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北からの手紙 3

「ごめんなさい! だって急いでいたんですもの!」


 ちっとも悪いと思っていない朗らかな笑顔で言い切るオディールに苦笑する。


「次から気をつけてね。それで、急ぎの用事?何があったの?」

「ふっふっふ、ご覧あそばせ!」


 満面の笑顔でオディールが背中から取り出したのは、少し古びた書物だった。

 表紙の刺繍は黒ずんでおり、ビーズが外れた跡も見える。

 実用本にしては豪華で、花の縫い取りが美しい装丁から察するに。


「恋愛小説……? ううん、絵本かしら」

「正解ですわ! ほら、お姉様が前にユーグに話していた、殿方がレディに魔道具を渡していたっていう物語!」

「え」


 そんな話をした。


 脳裏に浮かぶのはなんだかやけにキラキラと光る金色と、それから澄んだ水色。

 そしてミルフィーユのように重なるバッドエンドのスチル。

 ユーグが「参考にしたいから」という謎の理由で詳細を知りたがったのだけれど、原作のことをごまかすためにとっさについた嘘だったからそんな本が存在しているはずがない。

 その話題が出たとき、同席していたオディールが「そこは『私が守ります』っていうべきところを、魔道具渡してヒロインに自衛させるなんて。そのヒーローはボケナスですの?」という辛辣な感想を述べていた。

 そう、そんな恋愛小説は、存在しないはずだ。


「ただの恋愛小説じゃないはずだって思ったら思った通り! ほら、子供向けの絵本ですわ」


 ふんす、と鼻の穴を広げながらオディールは自慢げに本を差し出してくる。


「魔物退治をする騎士のお話ですわ。ほら、ここ。助言を与える聖者からもらった魔道具を、姫君に渡してしまうシーンがありますの。魔物を倒すまでは、決してこの魔道具を手放してはいけないと忠告されていたのに、愚かにも恋に目がくらんで、最も大切な恋心の証として」


 オディールの指先をたどれば、金色の糸で縁取りされた魔道具が、羊皮紙の上で光っている。

 姫君のドレスに描き込まれた手書きのレース模様が美しい。

 絵本の中の姫君は、銀色の髪をしている。伏せられた瞳の色はわからない。


「……それで、この騎士はどうなってしまうの?」

「聖者の忠告を聞かなかった愚か者の末路なんて決まっていますわ」


 ページをめくると騎士が見開きで死んでいた。

 前世だったら検閲が入りそうな、真っ赤なページ。

 竜に食い殺される騎士のバラバラ死体。竜のうろこには先ほどの姫君と同じレース模様が描かれていた。

 どうやらさきほどの姫君は竜の化けた姿だったらしい。

 細工の精緻さも含め、芸術的には評価されるだろうけれど、子供に見せるものではない。

 思わず眉間にしわが寄る。

 恋に惑って、大義をおろそかにしてはいけないという忠告じみた物語だ。

 騎士はあくまで噛ませ犬で、聖者、つまるところこの国における強い魔術師が正義として描かれているところにもプロパガンダをひしひしと感じる。 


(騎士、騎士様ね……)


 脳裏に浮かんでは消える、ルネの闇落ちスチル。

 ハイライトの消えた目。

 銘もなにもない支給品の簡素な剣を、オディールの首に振り下ろす、真っ赤な画面。


「……っ!」


 めまいがした。

 ゲーム内ではそんなグロテスクな画像も描写もなかったはずなのに、私の妄想力が実にリアルにその現場を描き出してしまう。


「……そうだ」


 不意に、思いつく。


「ねぇ、オディール。成人式なんだけど、アグナヴァルの神殿であげるのはどう?」

「何故ですの?」


 きょとん、とオディールが目を丸くする。


「あなたの成人式を、なるべく立派な神殿であげたいのと、我が家にも騎士をお迎えしたいな、と思って。アグナヴァルには大きな神殿があるでしょう? 神殿騎士から、貴族の家に仕えたいっていう騎士がいないか、探してみようかと思うのよ」


 オディールの成人式を大きな神殿でやりたいこと、騎士を探していること、アグナヴァルに行きたいこと、全部に嘘はない。

 ついでにルネ少年がアグナヴァルで幸せに暮らしているところを確認できたら万々歳だ。


「ふぅん、別にいいですわよ、私は。……成人式の準備は、お姉様にお願いしておりますし」


 ちらり、とオディールの視線がサイドテーブルに移る。  

 そこには、刺繍枠にはまった白いリボンと、銀糸の刺繍が煌めいている。

 成人式の装飾は母親が用意するのがこの国の文化だ。

 好きなだけ宝石と絹を用意しようとした私と叔父に向かって、オディールが要求したのは一本のリボンだった。


「前にも言いましたけれど。お姉様が、私のために刺繍をして下さるなら、私はそれだけで幸せですわ」


 頬を染めて、きゅっと恥ずかしそうにうつむいてみせるオディールに、心臓がぎゅっと音を立てる。


(可愛いが過ぎる……!)


 思わず執務机から立ち上がって、机を回り込みオディールを抱きしめる。


「あなたの幸福を祈って、一生懸命作るわね、オディール」


 大好きよ、愛しているわ。

 頬ずりして真っ赤な頬にキスをして、くすくすと笑い合う。 


「それでは、私は旅支度をいたしますわね! 北は夏まで雪が溶けないと聞きますけれど、本当かしら! 毛皮を用意しなくちゃ!」


 わくわくと飛び出したオディールを見送りながら、苦笑する。


「さすがにそれは山頂の辺りだけだとおもうけれど……」


 馬車に詰め込む荷物を精査するようアンとメアリに言っておかなくては。

 机の上の報告書が、風にあおられてかさりと音を立てる。



 春を迎えたはずの風はまだ冬の名残を残していて、いつのまにか、カップのお茶は冷え切っていた。







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