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王様のいない王国

こんにちは。この世界では既に人類は滅んでおり、姿は似ているものの決定的に異なる部位を持つ亜人が、龍の骸が放置された世界で生きています。

亜人の簡易的な説明

エリュー

獣の耳と尻尾が付いた亜人です。

オルク

桃色の肌に低い鼻。豚に似た亜人です。

レプトイ

爬虫類に似た巨漢の亜人です。

ドワーフ

赤い鼻に小さい樽のような身体の亜人です。

エルフ

細身で特徴的な耳尖り、身体のどこかに結晶が生えている亜人です。

フォーコン

小柄で細身、背中に翼を持ち頭部に飾り羽を持つ亜人です。

詳しい各種族の習性は、二人が旅を進めるごとに説明していきます。

 山をも越える高さを飛翔し、地上の景色がみるみる変わっていく様は、何度経験してもなれないものだ。


 エリュー特有の獣の耳と尻尾を持った少年ハーヴィは、固い鱗にしがみ付いて断続的に襲ってくる風に耐えながら思った。


 こういうときだけは、自身の垂れた耳を便利に感じる。故郷では折れ耳などと馬鹿にされていたが、意外に役に立つのだ。


『ねえ、こっちの方角であってるの?』


 不意に脳に響くような声が届く。口調こそ落ち着いた女性のそれだが、声音は随分と可愛らしい。声の出処は不明だったが、しばらく旅を共にしているハーヴィには、声の主は自分がしがみ付いているこの巨体であることが分かっていた。


「ちょっと待て……うん、合ってる。大きな川に広い平原、グネグネと曲がった道、この調子だと昼には確実に到着だ」


 頭の中の地図と目下に広がるランドマークを照らし合わせて、確認。どうやら修正の必要もないほど、彼女は正確に飛んでくれていた。


 一仕事を終えたハーヴィはなるべく風に逆らわないよう頭を上げる。視界に飛び込んでくるのは、空の果てしない青、次いでしがみ付く銀色の鱗だ。


 堅牢な巨躯、長い頭に大きな翼、後ろを振り向けば丸太のような尾が上機嫌に舵を取っているだろう。


 疑う余地もないが彼女は龍だ。ハーヴィが彼女と初めて会った時もそう言っていた。


 昔話で聞いていた龍とはずいぶん印象と図体が違う気がするが彼女が、龍だというのなら信じるほかない。


『あ、あれじゃない? ハーヴィが言っていた国って』


「あれってどれだ」


『あらまだ見えないの? エルーンの目って意外と悪いのね』


「レイ、俺達は空から遠くを見下ろす事なんてないんだ。龍の視力を求められても困る」


『それもそうね。ほら、あの森の途切れ目の向こう。見えてこない?』


 猛烈な風に逆らいながら、目を凝らす。地平線の彼方、確かに大きな壁のようなものが見えてきた。


 それは徐々にはっきりとした形を帯びていき、半刻もしないうちに純白の壁であるということが確認できた。


 見える限りどこまでも続いている壁の内側には、赤茶けた色をした建物が無数に広がっていた。


「いつも通り近くに降りてくれ!」


 久しぶりの街に、興奮を覚えながらハーヴィはレイに声をかけた。


『ねえ、前から思っていたのだけどこのまま国の中に直接入っちゃダメなの?』


「馬鹿っ。い、いつもの入国審査は何のためにあると思ってるんだ。良くて投獄、悪くて死刑だぞぉ!」


 徐々に高度を落とすレイに被り付いて、必死に声を張り上げる。呆れている場合じゃない。直後に着陸の衝撃が身体に響き、下腹部がずんと重くなる感覚。三度の足踏みが終わって、ようやくレイが動きを止めた。


『ああ、あれって意味があってやっていたことなのね。ただの挨拶だとばかり』


「門兵が武装しているのが見えてなかったのか……」


『え、武装?』


「…………」


 思わぬ発言にハーヴィは閉口してしまう。龍の感覚では剣や槍は脅威として認識されないらしい。レイはさらに続けた。


『ああいう格好をするのが決まりだからしていると思ってたんだけど』


「いや、まあ、なんだ」


 ハーヴィは返す言葉も思い浮かばず、苦笑いを浮かべてレイの背から飛び降りた。


 周囲を見渡せば、森の広場に着陸したようだった。


 地面に放置されていた古ぼけた背嚢を掴んで、中身を確認する。


 保存食に雨具、寝袋、魔性石が幾つかと貨幣袋、旅の途中で摘んだ薬草や珍しい鉱石、そして古ぼけた遺跡で見つけたガラクタが一つ、それらが乱雑に詰め込まれていた。いつもの鞄だ。


「さて、それじゃ行きましょ。結構長く飛んだからくたびれたわ」


 背嚢のバランスを調整しながら、声をした方へと振り向くと、一人の少女が立っていた。


 無論、レイだ。龍のよく分からない魔法だか魔術だかで、彼女は自身の姿をある程度変化させる事が出来るらしい。


 これは大変重宝していて、訪れる国で余計なもめ事を避けるのに一役――いや、大いに貢献していた。


 少女にも女性にも見える年頃、ハーヴィと同い歳か少し下くらいの見た目だ。鱗の色がそのまま髪色に反映するらしく、肩口で切り揃えられた銀色の髪が眩しかった。


「おい、レイ」


 ハーヴィは背嚢をしっかりと背負ってレイの方へと歩み寄ると、その側頭部についている肌色の耳をギュッと抓った。


「あだ、あだだだだだっ⁉」


「耳、間違えてるぞ。このまま行くつもりか?」


「く、癖なんだから仕方ないでしょっ! 抓るのをやめなさい!」


 解放されたレイは、真っ赤に染まった耳を抑えながら目を尖らせてハーヴィに抗議の視線を送る。しかし、軽く一蹴され、早くしろと急かされた。


「気の回せないガサツな人ねっ」


 その言葉と共に不思議な文様が空中に投影される。ハーヴィには何がどうなっているのかさっぱりだったが、ともかく超神秘な何かが現実を改変していることだけは何となく理解していた。


 只人の少女の姿はみるみるうちに変貌していき、ハーヴィと同じエリューのそれになっていく。つまり、頭の上に二つの獣の耳が生えていた。


 もちろん、耳が二つ以上ある生物はいない。四つもあるなんてなおさら有り得ないので、彼女の本来の――といっても、人の姿の時の――肌色の耳は消えてしまっていた。


「……尻尾も忘れるなよ?」


「わ、分かっているってば」


 恐らく忘れていたのだろう、ハーヴィの指摘から数秒後に若葉が芽吹くが如く勢いよく、尾が生え出てきた。


 耳と尻尾を指差し確認し、ようやく納得のいったハーヴィは藍色の外套を翻した。


「さて、今回の国はどんな場所だろうな」


 ハーヴィが空から見えた壁の方角に歩みを進める。


「綺麗な国だと嬉しいわね」


 同じ藍色の外套を羽ばたかせながら、レイも続く。しかしお尻の尻尾が気にかかるのか、手で服の裾を上げたり下げたりと忙しない。


「前から思ってたんだけど、その服も魔法とかの類なんだろ? なら、ちょちょいと作り変えて、尻尾用の穴を開ければいいじゃないか」


 実際、エリューの間で仕立てられる衣服は、尻尾を出す穴、もしくはスリットが備えられている。そうしないと非常に邪魔だからだ。


「ハーヴィ、あなたもしかしたら天才?」


「どうだろうな、お前が馬鹿なのかもしれない」


「何だっていいわ! ちょっと試してみるから、あっちを向いていなさい!」


「いや、先に入国審査をだな」


「ちょっと、こっち見ないで! 龍に欲情するなんてとんでもない変態よ!」


「そういう言葉はどこで覚えて来るんだよ……まったく」


 レイの試行錯誤は夕暮れ近くまで続き、二人が入国審査を通過したのはとっくに日が暮れた後だった。


 もはや、街並みを見て回る元気もなかった二人は手短な宿に泊まり、久しぶりの柔らかいベッドで一夜を過ごすのだった。



 朝。この時間帯はハーヴィにとって最も苦手な時間帯だった。二度寝の悪魔に寝かしつけられるのも脅威だが、旅の身にとって朝というのは同時に出発を意味する言葉、そして残り少ない食料事情を自覚する時間、一人で旅をしていた時なんかはこれに加えて得も言えない寂寥感、孤独感を味わっていた。だが今では――。


「見なさいハーヴィ。このスリット、尻尾の太さに丁度だわ! 朝早くから何度も微調整を繰り返した甲斐よ、それに尻尾を自由に動かせるようになってきたし、どこからどう見てもエルーンよね?」


 白と緑を基調にした衣服を着たレイが、自分のお尻を指差しながら誇らしげに騒いでいる。ハーヴィは寝ぼけた頭で何事かと考えたが、目の前にいる龍がうるさいことしか分からなかった。


 西側にある窓を見ると、陽は昇っており少々寝坊したことを悟る。外からは市場の喧騒が漏れ聞こえてきて、ようやく気合が湧いてきた。


「ふんふんふーん♪ どう? 耳もあちこちに動かせるし尻尾も完ぺき、服装ももはや違和感がない……これは世界で一番、変装の上手い龍になったんじゃないのかしら!」


 大層楽しそうにベッドの上で奇妙な踊りを舞うレイ。まるで自分の尾を追いかける犬のようだ。


 ハーヴィは取り敢えず騒がしい少女を無視して、水差しの横に添えられていた桶の濡れタオルで顔を拭った。


 手短に着替え、身支度を整える。踊りに飽きて窓から街の往来を眺めていたレイを小突き、宿の食堂で食事を済ませた。


 新鮮な野菜、豚肉の燻製、乾パンよりはるかに柔らかい固いパン。オーソドックスながら、質の高い食事に舌鼓を打った。国が豊かどうかは、宿の食事を見れば分かる――とは聞いたことがないが、少なくとも貧しい国ではないようで、宿の主人であるオルクのオヤジさんにいくつかの質問を投げ掛けると、どれも良い感触の返答を貰った。


「この国は農業も、酪農もやっていてねぇ。この国の市場には海の魚以外じゃあ、何でもそろうよ」


 フゴフゴと低い鼻を鳴らし、オルク特有のふくよかな身体を揺すって宿の主人は笑った。


 ハーヴィは、今までに見たオルクの中でもとびっきり血色の良いピンクの肌の男だと思ったが、口にするのは止めておいた。


「そうだ、旅人さん。あんた結婚とか考えてないのかい? よかったらうちの娘でも――」


 ハーヴィは頭を振って遠慮しておいた。オルクは他種族との交わりでも子を成せる。宿の主人は冗談だと笑っていたが、目だけはそう言っていなかった。



「さて、どこから見て回る?」


 この国は四方を壁に囲って、三つの区画に分けられているらしく、一つは移住区兼商業区、二つ目が農業区、三つ目は酪農区らしい。この国で消費されるものすべてが、国の中の生産で賄われているらしく、

それでもなお余るので、他国に輸出しているようだ。


 今まで見てきたどの国よりも豊かな国だった。


「私は街を見てみたいわ。全部煉瓦造りなんて素敵じゃない?」


「そうだな、俺も賛成だ」


 まず初めに大通りへと出る。街のどこに行っても地面は丁寧に作られた石畳が敷かれており、幅の広い道には馬車用の轍が設けられている。


 何より見ごたえのあるのは建物だった。どの建物も丁寧に焼成された赤レンガで作られている。背の大きい――恐らく四階建て――全く同じ高さの建物がずらりと並ぶ様は、まるで窯の中に迷い込んだのかと惑わされるほどだった。


 しかし二人の興味は長く続かなかった。大通り歩いた先にあった大きな広場。


 その中央に聳えるこの国の誰かしらを象ったのであろう見事な彫像。


 そして彫像を囲う水豊かな噴水。


 さらにはそこで開かれているバザール。


「ハーヴィ、提案があるのだけど」


 広場の入り口で立ち止まったハーヴィとレイ。


 二人の視線は熱心に屋台を行ったり来たりする。


「奇遇だな、レイ。俺も提案がある」


 その返答にレイはもはや言葉は不要だと感じた。それはハーヴィも同じだった。


 お互いの顔を見合わせて一つ頷く。


 これはもはや全ての屋台を冷かすほかあるまい――言葉にせずとも二人は瞳で語り合っていた。


 どうやら街の観光は明日に持ち越しになったようだった。



 屋台の華といえば、やはり食べ物。甘い匂い、辛い匂い、酸っぱい匂いに、しょっぱい匂い、匂いだけでも万国博覧会の様相を呈したこの広場で、ハーヴィとレイはあらゆる品に手を出していた。


 トカゲに似た姿のレプトイが営む蟲料理屋。尖った耳と金髪、感覚結晶部位と言われる宝石に似た部位を持つエルフが提供する苔のサラダ。小さく樽のような見た目のドワーフのじいさんがただでくれた喉が焼ける様な火酒。低い鼻と大きな身体、桃色の肌のオルクは、見た目に反して非常に美食で、見るのにも美しい蜂蜜の飴細工を格安で売ってくれた。大きな翼と頭に飾り羽を持つフォーコーンは、唯一、食べ物を売っておらず、自分たちの羽で作った可愛らしい飾りを見繕ってくれた。


 どれもこれも、出来が良くて辛くて甘くて酸っぱくてしょっぱくて、何より美味しかった。唯一食べれない飾りは、レイの前髪につけてやった。


……火酒は、レイに全部呑まれた。


昔話でも龍は酒を好むが、全部呑まれるは想定外だった。


 ほぼ全ての屋台を回り終えた頃には、太陽はとうに西へと傾いていた。ハーヴィとレイは大きく膨らんだお腹を満足げに撫でながら、ブラブラと広場を散策していた。


「蟲ってあんなに美味しいモノだったのね……新発見だわ」


「レプトイってのは基本的に力仕事だとか、傭兵だとかそういうのが生業だからな。屋台をやっているの

なんて俺も初めて見た」


「あんなにプリプリしてコリコリしてとろけるような歯ごたえなのに……勿体ないわ。絶対に繁盛するわよ」


「……まあ、見た目は凄まじいモノだったけどな」


「そう? ……エビとかカニと同じじゃない? 似たようなモノだと思うけれど」


「……いや、無い。それは無い。こう、中に詰まってる身の感じが全然違う……ん?」


「そりゃあ、蟲の足は細いけど、それは食べれる場所の違いでお腹の方には濃厚な――ってどうかしたの?」


 廻った屋台の感想を言い合っていたハーヴィとレイであったが、ハーヴィが何かに気が付いたことによって、舌戦は中断されることとなった。


 ハーヴィの視線を辿り、レイが行き着いた先には一軒の屋台があった。


 無論、この煉瓦敷きの赤い広場に屋台は無数にある。しかし、屋台と屋台の間、広場の隅で隠れるように、商いをしているその屋台は、ほぼ全ての屋台を統べたかずの二人が見逃していた屋台だったのだ。


 店主はどうやらエリューのようで、なにやら串物を売っているらしい。しかし客足は零で、全く人が寄りついていなかった。


「慢心していた……」


 過去を悔いるようにハーヴィは声を絞り出す。いつも元気な尻尾はしおれ、ただでさえ折れている耳が、さらにクシャリと潰れてしまっていた。


「食べ物屋は全てサラっていたはず……それなのに本命の肉を見逃しているなんてっ……信じられない。浮かれていたとしてもこれほどの失態があるか?」


 斜陽の中ハーヴィは天を仰ぎ、静かに涙した。


「そういう小芝居は良いから、早く行きましょ! 他の屋台は店じまいを始めているところもあるみたいだし」


「よしそうだな。さっさと行こう」


 悲壮と悔恨に染まっていた表情はなりを潜め、いつものハーヴィに戻る。そこからの二人の行動は迅速だった。


「オヤジ、二本くれ」


 屋台の前に立つやいなや早速発声、勿論右手の形は人差し指と中指をまっすぐ伸ばした世界を平和にするピースの形である。


 そんなハーヴィの様子に、串屋のオヤジは愕然とした表情で迎え入れてくれた。


 ハーヴィもそんなに驚かれるとは思っていなかったので、掲げた平和を下げることが出来ずにいた。このピースというのは、場合によっては悪魔の象徴ととられることがある……旅の途中で、行きずりのドワーフにそう教わったことを今更ながら思い出した。


 もしやこのやけに耳の尖ったエリューも、ピース=悪魔教の人なのかもしれない。


 屋台のオヤジがどのような言葉を吐くのか、戦々恐々としながらハーヴィは待った。


「キミ……」


 初老の見た目からは相反した若々しく迫力のある声音。ひょっとしたら屋台のオヤジの前は、劇団の団員だったのかもしれない。もしかしたら主役を張れるくらいの。そう思える程、魅力的で蠱惑的な声だった。


何を言われるのか、ハーヴィの全身に緊張が走る。たった一言でハーヴィを魅了した男……この後に何を続けるのか、気になって仕方がない。


 ハーヴィと屋台のオヤジは、刹那の間見つめ合う。


 隣のレイは二人の雰囲気に首を傾げていた。


「――キミ……旅人かい?」

 


「この国には王がいるのか?」


「ああ、実はそうなんだよ。この国は多民族国家かつ王国でね。珍しいだろう?」


「珍しい……というか初めて聞いたぞ。さっき屋台を回っていた時に誰もそんなこと言わなかった」


 ハーヴィは屋台を巡りながら、世間話を通じてこの国の内情を探っていた。この国の街並み、食文化、治安、全てにおいて素晴らしく、どういった政治が行われているのか、純粋に気になったからだ。


 この国は、他種族間の小競り合いも無ければ、剣呑な雰囲気もない。


「それは当然だろうね。だってこの国の誰もが王様のことを知らないんだから」


 オヤジは何てこと無いように言った。大きい肉を四つも貫いた串をタレツボに付ける。流れる動作で炭火へとかざした。


 じんわりと肉が焼け、タレの香ばしい香りが鼻孔をくすぐる。


 ハーヴィのお腹がグルルと低く唸った。隣のレイからもクルルと小さく悲鳴が聞こえた。


「知らないって、どういう事だ? 王様だったらみんなが知っているだろう?」


 たまった唾を飲み下し、食い入るように肉が焼ける様を見つめるハーヴィ。レイは待ち切れないのか、忙しなく偽物の尻尾を振り回していた。


「それが誰も知らないのさ。どの種族なのか、どんな顔をしているのか、どんな人物なのか……何もかも全部ね」


 串をひっくり返し、オヤジは反対の面に焼きをいれていく。肉から油が滴り落ちてじゅわじゅわと快音が響いた。


「……お飾りの王様なのかしら?」


「そういうわけじゃない。王は職務を全うしているよ。何から何まで全部ね」


 オヤジの尖った耳が微妙に震えた。素早い動作で串を上げ、はけでタレを塗る。どうやら肉の味付けダレとは、違うもののようだ。


「……ならどうしてあんたは王を知っているんだ? 誰も知らないってんならあんたもその一人の筈だろ? それともあんたが――」


「お待ちどうさん」


 ハーヴィの言葉を遮り、オヤジは有無を言わせぬ手つきで串を二本、差し出した。


 ハーヴィは二の句を続ける事が出来ず、素直に串を受け取る。焼き立ての串は根元でも非常に熱かった。


 意味深なオヤジに気がいくものの、目の前の串も非常に好奇心をそそられる。


 ハーヴィとレイは、串とオヤジを視線で三回往復して、串を優先することを選んだ。


「……美味い」


「美味しいわね」


 普通に美味しかった。しかし、普通に素朴な鳥肉の串焼きだった。


「もし、この国について知りたいなら、明日の朝に王宮に行くといい」


 オヤジは二人が食べ終えるのを待って告げた。今日はもう店仕舞いなのか、屋台を片付けながらだった。


「王宮?」


「ああ、この広場に入る前の大通り、そこを山側に真っ直ぐ行けば大きな建物がある。それだよ」


「……わかった、ありがとう。串、美味かったよ」


「私はもっと辛い味付けが好みだけど、嫌いじゃない味だったわ」


 ハーヴィとレイが謎めいたオヤジに微笑んだ。そしてゆっくりともと来た道を歩いていこうとする。だが、それはオヤジの一声によって阻止された。


「あ、待て。そういや代金貰ってないな。忘れないうちに払ってくれよ」


 チッと何かが打たれた音を聞いたのは、ハーヴィの隣にいたレイだけだった。



 朝。ハーヴィの目覚めは随分と良かった。


 あの後、国を回るにも新しい宿を探すのにも遅すぎる時間だったので、またあのオルクの夫婦の宿に世

話になった。


 ハーヴィは夫婦にこの国について聞いたが、王国だが王の名前も顔をも知らない、意識したことがないという回答を得た。屋台のオヤジが言った通りだった。


 レイがまだ寝ていたので、散歩がてら入国審査をした門兵に会いに行って同じことを聞いてみた。国に雇われている彼らなら、多少は意識の違いがあると思ったが、結果は変わらなかった。


 昨日のオヤジの言葉を思い出した。


「この国について知りたいなら……か。本当に何者なんだ、あのオヤジ。ただのくたびれたハンサムってわけじゃなさそうだし」


 部屋に戻って一人呟くハーヴィ。すでに目覚めて、身支度をしていたレイが、不思議そうに首を傾げた。


「あんな尖った感じのがハンサムなの? エリューの嗜好ってよく分からないわ」


「馬鹿、耳だけじゃなくて全体の雰囲気だよ。こう哀愁を帯びた何とも言えない空気がカッコいいというか、鋭い目付きと口元がハンサムというか……とにかく、そんな感じだ」


「……なるほど。ハーヴィの理想がああいう感じなのね」


 レイはハーヴィへと近づいて、折れた耳をつつく。ぴくぴくとくすぐったそうに耳がよじれた。


「違う、別に、そういうのじゃない。あくまで客観的に見てそう言っただけだ。……別に尖った耳を羨ましがっているわけじゃない」


 レイのつつき攻撃に敗北を喫したハーヴィは、小さな手を払いのけた。少しだけ残念そうに自分の耳をつまんだ後に、気を取り直した。


「俺のことはいいんだよ、別に。それよりも今日はどうする?」


「そうね……観光の続きを――と言いたけど、ハーヴィはそんな気分じゃないんでしょう?」


「別に、少し気になるだけだ。レイが望むなら、必要なものを買って、そのまま国を出たって良い」


 明らかな嘘をハーヴィは言った。何てことないような顔をして澄ましているのを、レイは可笑しそうに眺めていた。


「今回の飛行は結構長かったから、魔力がまだ全快していないのよね。次の国に行くのはちょっと早い気がするわ」


「そうか」


 レイはチラリとハーヴィを横目で見る。普段沈黙している麦色の尻尾が、柔らかな毛をなびかせて踊っていた。


「なら、行くか」



 王宮は確かに大きな建築物だった。赤色の煉瓦たちの中において、白亜の輝きを有して一際明るく見えた。


 だが、王宮というよりは役所といった方が正しい感じの、重くて他人行儀な建物だった。


 鉄でできた高い柵がそびえたつ中は、広大な庭だった。


 ハーヴィとレイはどちらに入り口があるかを同時に指差した。結果、右に二票で二人はぐるりと王宮の周りを回って歩いた。


「……なんかおかしくないか?」


 丁寧かつ細やかに整備された石畳を歩きながらハーヴィは呟く。


 左右を見渡しても人一人歩いていない。だが、街全体から人がいないわけではなく、一本道を外れるとエリューやオルク、フォーコーンが談笑したり、並び立って歩いたりしていた。


「森の中だってこんなものでしょう? そんなに気にする必要ないと思うけど」


 確かに森の中でも生き物の気配が多い場所とそうでない場所がある。場の雰囲気はほぼ同じなのに、なぜこうも違うのかハーヴィは度々疑問に思っていた。


「……よくわからん。そういうものなのか?」


 どうにも腑に落ちないが、レイに言い切られては仕方がない。ハーヴィはあまり難しく考えないようにした。


 それに対する褒美というわけではないが、二人の会話が一区切りしたと同時に、これまた大きな鉄の門扉が見えた。


 立派な門だが、その前には一人の兵士さえ立ってはいなかった。


 ハーヴィとレイは、門扉の横にあった出入口用の扉を開いた。何故か脆そうな木の扉だった。勿論、鍵は開いていた。


 庭を抜けて、王宮の中に入ると中は荒涼としていた。


 埃が溜まり、いたるところが痛んでいる。外の庭も草木が伸び放題になっていた。管理する者がいないのだろう。


 薄らと白んでいる赤い絨毯を慎重に進んでいく。ここ一年、二年の蓄積では説明できないほどの荒れようだった。


「……ごほ、汚いな。庭が荒れ果てた時に何となく察していたけど」


 埃が舞い、ハーヴィの喉を攻撃する。それを掃おうと手を振るうとさらに埃が舞う。それを払おうと

――と、終わりのないループに陥ったハーヴィは背嚢から布を取り出して口元に捲いた。隣にいるレイは平気そうにしていた。


 薄暗い白亜の洞窟をゆっくりと進んでいくと、大きな扉に突き当たった。左右に通路が伸びている。しかし、おそらくはここであろうという謎めいた確信がハーヴィにはあった。


 近づいてみると。白んだ赤絨毯の上に何かが擦れた痕が残っていた。扉の根元から半円を描くようにできた痕は、扉の奥に先客がいる事を意味している。


 若干開いた扉を手前に引く。耳障りな音を立てながら重い扉は徐々に開いていく。


「おも……」


「ハーヴィ、代わってあげるわ」


 返事を待たずレイが扉を引いた。途端、凄まじい音を立てて扉が開け放たれる。


 無論、取っ手を必死になって引っ張っていたハーヴィは後方へと飛ばされて、全身を埃で彩る破目に

なった。


「…………」


「……大丈夫?」


 天井を仰向けで見ると、豪奢なシャンデリアに無数の蜘蛛糸が張っていた。手のひら大の大蜘蛛が、憐れんだ八つの瞳でハーヴィを見ていた。


 ハーヴィは黙って立ち上がり、全身の埃を払いのける。モワリと煙のように埃が湧き立ち、周囲を灰色で染めた。


「…………」


 ハーヴィは何も言わず、扉の奥へと進んだ。すれ違いざまにレイの額に強烈なデコピンをお見舞いしたが、それだけだった。


 意外な事に部屋の中は廊下よりも明るかった。外から光を取り入れる為のステンドグラスの窓があるからだろう。


 ハーヴィとレイは目を細めて、ステンドグラスを見る。恐らくはこの国の成り立ちを描いた絵物語が、色とりどりの光を放って、二人を照らし出していた。


「よく来てくれた」


 聞き覚えのある声が、二人に呼びかけた。逆光の中、目を凝らして注視するハーヴィ。目が明るさに慣れていき、玉座に腰掛ける男の姿を捉えた。


 顔に影が差しており、大まかな輪郭しか認識できないが、それは二人が近づく事によって解消された。


 尖った耳に鋭い目付き、どこか哀愁を帯びたハンサムな面構えのエリュー。


 昨日、屋台で串を提供してくれたあのオヤジだった。


 けれど、格好が少し違った。絹と金で作られた豪奢な衣服、その上から真っ赤なマントを羽織っている。そして極めつけは頭、尖った耳の間には、輝く宝石と銀で作られた立派な王冠を乗せていた。


 昨日の簡素で質素なハンサムオヤジの格好からはかけ離れた格好。不思議とこの姿にも、大きな違和をハーヴィは抱かなかった。


 簡潔に言えば、非常に様になっている。


「王様だけに……」


「ハーヴィ? どうしたのよ急に」


「……なんでも」


 上座と下座の境目まで歩を進めたハーヴィは、その境界で足を止める。レイもそれに習い、屋台のオヤジ――もとい、この国の王に相対した。




「早速で悪いが、私はこの国の王……ということになっている」


 王は若々しい声で苦々しく言った。頭に乗せた王冠を外し手の中で弄ぶ。王を示す宝石たちが力なく輝き、拗ねたように光を弾いた。


「この国は私を知る者は誰もいない。王を知る者は一人もいない。しかし私は王なのだ。私は、確かに王なのだ」


 王は詩歌を吟ずるように話しながら、玉座からゆっくりと立ち上がった。


「差し支えなければ、私が王となるまでの話を語ってもいいかな?」


 ここまで来たからには聞いていけ、という力の籠った視線をぶつけられるハーヴィ。


 こういう場合、レイが余計な事を言って話が拗れるのが相場なので、相棒の了解を得ることなく頷く。

ハーヴィが隣をけん制すると、レイが間を逃した顔をしていたので、この判断は正しかったのだと認識した。


「ありがとう。何てことはないすぐ終わる話だ」



 その昔、この国は荒れに荒れていた。


 エリュー、オルク、レプトイ、ドワーフ、エルフ、フォーコーン、私たちは種族同士で対立していて、一番強い勢力の長が暫定的な王を名乗っていたからだ。


 この国の成り立ちからして、故郷の国から追い出された荒くれ者の集まりだから、それは仕方なかった。


 私たちは毎日、血で血を洗う抗争を繰り返した。


 ある日、エリューの長だった私が、王の座に就くことになった。だが、その時点で私は争いばかりの日常に嫌気がさしていた。


 だから、なるべく努力をして国を纏めようと努めた。エリュー以外の種族にも暮らしやすいように法を整備しようとした。けれど、それは実現されることは無かった。


 当然だ。エリューの為に日々戦い私を王に担ぎ上げた者達にとってそれは裏切りに等しいからだ。仲間の力で王の地位についた私に、仲間なしで何かを成そうなんて不可能だった。


 身の危険を感じ始めた私は、今までの王と同じく、種族を優先した政治をすることになった。


 それからしばらく従来通りの横暴な王である日々が続いた。


 もちろん、他の種族がそれを許すわけがない。近いうちに、フォーコーンとオルクが手を結んで、王宮で反乱を起すと噂がたった頃――魔女がこの国にやってきたんだ。


 ←


「おい待ってくれ。何だ、魔女って。俺達はあんたの作ったおとぎ話を聴くために来たんじゃないんだぞ」


 話の流れを断ち切るのを承知でハーヴィはぶっきらぼうに横やりを入れた。


「慌てないでくれ、彼女は本当に魔女だった。それは疑いようのない事実だ」


 王は慌てるでも、怒るでもなく淡々と告げた。ただ事実を話しているだけだ、と表情が語っていた。


「どうしてそう言い切れる? なら、この隣のレイが魔女だと名乗って龍にでもなれば信じるのか?」


「それは魔女じゃなくて、龍だろう? もしくは恐ろしく変装の上手い詐欺師だ。違うんだよ、彼女が魔

女だと名乗ったのもあるが、彼女の見た目が、彼女が魔女であることを証明していたんだ」


「……見た目って?」


「彼女には獣の耳も尻尾もなかった。小さな身体でもなかった。翼も羽もなかったし、耳も尖っていなかった。勿論、鱗を持ってもいなかった。彼女は……完璧な人間だった」


 →


 話を戻そう。


 この国に魔女がやってきたところまでは話したな? 彼女はこの地獄の窯のような国に、身一つでやっ

てきて、いきなり王との謁見を希望したんだ。


 勿論、流浪の身の旅人が、王と謁見できるわけがない。当時は、反乱の前兆があったから、特に警備が厳重だった。だから彼女は門前払いされた。


 だから彼女は私に直接会いに来た。ネズミすら通さない警備の隙をついて、彼女はやってきた。


 魔女は黒い髪だった。耳も尻尾も鱗も羽もなかった。顔はよく覚えていない。けれど、彼女は確かに人間だった。


 彼女は口を開くなり、こう言った。


――私は魔女だ。願いを何でも叶えてやる。望みを言うがいい。


 今のキミたちと同じように、私は呆けた顔をした。当然だ。いきなり押しかけて願いを叶えてやるなんて、おとぎ話の世界でも、そうそうない馬鹿げた展開だったからだ。


 でも、その時の私は酷く疲れていた。生命を脅かされる毎日に疲弊していた。


――願いを叶えてくれるというのなら、この国を平和にしてみせろ。


 気が付けばそう口走っていた。勿論、出来るとは思っちゃいない。思わず口を突いた感情的な言葉だ。

 けど魔女はニタリと一つ笑って、それを承諾した。そしてそのまま王宮から出ていった。


 その日からだ。この国が今のような豊かな国になったのは。


 ←


 王の長い話がようやく終わった。一度に長く話しすぎた所為か、咳を二回した。


 ハーヴィとレイはお互いの顔を見合わせた。どちらも納得のいっていない表情をしていた。


「待ちなさい。それだと、この国の誰もが王を知らないって話はどこに行ったの?」


 我慢ならないといった様子でレイが、疑問をぶつける。


「私の事を誰も認識しなくなったのは、願いを叶えた代償らしい。魔女と会った翌朝に、私の枕元に手紙があったよ。『誰も知らぬ王が健在する間、仮初の世界は保たれるだろう』。手紙にはそう書いてあった」


 それから私は長い間、誰とも話さずに生きていた――話疲れた王は、ゆっくりと椅子に腰かけた。


「ああ、でも、キミたちのように遠い外から来た人間とは話すことが出来る。キミたちは、魔女の言う仮初の世界の外側の存在だからね。四、五年に一度は、私を認識できる旅人がこの国に来ていた。そういう手合いと話しては、私は無聊を慰めていた……ここ五十年くらいは誰も来なかったので、気が狂いそうだった」


 国内で自給自足が成り立っているので、商品を国外に売りに行く者がいても、国内に何かを売りに来るものは滅多にいない。元々、国の外から人が来る可能性が低いんだ――、王は乾いた笑みを漏らして言った。


「……待て、あんたさっきの昔話は一体何年前の話なんだ?」


 王は思案顔になって、指を折った。両手の指を使い切ったところで、首を傾げた。


「さて、百年は経っている筈だが」


 ハーヴィは目を見張った。エリューの平均的な寿命を優に超えている。隣のレイを見ると、何故か自慢気な顔をしていた。どうやら百歳以上らしかった。


「嫌にならないのか? 俺もお喋りじゃないが、数年に一度しか会話が出来ないのは流石に堪えるぞ。それが百年以上も続くなんて、考えられない」


「ハーヴィは、かなりお喋りな部類だと思うけど」


「ちょっと黙っててくれないか」


 レイが喋る度、話が脱線していってしまう。ハーヴィが強い口調で窘めると、レイは素直に従った。明らかに目が笑っていたが、ハーヴィは無視した。


「嫌になるに決まってるさ。だけど死ねないんだよ!」


 王は唐突に声を荒げた。懐から華美な装飾が施された短剣を取り出す。ハーヴィとレイはすぐさま身構えたが、王は短剣の刃を自分の首へと突き立てた。


 血は出ない。確かに刃がのどへと深く食い込んでいるのに、肉も露出していなかった。


「見たとおりだ。仮初の世界で仮初の王は死ねないんだよ。これが魔女の要求した代償なんだ」


 王は怒りにまかせて短剣を床に叩き付ける。赤い絨毯に小さな傷をつけて、短剣は壁へと滑って行った。


「おっと。国の外に出れば良いなんて言ってくれるなよ? そんなもの、最初の五年で嫌気がさすほど試したさ!」


 肩で息をし、怒りを発散した王は大きく深呼吸した。そして、突然声を荒げた事を謝罪した。


「キミたちに当たっても仕方ないのは分かっているんだ。これは魔女に願ってしまった私の不手際なんだ。……だが、一つ、いや二つ願い事を言っても構わないだろうか?」


 ハーヴィは面倒事じゃないなら構わないと頷いた。レイも王が何を願うのか興味深々のようだった。


「出会った旅人に素晴らしい国だったことを伝えてほしいんだ。そうすれば、私が認識できる人が訪れる可能性が上がる。無理やり連れてこいとは言わない。良い噂を流してくれるだけでいいんだ」


「善処しよう。お喋りは好きじゃないが、宿屋の主人なんかにも出来るだけ伝えておく」


「ハーヴィはお喋りだと思うんだけれど……」


「レイ」


「……はいはい」


「それともう一つ……これは私の我がまま、なのだが」


 そこで王は厳しくなっていった表情を弛めた。照れながら上目使いをして言葉を続けた。


「何か、キミたちの所持品を譲ってくれないだろうか? どんな些細な物でもいいんだ」


 思わぬ願いにハーヴィとレイは顔を見合わせた。王の真意が掴めない。


 二人の微妙な表情を見て察し、王は慌てて取り繕った。


「すまない。言葉が足りなかったな。私は死ぬことが出来ない。それはこの先も変わらないだろう。頼りの無い記憶だけでは、いずれ出会った君たちのことを忘れてしまう。だから君たちを忘れないために、記憶の楔として君たちを連想させる者を所持しておきたいんだ」


 ハーヴィは腕を組み、少し考えた。そして持っていた背嚢を開いて中身を確認する。特にこれといったものはない。保存食に雨具、寝袋、魔性石が幾つかと貨幣袋、旅の途中で摘んだ薬草や珍しい鉱石、そして古ぼけた遺跡で見つけたガラクタが一つだけだ。


 これらの中で、渡してしまって特に支障がない物といえば――。


「こんなものでいいなら渡せるけど」


 ハーヴィが取り出したのは、古ぼけた遺跡で見つけたガラクタだった。黒色の金属で出来ており、手で握る用の持ち手がある。しかし、逆側は細い筒状になってあって、何故かその中程に穴の開いた回転機構が存在していた。大きさは手のひらから少しはみ出すほど。よく見れば持ち手に何かが刻印されていて、よく見るとそれは馬だと分かった。


「これは……?」


「さあ、俺も何か分かってないんだ。多分、この筒の先から旗でも出して遊んでたんじゃないか?」


 そんな小さい筒から旗を? と王は苦笑いした。隣のレイも失笑しており、ハーヴィは自分の冗句が滑ったことを悟った。


「俺が渡せる物はこれくらいだ。他は旅に使う物しか入っていない」


 ハーヴィがガラクタを袋に戻そうとすると、王は慌てた。


 上座から素早くハーヴィへと近づき、ガラクタを持った手をごつごつとした両手で包み込んだ。そのまま必死の形相を、ハーヴィへと寄せた。


 あまりの迫力にハーヴィは頬を引き攣らせて、一歩下がったが、王がすぐさま一歩詰め寄ったので無駄となった。


「いや、それでいい。それがいい! 珍しい品だ。無二の物であれば、キミたちを忘れずに済む」


 王は悲痛な面持ちで懇願した。ハーヴィはそっとガラクタを差し出した。


「あんたがそれでいいなら」


「……ありがとう」


 小さなガラクタを抱き締め、王は涙声で礼を述べた。


「私から渡せる物は無いけど、頑張ってね」


その成り行きを黙って見守っていたレイは、笑みを土産にしろとでも言わんばかりに、満面の笑みを浮かべていた。


「はは……憐れまれたことは何度かあった気がするが、励まされたのは初めてだな。キミは変わった娘だ」


「当たり前じゃない。私をそこら辺の凡百と比べてもらっては困るわ」


 レイは自信満々に胸を張る。ハーヴィはまたかという表情になり、王は愉快そうにクスリと笑みをこぼした。



「私の為にわざわざ足を運んでくれたこと、感謝する」


 ハーヴィとレイが今までしてきた旅の話を聴き終えた王は、玉座から立ち上がって、礼を述べた。玉座の後ろのステンドガラスから注がれていた陽の光はすっかり弱くなっており、長い時間が経っていることが分かった。


「長い間、引き留めてしまってすまない。だが、本当に礼はいらないのか?」


「ああ。別に金には困ってないしな。それに、金なんて一杯持っていたら変な奴らに目を付けられる。旅

路の金はちょっと足りないくらいがいいんだよ」


「そうか……」


 王はしょげた。見るからに消沈していた。ハーヴィはその姿に憐憫を覚えないでもなかったが、黙っていた。


「気にしなくてもいいわよ? 私もハーヴィ以外に沢山話せて楽しかったし、むっつりした顔しているこのタレ耳小僧だって、旅の話が出来て楽しそうだったもの」


「誰がむっつりした顔だ! ……まあ、楽しかったのは否定しないけど」


 ハーヴィはむっつりとした顔をしながら王に背を向けた。


「アンタの串焼き美味かった。覚えていたらまた喰いに来るよ」


「……ああ」


「私はもっと辛めの味付けが好みよ?」


「……余計な事は言うな」


「ははは……分かった。少し味付けを変えてみよう」


 ハーヴィは重たい扉に手を置く。そしてこの部屋に入ってた時の事を思い出した。隣のレイに目配せをして開けるように促した。


 やや慎重にレイは扉を押し開けた。並び立った二人は、部屋の外に出る。扉が閉まった。


 ハーヴィは肩にかけた背嚢を背負い直し、レイは偽物の耳を両手で揉んだ。


「そういえば、どうしてあの人、串焼き屋なんてやっていたのかしら?」


 埃と蜘蛛の巣が制空権を争う廊下を歩きながら、レイは疑問を投げかけた。


「さあな。やることがないから取り敢えず始めて見たんじゃないか?」


 足元の蜘蛛を踏みかけて、警戒心を高めつつハーヴィは答えた。


「でも、お客は来ないのよ? 変な人よね」


「レイに変な人扱いされるなんて、あの王も可哀想な奴だな」


「ハーヴィも私の中で、変な人の部類なんだけど?」


「……心外だ」


 王宮の出口が見えてくる。外から入ってくる光は橙色だ。ハーヴィは改めて長く話し込んだものだと実感した。


「そういえば、あのオモチャあげてよかったの? まだ細部まで調べてないって言ってたと思うんだけど?」


「いいんだよ。どれだけ調べても持ち手の引き金に連動して、筒が回るだけだったし。古代文字が描きこまれてたけど、あれは多分、持ち主の名前だ」


「へえ、何て名前なの?」


「ええと確か――『COLT SINGLE ACTION ARMY』だったか? 古代文字は発音も意味も膨大過ぎて研究しきれない」


 外への扉に手を掛けてハーヴィは悩ましいため息を吐いた。外へ出ると、入ってきた時と同じ、草木に塗れた庭が待ち受けている。


 白亜の階段をゆっくりと降り切った時、どこからかパァンと何かが爆ぜる音が響いてきた。


「……? 何だ、今の音」


「ハーヴィも聞こえたの?」


「ああ。乾いた音だった。火薬が爆ぜた音にも聞こえたな」


「花火じゃない? ほら、どこかでお祭りでもするとか」


「お前は楽しいことだけよく知っているな」


 ハーヴィは例の頭を小突いて笑い、鉄扉の横にある出入口を押し開けた。


 外は喧騒に包まれていた。


 エリューとレプトイが、互いの瞬発力と瞬発力を競い合い、血みどろの死闘を演じていた。オルクとドワーフが、互いの利権について言い合いになり、包丁を持ち出して刺しあっていた。エルフとフォーコーンが、お互いを口汚く罵り合いながら、魔術を撃ちあっていた。


「あー、出るところ間違えたか?」


「そんなわけないでしょ。元来た道を戻ってきただけなんだから」


「いや、あまりにも街の様子が変わっていたからな」


 どこかで火の手が上がった。だが誰も消火せず、それどころか焚きつけていく。瞬く間に火は広がっていった。


 ハーヴィとレイは、争い合う人々の間を縫って出国審査の場へと辿り着いた。途中、無人になっていた

商店から日持ちのいい食べ物を拝借した。勿論、次来た時に返すつもりだ。


 国境の入り口付近では、兵士たちが揉めていた。槍や剣を持ちだして無抵抗な国民を殺していた。


 出国審査は必要なかった。対応する者も、外に出る事を咎める者もいなかった。


 国全体が燃えるかのように、火の手は迅速に街を舐めていく。どうやら農業区の方にも燃え移ったらしかった。


 ハーヴィとレイは遠く離れた街道で燃える国を眺めていた。


「本当にどうしたのかしら? まるで昔の国に戻ったみたいね」


「さあな。ただ魔女が言った仮初の世界は無くなったんだろ」


「ならあの王様は助かったのかしらね?」


「さあな」


 ハーヴィは炎の灯りで地図を照らしながら、次の国への進路を確かめる。


「レイ、もう飛べるのか?」


「んー、後半日はかかると思う。それ以降は二日飛べるわ」


 自分の肌を触ってレイは言った。ハーヴィは頷き、地図を背嚢へとしまった。


「よし、行くか」


「えー? 夜に進むのは危ないんじゃなかったの?」


「ここらの街道は直線だから大丈夫だ。次の国は遠いからな。足で少しでも稼いでおくぞ」


「はいはい」


 燃え盛る劫火に照らされた草原をハーヴィとレイはまっすぐ進んでいく。



ふたりの旅はまだまだ続きます。しかし次の国は遠い様子。年末までに辿り着き新しい物語を紡いでくれるでしょう。ここで観察者である私への戒めとして次の国を記載しておきます。

次回は『闘犬の国』。それでは。

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