捕らわれないお姫様
ダイヤモンドのように輝く氷のつぶての向こうに、オディールが立っていた。
「オディール……?」
夜会の日と同じ赤いドレスのまま、手元には植物をそのまま編み込んだような素朴な鞭を持っている。
私が助けに来たはずの妹が、立っていた。
そして、同じ景色の中、倒れた公爵の足下には、割れたワインの瓶が散らばっている。
鞭の先にワインの瓶を巻き込んで振り回したのか。
倒れている公爵の頭から血が出ている気配はない。わずかに呼吸している気配を確認して息を吐く。
そうやって、上から下まで視界を一往復させて、私はへなへなとその場に座り込んだ。
「お姉様!」
オディールが駆け寄って私を抱きしめるに至ってようやくオディールの実在を実感して深く息を吐く。
「本当にあなたなの?牢に閉じ込められていたんじゃ……」
「ああ、こんな古くておんぼろの壁。壊すのにさしたる時間も必要ありませんわ。脆そうなところへ木の根を差し込んだの。クタール城とちがって組み上げも荒かったから、穴なんてすぐに見つかってよ」
「そうね……そうね??」
自信満々に胸を張るオディールに、納得しかけて首をかしげる。
(壁から牢壊すってなに?)
何度もクタールの城の壁を登り、蔦を巧みに操り、度々積み上げたレンガや風化した装飾を破損させ続けてきた野生児令嬢の名残だろうか。
壁面強度の鑑定能力、からの壁破壊、絶対に通常の令嬢スキルツリーにないはずだ。
(まぁ、今更かな)
とっくの昔に、しとやかなご令嬢なんて物はあきらめているし、望んでいないと決心している。ふ、とため息のような笑いが漏れた。
「怪我はない?」
「私はどこも。いやだお姉様!手が氷みたいに冷たいわ」
オディールの頬に触れると、確かにやけどするように熱かった。
手を引こうとすると、オディールはぎゅっと私の右手をつかんで、そのまま両手で暖めるように重ねる。
「あなたにはいつも助けられるわね、オディール」
「本当よ、お姉様ったら。これではどちらが助けに来たんだかわからないじゃない」
ちらり、とオディールの目がカエルラ公爵に向けられる。
嫌悪と怒りの入り交じった表情に、恐怖に似た陰りを見つけて、オディールの手を外して抱き寄せた。
少しだけためらいながら、オディールは私の背中に手を回して、ぎゅっと抱きついてくる。
「この公爵家の庭には、たくさん骸骨が埋まっていましたわ」
囁くように、オディールは呟いた。
「その非道を、私たちは正さねばなりません」
抱きつく手に力がこもる。
「それに、こんなところへ死体を置かれていては、あの子達だって楽園の野へいけないでしょう?あと、あと、私をこんな目に遭わせたカエルラ公爵家の息の根を社会的に完全に止めないと気が済みませんわ!」
「オディール」
堰を切ったように話し始めるオディールに、ぽんぽんと背中をたたくと、小さな肩が震えた。
「あなたの優しさは、きっと彼女たちにも伝わっているわ」
「お姉様」
「うん?」
「……お姉様」
「うん」
「こ、わ、怖かった」
震えながら、ようやくオディールが吐き出した言葉に、抱きしめる腕に力を込めた。
「怖かったの。こんな暗い場所にひとりぼっちで、私がこうしている間にお姉様が死んじゃうんじゃないかって、怖くてたまらなかったの」
胸元におでこを押しつけながら、オディールの声が震えている。
「絶対、お姉様が助けに来て下さるって、信じて、でも、あの男、お姉様を殺してやるって言っていたし、私」
「大丈夫。貴方を閉じ込めた男爵令息ならきちんと返り討ちにしたから、怪我一つないわ。がんばったわね、オディール。遅くなって……あなたを一人にしてしまって、ごめんなさい」
決して涙を見せるまいと、絶対に顔を上げないオディールのつむじにキスをして笑った。
「ダルマスに帰りましょう。二人で」
オディールが顔を上げないまま、胸元でこくこくと頷いた。
「……ところでこれ、何の音かしら」
遠く、どこかでコロコロと小石の転がる音がする。
「わからないわ。初めて聞いた」
それから、ピシピシと堅い物をはじくような音。
こつん、と小石が落ちてくる。
つられるように上を見て、石の天井に走る亀裂に息をのんだ。
「お、お姉様」
「オディール、こっちに!!」
オディールを引き寄せて叩きつけるように氷の壁に手を添えた。
今度こそ、魔力を含んだ氷は私の意思を形にした。
分厚い氷の塊が壁から生えて、天井から落ちてきた石とぶつかり真っ二つになる。
ちょうど折れた氷と残った氷がもたれ合う形で屋根になり、崩れる天井と土、押し潰そうとする質量から私たちを守る盾になる。
押し潰されそうになるたび氷の柱で突き上げるということを繰り返し、少女を凍らせていた氷の棺のほとんどを使うころ、ようやく轟音がやみ、崩落が収まったことを察する。
さきほどカエルラ公爵を殺そうとしたときと同じくらい、それ以上の吐き気に襲われて反射的に口元を押さえる。
「お姉様!」
焦ったようにこちらを見上げるオディールに、なんとかして笑いかける。
「オディール、怪我はない?」
「ないわ、ちょっとくらいあったって、別に平気よ」
まるで令嬢らしくないことを言って、オディールは周囲を見渡した。
狭い氷の壁の中だけれど、魔力を含んだ氷はほんのりと光を放って暗闇から私たちの姿を浮かび上がらせる。
「あの子は……」
氷の中にいた少女。おそらくは、本物のトリュトンヌ公女。
途中、ぐらぐらと揺らぐ視界の端で、小さな少女の影が粉々に砕けるのが見えた。
「屋根を作るのに壁の中の氷をすべて使ってしまったから、土の中ね」
「ようやく静かに眠れるのだから、楽園の野で喜んでいるはずですわ」
慰めるようにオディールが私の頬に触れて、それから目を大きく見開いた。
「お姉様、氷のように冷たいわ」
燃えるように熱いオディールの手のぬくもりが心地よい。
血管の中に冷水を流し込まれたような寒気で震えが止まらない。
「平気よ。大丈夫」
強がる私の言葉に何を思ったのか、オディールは眉間にしわを寄せ、私の頬を包む手にぐっと力を込めた。
「お姉様ってば本当に、本当にひどいんだから!」
オディールに両頬を捕まれているせいで、むぐ、という声しか出せない。
「そのすぐに楽園の門をくぐろうとする悪い癖、いい加減なおして下さらない!?」
「んむ、癖、って。好きでこんな目に遭ってるんじゃないわ。そもそもオディール、私はあなたを助けるためにここに来たのよ?」
王太子の恋人役をさせられているのだって、救出策戦の最前線に立っているのだって、元を正せばオディールがきっかけだ。
モブのくせに目立つことをしたせいで、もう何度も死にかけている。
「だから!どうして!お姉様が来るのよ!?」
こんな場所でも癇癪を起こしそうなオディールに、いつもの調子でお説教をしそうになって、慌てて飲み込む。
カエルラ公爵の夜会で、オディールが一体何に怒っていたのか、わからないままだ。
夢の中で見た、私を嘲笑するオディールが浮かんで消える。
オディールのことを守りたいと思うのに、オディールの言うことをちゃんと聞いていなかった。
「……オディール、聞かせてくれる?」
「だって」
オディールの鼻先が赤くなる。眉間にしわを寄せて、オディールは涙を乱暴にぬぐった。
「だって、お姉様は、すぐに楽園の門をくぐろうとするんだもの。私を一人にするんだもの。私を愛してるって言うくせに、ソフィアにまで氷の薔薇を渡したりして」
「氷の薔薇?どうしてオディールがそれを知ってるの?」
はっとオディールが息をのむ。
のぞき込むと、オディールは目を泳がせて顔ごと視線をそらした。
「……もしかして、あなたが怒っていたのって」
「い、今問題にしてるのはそこじゃありませんわ!お姉様なんか何もできないんだから。こんなところへ来て命を削るくらいなら、王太子殿下を籠絡して王家の騎士団でも何でも利用すればよかったのよ!頑張るところが間違って言ってるの!」
泣きながら怒るオディールが、首を横に振るたび薔薇色の巻き毛がふわふわと広がる。
(恋に落ちて国に二つしかない公爵家を敵に回す王太子ね。わぁ、バッドエンドのスチル見える。死にそう)
恋人ごっこをしただけで三度は死にかけたこのモブに、この妹は過剰な期待を寄せすぎである。
「オディール。私ね。あなたのためなら、命だって惜しくないのよ」
ようやく少しだけ冷静になって、カエルラ公爵の姿を探す。
土と泥にまみれた上半身は氷の屋根の下にあるのを見つけたが、その先がどうなっているのかはよく見えない。
「多分、人を殺すことだってできるけれど」
オディールがカエルラ公爵の方を見ないように、抱き寄せる手に力を込める。
「栄誉栄華とか、そういうもののためには、頑張れないみたい。私のために、いっぱい頑張ってくれたのよね。ごめんね」
苦笑しか出てこなかった。
カエルラ公爵のように、権力のために死体を薔薇の下に埋めることはできない。私が手の中で守れる物は、本当にほんの少しなのだ。なにしろモブなので。
「お姉様は馬鹿だわ」
オディールが長いまつげを上下させると、大粒の涙がぽろりと頬を伝った。
「……私も、なんて愚かなの」
大きなため息を吐き出して、オディールが顔を上げる。
星のように煌めくアメジストが、青白い光を受けて潤んでいる。
ようやく私たちは目を合わせて、笑い合った。
『悪役令嬢の姉ですがモブでいいので死にたくない』コミカライズの
第1巻が2月17日(月)発売決定しました!
とけたあお先生の素敵な作品と皆様の応援のおかげですありがとうございます!
詳細は活動報告に書かせていただきました。
特典がとっても可愛いのでよろしければお手にとっていただけると嬉しいです!