薔薇の館からの手紙
領主様がご結婚なさるらしい
ダルマスの山奥深く、蜥蜴の門の視察の帰り、小さな田舎の町でそんな言葉が耳に入った。 反応したのはリュファスとユーグ同時だったけれど、家臣へ目をやったユーグより一歩早くリュファスが席を立った。
「なぁ、おっちゃん、今の話本当か?」
「あん?……なんだ」
怪訝そうに振り返ったひげ面の男が、リュファスのローブを見て警戒を示す。
魔術師などこんな辺境にはめったに現れない。ましてや魔術師のほとんどは貴族の血を引いている。
リュファスは通りに面した店の軒先から酒瓶を一つ銅貨と交換して差し出す。黒いローブが汚れることも厭わず、古ぼけた木の椅子に躊躇なく腰掛ける。慣れた、そして品のない仕草に男はいささか警戒を緩めたようだった。
平民の中にも、魔力を持った人間はたまに生まれるので、その類いだと判断したらしい。
「領主様って、ダルマスのお嬢様だろ。結婚すんの? マジで?」
「ああ、そうだ。薔薇の館の、上のお姫様の話だ。最近、花嫁衣装の刺繍の図案を取り寄せたそうだ。俺の従兄弟嫁の姉の旦那がダルマスの街で貸本屋をやってるんだ。その隣の裁縫店はシルクの白い布と、銀の糸とを仕入れたって聞いたんだから、確かな話だぜ」
「……へーえ。そうかい。なぁ、ダルマスだと婚礼の祭りで何を売るんだ? これから館の方へ行くんだ。道すがら仕入れていこうかな」
「薔薇の焼き菓子や花蜜酒だな。あと、若い女によく売れるのは蜜蝋のろうそくだ」
「ありがとよ」
あまりにもぼやけすぎた『確かな話』に苦笑しつつ、リュファスは軽く礼を言って席を立った。
建物の影に立っていたユーグと合流する。考え込むように眉間にしわを寄せたユーグに、リュファスは首をかしげる。
「『そんな話』は出てないよな?」
「ない」
リュファスの問いに、ユーグは即答する。
(いやそれはそれで怖ぇんだって)
情報は武器であるので、侯爵家や伯爵家ともなればお互いの家に互いの耳と目が忍び込んでいるのは大前提のようなものだ。
特に近隣の家の状況は把握しておきたいところ。ダルマスにクタールの息がかかった使用人がいるのもおかしなことではない。
だが、家の重大事が断定できるほどに手を伸ばしていることにリュファスは若干引いていた。
「ただまぁ、一角商会を中心に動かれていると、わからないな」
まだ年若いジゼルが取り仕切るダルマスの館のことはともかく、一角商会はまだ叔父であるパージュ子爵のコントロール下にある。
特に中心部のスタッフがパージュ子爵に捧げる忠誠心は、侯爵家の密偵達が感心するほど厚く、ちょっとやそっとでは情報が手に入らないのだ。
「蜂蜜も花蜜酒も、うちよりか内陸の領地が主な産地だしなぁ」
「一角商会経由で購入していたらこちらにもわからない。パージュ子爵が隠せばなおさらだ」
あの姪を溺愛する男が、クタールの兄弟が抱える感情に気がついていないとは思えない。
なにしろ、姪のためなら王太子とさえ対立して見せる男だ。
「つか、誰だよって話だろ。付き合ってる奴なんかいたらすぐわかりそうだけどな。オディールが黙ってるわけがないし」
ダルマス伯爵家のジゼル、社交界の白薔薇。
淡雪の君の忘れ形見。
一角商会の女主人。
王太子殿下のお気に入り。
莫大な金と美貌と魔力を持つ、現在結婚市場で最も高値がついている令嬢の一人だ。心当たりがありすぎて絞れない。
「だが、ジゼルならあり得ないことじゃないだろう」
ユーグは深々とため息をつく。
「トラブルメーカーで手のかかる妹が居る、領主の仕事を覚えなくてはいけない、だから恋愛をする暇がない、というのはわかる。だからこそ怖い。ある日突然『オディールも気に入ってるみたいだし、ダルマス家にも悪くない縁談だと思うから』とかいって恋愛感情ゼロベースで結婚を決めそうだ」
「なんだそれ怖い。でもまぁ、うん。あー想像できた。なんか変なところで割り切り方が貴族なんだよなぁ、ジゼル」
「正真正銘伯爵令嬢だろう」
「それいったらオディールもだぞ」
リュファスのため息が兄のため息に重なった。
目深にローブを被りなおして、通りへ出ると、護衛騎士の一人が駆け寄ってきた。
「ユーグ様、一角商会から使いの者が」
「お、影がさしたな」
護衛騎士は口笛を吹いたリュファスに目もくれることなく、ユーグに紙袋を差し出す。
袋には、手紙が添えられている。見慣れた薔薇の印章に、ユーグは目を細める。
オディールのものだ。
おそらくオディールは何の気なしに『ユーグに渡しておいて』とでも言って一角商会に預けたのだろう。ここは薔薇の館からは距離がある田舎町だが、一角商会の店がある町だから、滞在状況を把握されている。
ダルマス領内において、一角商会の目を逃れることはできないのではないか、という想像にユーグはうっすらと背筋の寒くなる思いだった。
「相変わらずたいした情報網だ」
袋から出てきたのは、少し古びた刺繍の絵本だった。
手紙には、気分屋のオディールらしい弾んだ文字が並んでいる。
『親愛なるクタール侯爵家のお二人へ、ダルマスへようこそ! 遺物の確認、お疲れ様ですわ。先日話題になっていたお姉様の思い出の本を見つけましたの。貸して差し上げるわ。感謝なさってね! お礼は東方の菫の砂糖漬けでよろしくてよ。
そうそう、作中で騎士様が姫君に魔道具をわたしておりましたの。騎士様に憧れるなんて、お姉様ってば子供っぽいところがあるわよね?
まぁ、確かに。殿方は頼りがいがある方でなくては。そんなわけで、お姉様と運命の騎士様を探しにアグナヴァルへ行くことになりましたの。帰りに館に寄っても私たちは不在の予定ですわよ。ごめんあそばせ。
薔薇の便りの時期にまたお目にかかりましょう。 オディール』
相も変わらず自分の言いたいことだけを一方的に書き連ねてある。
リュファスが何気なく開いたページは、一面の赤。
騎士が五体をバラバラにされているシーンだった。
「うげっ、なんだこれ」
顔をしかめたリュファスが絵本から顔を上げると、絵本の竜以上に剣呑な顔をしたユーグがいた。
「うわぁ」
思わず声が漏れた。
半分は諦めでできたため息と共に。
「アグナヴァルに向かう」
「だよなー」
反論も異論も許さない明確な決断。
躊躇なくユーグの命令通りに動く家臣達のなんと心強いことだろう。
嫡子指名当初なら考えられない光景だ。
そんな兄の姿を目を細めて眺めながら、知ってた、というリュファスの小さな呟きがこぼれて道ばたの野花を揺らした。




