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味のしないホットワイン

 宿について最初に温かいワインを喉に流し込んだ。

 蜂蜜やリンゴを入れて温めたワインのぬくもりに、私の胃と心臓が冷え切っていたことを改めて知る。


「……なんで?」


 思わず口をついてこぼれた。

 ルネのルートをひたすらに思い出す。

 王都に初めてやってきたソフィアは、平民だった頃の感覚が抜けずメイドも連れず市場へ出かけてしまう。そこですりに遭って、通りがかった騎士見習い、ルネに財布を取り戻してもらう、というのが出会いのストーリーだ。

 偶然の再会を繰り返し、二人は次第に仲良くなっていく。

 新しい環境に慣れない少年少女が、互いの孤独を知って心を通わせる。

 そんなストーリーだった。

 ゲーム最初期に市場へ行くことを選択しなければ中盤以降登場すらしなくなってしまう。フラグ管理が面倒なのでわざと登場させないこともあった。

 一角商会の調査が正しく、王都にルネがいなかったのなら、ソフィアはルネと出会っていなことになる。


(ソフィアと出会えなかったルネが、どこで何をしていたかは、プレイヤーにはわからない、ってことよね)


 なにしろ前世の記憶は今生の記憶と混ざってしまっている。

 本で読んだような繰り返しのゲームシーンは所々ぼんやりしている上、今生でも五年前の記憶なのだ。

 五年前にプレイした乙女ゲーム。メインストーリーは覚えているけれど、サイドストーリーやキーアイテムまでは覚えていない。


(それなりにやりこんだつもりだったのにな)


 何度も何度も、やり直したつもりだったのに。

 他にプレイした乙女ゲームの記憶が混ざっている気がする。

 オディールは彼に刺し殺されたんだったか、それとも馬に蹴り殺されたんだったか。不安と心配が妙にリアルなスチルを脳内で再生させる。二次創作の才能がありすぎて逆に邪魔である。

 つまり結論。


「全っ然わからない……なんで? 今生では初めましてよね? もしかして前世で私が何かした!?」


 ルネが私を憎しみのこもった目で見上げてきた理由が全くわからない。

 頭を抱えてしまう。

 ハイライトの消えた目で、明らかに私を憎んでいた。

 ソファのすぐ側に気配を感じてびくりと振り返る。

 いつのまにかアンがそこに立っていた。

 部屋の暗がりに音もなく立っている姿はなんだか現実味がなくて、まだ夢を見ているような心地がする。

 相も変わらず感情の読めない漆黒の瞳で見下ろして、手にした毛布を静かに差し出す。

 別の部屋で火をおこして暖めてくれていたのか、ぬくもりに冷えてこわばった指先がほどけていく。


「……アン、聞いてもいいかしら」

「はい、何でしょうかジゼル様」

「ルネという少年に、聞き覚えはない?」

「……」


 おかしなことを言っている自覚はある。

 館にこもりきりだったジゼルが、側付きのメイドであるアンを差し置いて平民の少年と面識を得ることなどありえない。

 けれど、館に同じだけ長く居たはずのアンなら、どこかでルネとダルマスが関わっていたことを知っているかもしれない。

 珍しく返答のないアンの顔を見上げると、変わらず陶器のような無表情が私を見下ろしていた。


「名前は、ルネよ。姓は、フィデリオのはずだけど、昔はなかったかもしれないわ。平民出身だから。神殿騎士になっていたの。今日会ったのよ。でも、どうして。実力を評価されて、とっくにどこかの貴族のところに行っているはずなのに」


 王都に来るまえに神殿騎士だったのかもしれない。

 だが、それならどこかの貴族が金でルネを買って、王都につれていったのだと辻褄が合う。

 その貴族が現れなかったのか。バタフライエフェクトが、ルネを不幸の谷底から救うことをしなかったのか。


(私のせい?)


 頭痛がひどくなる。何かが私を暗闇の中に引きずり込もうとするように。


「どうして」

「……そんな騎士がいたとして、会う必要がありますか、ジゼル様」


 珍しく、アンが反論するような言葉を口にした。

 感情を探ろうにも、アンの表情筋は凍り付いたように動かない。


「平民から騎士になる方法は限られています、ジゼル様。騎士見習いとして仕えて叙勲されるか、神殿に仕えて神殿騎士になるか、傭兵として実力を示して貴族にスカウトされるか。さもなければ」


 アンは言葉を句切る。


「遍歴騎士を殺して、成り代わるか」


 風が窓ガラスを叩く。夜通し風が強かったから、庭が荒れてしまっているかもしれないと、アンの静かな瞳を見つめながらぼんやりと思った。


「……アン、あなた」


 ひんやりと、指先が冷えていく。

 魔力の器から、薄氷を砕くような軽い音が聞こえる。

 ぐらりと、視界が揺れた。


(何か、知っているの?)


 支えきれなかった体を柔らかく受け止める腕の感触と、暖かな毛布に包まれるのを感じる。


「おやすみなさいませ、ジゼル様」


 静かなアンの言葉を最後に、私の意識はまた暗闇の中に落ちていった。




 どこからか、猫の鳴き声と、少女の笑い声が聞こえた気がした。

 

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