野生児令嬢
闘争も毎日続けばネタ切れで、正面から戦っても勝てないことを悟った小さな令嬢は今度は逃走を選択した。
授業の時間になっても部屋に戻らないオディールを無視するのは簡単だ。しかしあの無駄にあふれる闘争心と根性の持ち主であるオディールがちっとやそっと無視したくらいでこたえるとは思えない。悪役令嬢と野生児なら野生児の方がましかもしれないと一瞬思いはしたが、癇癪持ちの野生児のグッドエンドが『森に帰る』しか見えなかったので踏みとどまった。
オディールが抜け出す前に部屋にとどめればメイド達に、隠れているオディールを見つけて連れてきたらその使用人に、少ないけれど特別賞与を出すことにした。連日簀巻きにされて泣きわめきながら連れてこられるオディールを出迎えるのが日課になりつつある。
甘えに甘やかした子供を突然良い子にできるはずがない。せめて謝罪の言葉を自主的に口にできるようにするのが当面の目標だ。
金切り声と罵声にあふれた賑やかな日常を過ごしながらも、運命は足音高く私の後ろに迫ってくる。
風が冷たい季節になって、雪が降る前に、と。クタール侯爵家からお茶会の招待状が届いたのだ。
ゲーム中のジゼルはクタール侯爵令息リュファスの婚約者だった。生まれついての婚約者という恐ろしい物がこの世界には存在するが、幸いジゼルはそうではない。とはいえ、子供の頃からの婚約者、という情報は得ている。いずれ来るとは覚悟していたイベントだけれど、いざ目の前にするとなかなかプレッシャーだ。
「クタール侯爵家って、領地がとなり合わせなこと以外我が家と何か繋がりがあったかしら」
「旦那様が遊学中、クタール侯爵と親しくなさっていたと伺っております。奥様も生前は侯爵夫人と親しくお付き合いなさっていたそうですよ」
「そうだったの」
家格が上で、領地も接していて、親同士の親交が深い。
子供の我が儘で行きたくないと駄々をこねても通るとはあまり思えない。それに、オディールの癇癪に日々偉そうにお説教を垂れている身ではお茶会に何となく行きたくないなんてじたばたすることもできないのだ。
最終手段は体調不良だけれど、切り札を早々に切ってしまうのは悪手だろう。
窓の外の中庭は、冬支度の薔薇が寂しげに枝をさらしている。それでもプリムラの華やかな色彩が冬の陰鬱とした灰色の空をひととき忘れさせてくれる。
暖炉の薪が小さく爆ぜる音を聞きながら、ここでない場所の記憶をゆっくりたどる。
クタール侯爵家には『楽園の乙女』における二人の攻略対象がいる。
兄ユーグ = クタールと弟リュファス = クタールだ。この二人は異母兄弟で、兄であるユーグが正妻の息子、弟リュファスが愛人の息子だ。
現当主であるクタール侯爵は生まれついて強い魔力を有しており、国王から領地の経営ではなく軍に属する魔法院での活躍を期待されていたという。
しかし、何故かその才能は跡継ぎであるユーグに引き継がれなかった。クタールは古い家柄で魔力の強さを当主に求める声が強く、魔力の低いユーグは子供の頃から鬱屈した思いを抱えていた。
そこに、妾腹の子であるリュファスが引き取られる。リュファスは幼い頃から高い魔力を示し、一族の中にはリュファスこそ次期当主にと推す声があがり始める。
権力と金をあてにした内輪もめではあるのだけれど、兄は弟の才能に嫉妬し幼少から弟をいじめぬき、弟は心に傷を負い続けて成長する。そんな二人の心の闇をソフィアは癒やし、本当の幸福を知ったクタール侯爵令息はようやく笑顔を取り戻すのだ、というストーリーだった。
ゲームだとさらっと設定として説明されるだけ、さらに言うならもう2人の心の闇は完成しきっておりいってみれば過去形だったのでさほど気にしないでいられたが、現在進行形でこれが始まる修羅場の家へ行くと思うとぞっとしない。いたいけな子供が闇落ちする現場とか、できるなら本当に見たくない。
ちなみにこのルートにおけるオディールの妨害は『ダルマス伯爵家令嬢の婚約者に色目を使うなんてムカツク、どうせあの姉は何も言えないんだから私が〆なくちゃ』という謎の使命感と、『ダルマス伯爵家と縁戚になる人間が庶民出の庶子なんかと親しくするとかありえない』という通りすがりのヤンキーがメンチきってるような当たり屋的発想がベースになっていた。何故全方位に棍棒外交をふりかざそうとするのか。強くも無いのに。
リュファスとジゼルが婚約に至った経緯は詳しく明かされない。当然だ、攻略対象とモブの事情なんかスキップ余裕だもの。おそらくはリュファスを次期当主にと推すクタール家の面々が、より強い魔力を求めてジゼルを推したのだろう。そしてもう一つ、リュファスは子供の頃に一度魔力の暴走を引き起こしているという。だから登場時のリュファスは周囲に人を近づけない、孤独な存在として描かれていた。ジゼルはそのときのことを『とても恐ろしかった…私、死ぬかと思いましたもの。あのときのリュファス様は人とは思えませんでした』と顔を真っ青にしてか弱く語っていた。
そんな男の婚約者続けてるあたり、一周回ってジゼルって肝が据わってるんじゃ無かろうかとか思えてくる。
つまり、クタール侯爵家において私が気をつけるべきは。
私の魔力の程度を知られないようにすること。
そして、どのタイミングかわからないけれど、リュファスの魔力の暴走とやらに巻き込まれないようにすること。
薔薇の花を模したペンダントに触れる。
花を飾る複数の宝石は伯爵家の令嬢が持つに相応しい輝きだが、いずれも対魔の術を施してある。オディールを再教育する傍ら出入りの宝石商に頼んで作ってもらった物だ。間に合って良かった。クタール家に足を運ぶ際は肌身離さず身につけるつもりだ。
「ジゼルお嬢様!オディールお嬢様を見つけましたよ!」
弾んだ声で部屋に駆け込んでくるメアリに笑いかける。
「ありがとう、アン、お茶を用意してくれるかしら。メアリ、先生を呼んできて頂戴。今日は私の部屋で地理のお勉強をしようと思うの。観光名所になっているような、有名な建物とかあったかしら」
「かしこまりました。それでしたら、河で一番大きい水門である『蜥蜴の大門』のあたりがいいかもしれません。メアリ、水門の資料を集めておきましょう」
「はい!かしこまりました!蜥蜴の大門は絵もとってもかっこいいですから!オディールお嬢様もきっと楽しくお勉強できますよ!」
アンが表情一つ変えずに頷いて下がる。メアリが大きく頷いて三つ編みがぴょんと跳ねる。
廊下から「はなしなさい!無礼者!あなたの一族ろうとう地底の国におとしてやるんだから!」という物騒な叫び声が聞こえる。語彙が完全に悪役令嬢だ。どこの教材で学んでくるんだろう。
あの子が高笑いを履修する前になんとかしなくては。
机の上にうずたかく積まれた教材の向こう、真っ赤な髪がふわふわとウサギの毛のように揺れて見えた。