えてきた。おシマはそのまま寺の本堂に入っていく。

 本道には仏像はないが、猫が四十ほどいた。おシマを見ると、猫たちがにゃーにゃーと鳴き出す。その内、猫たちは着物を着て二本足で立つ姿に次々変わる。


「今日は面白いものを見つけたから連れてきた。水売りだよ」

 猫の妖怪の一人がおシマに訊く。

「水売りって、あの竹の容器に水を入れて売っているあれですけえ?」

「そうだよ」


 別の猫の妖怪が他の猫の妖怪に感想を告げる。

「そんな、水なんかに金を出すなんて馬鹿らしいよな」

 虎之助は威勢よく言い返す。

「馬鹿らしいか、どうかは、飲んでから言ってくれ。一杯、四文だ」


 猫たちは馬鹿にしたようにひそひそと話しあう。

 だが、そのうち物見高い強い一匹の猫が出て来る。

「よし、なら、一杯もらおうか」


 銭を受け取り、水に白玉をと砂糖を入れて出す。

 飲んだ妖怪の顔が綻ぶ。

「これか。これで、甘え。甘え。と人間が喜んで飲んでいたのか、納得がいったわ」


 最初の一匹が手を出すと、二人目の猫の妖怪も客になる。

「なるほどね、これなら、水売りが成立するわけだ」

 二人目が出ると、三人目の客が出る。三人目の客が出ると四人目の客が出る。

 そのうち、砂糖も白玉も売り切れた。


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