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冬空のお茶会

 ダルマス伯爵令嬢姉妹を迎えたのは、広間一杯に飾られた花々と、メイドをたくさん引きつれた豪奢な盛り髪の夫人だった。


「ようこそ、ダルマス伯爵令嬢。ヴィオラ = クタールですわ。本日は遠いところを足を運んでくださってありがとう。ゆっくりしてらしてね」


 頭の上に船でも載せかねない、ベルサイユ宮殿盛りとでも呼べば良いのだろうか。元々華やかな金髪がますます豪奢になっている。

 この場で一番身分高い女性が誰なのか、とてもわかりやすくて助かりはするけれど。


「はじめまして、ジゼル = ダルマスです。本日はお招きいただきありがとうございます、クタール侯爵夫人」

「お招きありがとうございます、オディール = ダルマスです。お目にかかれて光栄ですわ」


 オディールが淑女らしく礼をとって、にっこりと笑う。

 マナーの講義は散々だったけれど、こういう舞台度胸のようなものはあるらしい。あと、メアリ曰くここ数日必死で詰め込んでいたそうだ。勉強嫌いの舞台好き、試験前に徹夜するタイプ。私の中のオディール嬢の評価が執念深く苛烈な悪役令嬢から迂闊で残念な悪役令嬢に書き換わっているのがつらい。

 せめてスタート地点くらいスタンダードな悪役令嬢でいて欲しかった。性格の他に矯正するところがありすぎる。


「はじめまして、ではないのよ。あなたたちがまだ赤ん坊の頃、会いに行ったの。覚えていないでしょうけれど。おちびさん達、大きくなって…ああ、それにしたって」


 クタール侯爵夫人の水色の瞳がじっとこちらに注がれる。拳を握って無情に耐えていたのがばれたのだろうか、取り繕うように笑ってごまかす。


「ジゼル、それにオディールと呼んでもよくて?どうかそう呼ばせて欲しいの。本当に、噂には聞いていたけれどあの子に生き写し。小さなイリスがそこにいるよう」


 うっとりと夢みるように微笑みながら、クタール侯爵夫人は私の頬に手を伸ばした。


「……あ、の」


 身分に差があるとはいえ許し無く相手に触れるのはよほど親しい相手でない限り失礼だ。びっくりして目を丸くしていると、クタール侯爵夫人の袖を引く手があった。


「母上。ダルマス伯爵令嬢が驚いていますよ」


 上品な微笑み、艶やかな金髪、それから、クタール侯爵夫人と同じ水色の瞳。

 襟の端からつま先まで、貴族令息らしく上等な絹と革と装飾品で覆われている。少し生意気な印象を受けるのは眉がきつそうに見えるからだろうか。間違いようも無く知っている顔に、笑顔が引きつりそうになる。


「はじめまして、僕はユーグ = クタールです。ようこそ、ダルマス伯爵令嬢」


 この家の闇の片割れだ。

 私が何も知らない14才の少女だったら、彼に恋をしてしまったかも知れない。それくらい魅力的な微笑みだった。実際オディールはこの育ちの良さそうな少年がいたくお気に召したらしい。うっかり真っ赤になってちょっともじもじしている。

 少女らしい反応に、ちょっと微笑ましくなってしまう。そういえば、オディール嬢。いろんな攻略対象のライバルキャラクターとして登場するだけあって、ほれっぽい性格でもあった気がする。当時は立ち絵の節約かなぁなんてメタな事を考えていたけれど。

 逆に考えてみたらどうだろう。ソフィア嬢と恋に落ちるキャラクターの前にオディールが現れるのではなく、オディール嬢がまとわりついている相手の前にソフィア嬢が現れるのだ。分身でもしてない限り、その対象は一人。ということは、オディールが好意を持っているキャラクター=ソフィアと結ばれるキャラクターとなる。であれば、私の死因をかなり絞り込むことができる。

 この美少年にほほえみかけられて真っ赤になっているオディールがこのまま成長した場合、ソフィアはユーグルートに入ったことになるわけだ。ストーリーの都合上、クタール侯爵家とダルマス伯爵家は縁戚関係なのにこんな庶民が入り込んでくるなんて気にくわない、排除してやると言っていたけれど。もしかしたらこれが初恋で、実は失恋に心を痛めていたなんて裏話があるのかも知れない。

 ユーグルートでジゼルはどうやって死んだんだったか。そこまで思い出そうとして、目の前の美少年がちょっと困ったような顔をしていることに気がついた。


「申し訳ありません、私ったら。ジゼル = ダルマスと申します、はじめまして。こちらは妹のオディールです」

「は、はじめましてっ!」


 しゃちほこばったオディールに場がほっこりしたところで、お茶の席に通される。

 一応詰め込んできただけあってオディールの所作に不安は無いが、時折チラチラとこちらを確認しているあたり不安が残るのだろう。私の方はと言えば、自信を持って乗り切ることができると胸を張れる。連日逃走中のオディールが捕まるまでの間、先生と二人きりで予習復習質問の時間をたっぷり取ることができているからだ。付け焼き刃と地力の差は大きい。これを糧にオディールが成長してくれると良いのだけれど。

 フォークを手に取ろうとして、一瞬違和感を感じた。

 椅子に対して少し遠い位置にあったのだ。

 そういえば、全体的に食器と椅子の位置が合わない気がする。子供だからそう感じるのか、実家でないので慣れないだけだろうか。首をかしげている間に、香りの良いお茶が注がれる。


「驚かせてしまってごめんなさいね。ジゼルがあまりにもイリスと似ているものだから。うふふ、オディールはお父様似なのね。ダルマス伯爵と同じ、燃えるような髪の色」

「はい!お父様のお家の人は皆同じ色なんですって。赤い髪に青い目。皆その色だから、私のように紫色の目は珍しいって叔父様が」


 ニコニコと話しかけられて、オディールもはきはきと答える。

 これはもしかして悪役令嬢特有の立場が上の人には外面がひたすらいいとかいうスキルだろうか。それともちょっと背伸びしたい子供の一生懸命なんだろうか。前者で無いことを祈りながら啜る紅茶が喉に優しい甘さで落ちていく。


「ええ、そうね。本当に懐かしいこと。イリスのすみれ色の瞳だわ」

「僕もお噂はかねがね。母上ときたら、お茶会の準備をはじめてからこちら、『淡雪の君』の話ばっかりなんですよ。微笑み一つで牛の目玉のような真珠を捧げさせたとか、憂い顔ひとつで南国の孔雀の羽を揃えさせたとか」

「お母様が、そんなことを?」


 オディールが目を輝かせる。

 やはり母親が恋しいのだろうか、館ではそういえばあまり母の話をしてくれる人がいない。というか、今若干淡雪の君ディスられた気がするのだけど気のせいだろうか。伯爵令嬢イリスの美貌をうたうエピソードなのだろうけれど、なんだか金品を巻き上げたような言い方をされているような。

 目が合うとユーグはにっこりと笑う。オディールとばかり普段接しているせいか、あけすけな子供の感情に慣れすぎてどうにも違和感がある。貴族らしいと言うべきなのか、タヌキの化かし合いと呼ぶべきなのか。探られる腹は不愉快で、断じて気分の良い物では無い。


「ジゼル伯爵令嬢にそっくりだったなら、淡雪の君はさぞお美しかったのでしょうね」

「まぁ…」


 頬を染めて恥じらってみせれば、年相応の令嬢に見えるだろうか。隣の席で面白くなさそうにオディールが足を揺らす。ドレスの裾がめくれたのでメアリに視線を送って裾を整えさせた。こんな年で腹芸真っ黒な貴族の仲間入りはして欲しくないが、せめて令嬢の体裁は整えて欲しい。複雑な姉心である。

 見た目子供と腹の探り合いなんて不健全なことをするより、オディールも興味を持つ母親の話を振ることにする。


「クタール侯爵夫人は、お母様と親しかったと伺っております」

「ええ。年は少し離れていましたけれど、私がこちらへ嫁ぐ前からの友人でしたわ。淡雪の君。その気になれば王家にだって手が届いたのに、あの子ったら…テオドール様に恋をしてしまったのよ。あの頃の社交界に、あんなに美しくて、素晴らしい才能を秘めた子は他にいなかったわ」


 才能。

 才能と言った。それが、この世界、この国において魔力のことを示すのは明白だ。隣にユーグがいるので魔力という発言を避けたのだろう、

 その才能がないがために、目の前のユーグは性格がねじ曲がっていくのだから。というか、今のクタール侯爵夫人の言葉を聞いてユーグの笑顔が一ミリも動かなかった時点ですでに手遅れでは。嫌な汗が背中に流れる。

 手遅れといえば、この席には本来出席すべき人が一人足りない。

 リュファス = クタールがいないのだ。

 隣接する領土の友人として、今後親しく付き合うべき次世代の子供達の顔合わせの席であるはずなのに。

 すでにリュファスは侯爵家に引き取られている。お茶会の前に相手の家の情報を一通り頭に入れておくのは招待客のマナーだ。運命と邂逅する覚悟を決めてきたのに、当の本人がいなかった。

 オディールはマナーの一夜漬けに必死でそんな余裕が無かったので今回は集めた資料を見せなかったが、逆に正解だったろう。子供の無邪気が空気をフリーズドライする場面を見ないで済んだのだから。

 テーブルのセッティングに感じた違和感の正体に思い至ってしまう。

 ほんの少しずれている。

 4人しかいないテーブルなのに、椅子は均等では無く、私とユーグの間が微妙に広いのだ。飾りや料理が並んでいる都合で椅子の位置がずれることはある。これが庭を臨む席だというなら、庭が見やすいように席を動かすこともある。しかし、テーブルには中央における程度の花とお菓子だけが美しく並べられていて、お茶やお菓子のお代わりはメイド達の控えているワゴンに並んでいる。座席を等間隔にしない理由が無い。


 まるで、侯爵夫人から一番遠い席をひとつ引き抜いて、慌ててセッティングしなおしたような。


 けれど意図がつかめない。庶子であるリュファスを厭い、いまこのお茶会から排除したとしても、夜になればクタール侯爵を交えた晩餐がある。そこにはリュファスも出席するはずだ。末子の存在をなかったことにはできない。むしろ、お茶会に出席しなかったことがいっそう不自然になる。

 そもそも、クタール侯爵夫人はただの一度として、リュファスがいないことに触れていないのだ。侯爵家の子息が欠席していることについて、理由なり謝罪なり真っ先に説明すべきなのに。

 温かな紅茶を口にしているはずなのに、どんどん身体の中心が冷えていく。


「それで、ジゼル、オディール」


 クタール侯爵夫人はにっこりと笑った。泉のように清廉な色をした瞳は、ちっとも笑ってなんかいないし、水底に澱のような物がよどんで見える気がした。


「二人はどんな属性の魔法を使えるのかしら」


 背後から死神に抱きつかれたような怖気に私の死にたくないセンサーが赤ランプ全点灯する。

 ドレスで隠れている場所すべてに鳥肌が立ったのではないだろうか、体温が下がりすぎて震えが止まらないのでカップを落として割らないように極力優雅にソーサーに戻す。


 見誤った。間違えた。

 クタール侯爵夫人は魔力に執着がないと思っていた。魔力の高さを貴族の必須条件とするならば、ユーグがクタール侯爵家の跡継ぎになることはできない。むしろ否定しているのだと思っていた。この家で魔力を求めているのはリュファスを跡継ぎに望む勢力だけ、だからこそジゼルはリュファスの婚約者だったのだと。きっとユーグにはもっと別の道、中央の権力に近い家の子女との婚姻を望んでいると勝手に結論づけていた。

 だが、現実にクタール侯爵夫人が求めているのは『強い魔力がある女の腹』だ。仮に亡き母イリスのような王族に手が届くほどの魔力を持つ女性が妻になれば、ユーグ自身の魔力が低くともその子供はきっと強い魔力を持つだろう。少なくとも、リュファスを跡継ぎにと望む頭の古い面々をそう説得することができる。

 友人の娘なんて温かい物では無い、完全にこちらを『それ』としてしか認識していない。

 息子のためなら沼の底からだって這い出してきそうな母親を前にして、いったいどんな経緯でジゼルはリュファスの婚約者に落ち着いたのだろう。きっとダルマスの古い血、その魔力のことを素直に話しただろうに。

 クタール侯爵家の中でどんな駆け引きがあったかわからないが、確信を持ってあのゲームの中のジゼルはクタール侯爵夫人に呪われていたと断言できる。  


「私は木ですわ!薔薇の花をそれは綺麗に咲かせることができますのよ。今度の薔薇の季節には、是非クタール侯爵夫人も我が家の庭を見ていただきたいです!」


 私が走馬燈のように現状の不味さを噛みしめている横で、オディールが答える。この家の事情を知らないから元気にはきはき答えられるのか、それとも心臓に毛が生えているのか。でもおかげで、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。

 オディールの回答は木の魔力の程度としては特筆するほどの物では無い。いわゆる強力な木の魔法使いは、真冬でも庭中の花を満開の状態に保てるのだ。


「オディールは属性もお父様譲りなのね」


 微笑み合うクタール侯爵夫人と、笑顔でご機嫌なオディールの姿は端から見れば母子のようで微笑ましい。言外に平民上がりの父親同等と言われている気がするが多分気のせいではない。あてがはずれたというところだろうか。すでに和気藹々からは遠く隔たれたお茶の席で、作られた陽気ばかりが空々しく肌をなでていく。視線で促され、重い口を開く。


「私は…私の属性は、水です」

「まぁ、属性までイリスと同じだなんて!」

「ええ、でも」


 目を輝かせたクタール侯爵夫人に苦笑してみせる。


「コップ一杯ほどの水を凍らせるのがやっとで。魔力の強さは、お母様に似なかったみたいです」

「……まぁ、そうなの。そう、でも、これから伸びる可能性もあるわ。才能ですもの」

「ありがとうございます。ダルマス家の名に恥じぬよう、努力するつもりでいます」


 上っ面の会話が滑っていく。リュファス派に知られる前にダルマス伯爵令嬢の魔力の程度を確認しておきたかった、それだけのステージだったのだろう、あとはとりとめもない庭の話や天気の話に終始した。


 絶対に魔力が強いと悟らせてはいけないクタール侯爵家お茶会6泊7日、まだ始まったばかりの試練を煽るように、冬の冷たい風がいつまでも部屋の窓をノックし続けていた。


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