望まぬお届け物
一角商会の店内は、裕福な平民をメインのターゲット層に置いたしつらえだ。
貴族が店に足を運ぶことはないので、御用聞きの品々は基本的にバックヤードに揃えられている。
搬入用の荷馬車にも堂々と掲げられた一角獣のエンブレムをしっかりと確認する。
最低限の身なりを整えるための、粗末な木枠の鏡に姿を映して、くるりと回ってみせる。
黒いローブに目立たない銀の刺繍、魔法院の下級魔術師の制服代わりといえるローブだ。
リュファスがご機嫌な口笛を吹いた。
このローブを用意してくれたのも彼だ。
「似合うじゃん、ジゼル。このまま俺と一緒に院に出仕してもバレないとおもうぜ」
「それはそれで国の機関としてどうなの……?」
たとえ魔法院といえども、クタール侯爵家のリュファスが連れてきた魔術師を検めることができるほどの魔術師など、きっともはや両手で足りるほどの人数なのだろう。
改めて現在のリュファスの実力と、クタール侯爵家が魔法院で持つ権力を思い知らされた気分になる。
(魔法院に出仕ね。主な職場は戦場か討伐だし、最短ルートで死にそう)
苦笑しながら、今後袖を通すことがないだろう衣装の袖口をつまむ。
私が鏡の前を占領している間に、商会のスタッフ達は慌ただしく走り回っている。
表向き、トリュトンヌ公爵令嬢が一角商会でしか扱いのない薬と化粧品を買い求めるために呼び出したことになっている。
オディールを連れ出すためにはタウンハウスのワインセラーの奥にあるという隠し部屋に行く必要があるが、一角商会のスタッフがそんな場所まで入り込むのは無理がある。
普段ワインセラーをはじめ氷の魔術が必要な場所を管理しているのはスージオらしいが、今回は怪我をしたので代わりに魔法院のツテで魔術師を頼んだ、ということにした。
そんなわけで、私が魔法院の魔術師を装っているのだ。
魔法院に所属する魔術師はほとんどが男性だが、女性の魔術師もいないわけではない。ただ、ほとんどが生活のため、いわゆる訳ありで、ローブを目深にかぶって顔を隠していることが多い。
(今回はありがたいわ)
オディールを見つけたらメイドの服に着替えさせて、商会のスタッフと合流して家に帰る、そういう筋書きになっている。
「ジゼル様~!商会の方はもうすぐ準備が整うそうです~!ジゼル様の乗る馬車はもう用意できましたよ~!」
ぱたぱたとメアリが走ってくる。
その背中越しに、積み荷を選別しているスタッフが見えた。
男女比は半々、貴族の元へ向かうのにエチケットを特別に教育した、本店でも選りすぐりのスタッフ達だ。
「ジゼル様、どうかなさいました?」
「少し、心配になって。私はともかく、商会のみんなは平民で、何かあったら命の保証もできないのに」
「大丈夫ですよ~、ジゼル様!」
即答で太鼓判を押したメアリに、視線を戻す。
大きな胸をどーんとそらして、メアリは誇らしげに顎をあげた。
「商会の、特に王都のお店にお勤めしてる人は、みんなパージュ子爵家の皆様が大好きですから!」
「そう、なの?」
メアリの声が聞こえたのか、薄暗い倉庫を走り回っていたスタッフの数名がこちらを振り向いて笑顔を返してくれた。
(給与と待遇が良いだけなのかと思ってたけど、もしかしてフォロワーみたいな社員さんがいるの……?カリスマ敏腕社長に憧れる社員的な?)
夢見がちなメアリが盛っている可能性もあるのでアンを振り返ると、アンは淡々と頷いた。
「おおむね、メアリの言う通りかと」
アンの言葉にメアリは自慢げに頷いて、長い三つ編みがぴょこんと揺れた。
メアリは相変わらずニコニコ笑っている。その人の良さそうな笑顔に嘘は見えない。
(まぁ、兄弟二代で商会をここまで大きくした手腕があるんだもの、憧れる人もいるわよね)
「テオール様の忘れ形見で、ロベール様の大切な姪御さんなんですもの! ジゼル様と、オディールお嬢様のためなら、み~んな命だって惜しみませんよ!」
「そこまで!?」
ただの憧れなら納得できたけれど、さすがに命までは無理だった。大好きのレベルが高すぎる。
(もはや信者では……?)
一体何をしたら社員にそこまで慕われるのか。
(いや、もしかして脅迫とかされてない……?アンだっておおむねって言ってたし、おおむねじゃない部分がやばいとかそういうこと!?)
忙しく動き回るスタッフ達の背中が別の意味を持って見える。なんせ裏社会にもつながりのある悪役なのだ。
だが、いくら見つめたところで真実などは見えてこない。
(深く考えるの、やめよう。今は)
今、大切なのはオディールを無事連れ戻すことなのだから。
「ジゼル」
リュファスの声に振りかえると、赤い瞳が切実な光をたたえてこちらを見ていた。
まるで自分のことのように心配してくれるリュファスに、力強く頷いて見せる。
「必ずオディールを無事に連れて帰るわ。いざとなれば簀巻きにしてでも……!」
「あー、うん。うん、気をつけてな」
リュファスは何かを言いかけて、呑み込んで、結局笑顔で手を振ってくれた。
タウンハウスの門番に、スージオから渡された紹介状を見せると、馬車はあっさりと通用門を通過した。
大きな屋敷相応の警備、張り巡らされた魔術の気配に気を引き締める。
案内されるまま長い廊下を歩くと、ひときわ豪華な部屋へ通された。
豊かなオリーブグリーンの髪をゆるやかに結い上げ、部屋着を身に纏った貴族令嬢の姿でトリュトンヌが座っている。
目が合った瞬間、トリュトンヌの瞳が泳いだけれど、すぐに微笑んでみせた。
「お前がスージオの言っていた魔術師ね?」
「はい、トリュトンヌ公女様」
目深にかぶったフードを脱ぐことなく、深く礼をする。
顔を上げると、部屋付きだろうメイドがもの言いたげな顔をしたけれど、トリュトンヌが軽く手をあげて不問にした。
「魔術師は偏屈な変わり者が多いと聞いているわ。今回は無理を聞いてもらったのだと、スージオが言っていたから、多少の無礼は許します。それよりお前、口は堅いのでしょうね?」
「お望みとあれば主神エールに誓いを立てます」
「それはお前の様子を見て決めることにしましょう。彼の顔を立てる必要もあるでしょうから」
トリュトンヌが立ち上がり、私の前を通り過ぎる。
「ついていらっしゃい、セラーに案内するわ」
「はい」
立ち上がると、顔をしかめたメイド達が目に入った。平民だろう痩せた女性達は、皆一様に顔色が悪い。
屋敷の女主人が自ら魔術師の下っ端を案内するというのに、止める人間もいない。
(『セラー』が意味するところを、知っているのかしら)
詳細は知らずとも、何人も行方不明になれば噂にくらいなるはずだ。
ましてや、今公爵邸を統率している人間は事実上いないに等しい。ただ、逆らえば殺される、逃げようとしても殺される、という原始的な恐怖だけが支配している状態だ。
土地の運営に関われる程度の貴族なら、公爵家という積み木が崩れる前に利益を引き抜けるだけ引き抜く悪知恵も働くだろうけれど、平民にはその選択肢も無い。
いったいどうして埋められるのか、何が基準なのかもわからないのだから。
(トリュトンヌ公女の言葉が本当なら、カエルラ公爵は奥方まで殺したことになるんだから、ましてや平民の命なんてお察しだわ)
目深にかぶったフードをさらに引き下ろして、トリュトンヌに続く。
人の口に戸は立てられない。いくら貴族が平民を無下に扱っても、積み上がった虫の死骸をなかったことはできない。ましてや、貴族にさえ人死にが出ているとなれば。
(遠からず王太子殿下の耳に入ったでしょうね)
そうなれば、カエルラ公爵家は無力に沈む船も同じだ。
同乗者ごと海に沈めてしまうのはたやすかっただろう。
(原作でシャルマンが遠慮なくダルマスを潰せたわけだわ……もうちょっと、あと数年ずれてたら、まるごと関わらずに済んだのに……!)
タイミングの悪さに奥歯をかみしめてる。
すれ違う使用人達も特にこちらに関心を寄せる様子がない。というか、なるべく目を合わせないようにしているようだ。
(スージオが自由にタウンハウスを出入りしていたからかしら……セラーに連れて行って、埋める役目も、彼が?)
そのまま、トリュトンヌは建物の端にある階段へ足を踏み入れる。
「ここですか?」
私の言葉に、トリュトンヌが振り返る。緊張した顔つきには疲れが見える。寝不足なのか、目の下に青々とした隈ができている。明かり取りの窓もない半地下の階段で、彼女の顔色はより一層悪く見えた。
「ワインセラーというくらいなので、厨房の近くにあるのかと思っていました」
それどころか使用人達の声も聞こえない。
これが罠でないことを確認する。
トリュトンヌは、「ああ」とため息のような声を漏らした。
「セラーは二カ所あるんです。こちらは、昔一度大水でセラーがまるごと浸かってしまったらしくて。カビが出やすいので上等のワインは置いていません。大きな晩餐会がある日などに、予備的に使われている場所なんです」
トリュトンヌが歩みを再開する。
こつこつと、階段を降りる音が響く。
「だから、普段は誰もいません。警備もいないのはそのせいです」
「そう、なんですね」
王都のすぐ脇を流れる川は王都の人口をまかなえるだけの水量がある。
生活用の細い水路が、年によっては大雨であふれてしまうこともあるのだろう。
庭に引き込んだ水路の影響なのか、近くを通る川のせいなのか、地下水が石造りの壁をちろちろと舐めている。
カビの匂いと、湿った土の匂い。
(用事がなくても、ちょっと近づきたくない……)
背筋が寒くなるのは、その先にあるものを私が知っているからだろうか。
歯抜けのようにワインがポツポツと置かれている棚を通り過ぎて、トリュトンヌが壁際に積まれたワイン樽に触れた。
「こちらです」
指し示された先には、石組みを掘り起こしたような雑な穴があいていた。
隠し部屋というくらいなので何かもっとカモフラージュされているかとおもったけれど、ワインの樽で雑に隠されただけの穴だ。
それが、逆に恐怖をあおる。
まるで、いままさに死体を埋める作業を行っているような、現在進行形の生々しさのようなものが感じられて、ローブの下で拳をにぎりしめた。
ワインセラーの棚に置かれたランプへ火を移して、トリュトンヌが私に手渡す。
「地下室といっても、まっすぐに穴を掘っただけの、一本道の壕のようなものです。迷うことはないと思います。いくつか横穴に部屋がありますから、オディール様はそちらにおいでです」
トリュトンヌが上着から鍵を取り出す。
「錠がさびていると思うので、開けにくいかもしれません」
「わかりました。1時間ほど、頃合いを見て地上へ戻りますね」
「はい。私もなるべく長く商会をひきとめますから……あの、ですから、どうかご無事で、」
縋るように指しだした手を、思い直したように引き戻して、トリュトンヌはうつむいた。
(あなたが願っているのはスージオの無事でしょうけど)
震えるトリュトンヌにそんな言葉をかけるのも野暮なので、黙って頷いた。
(私が無事に帰らないとスージオの命がないものね。クタール侯爵家に彼を生かしておくメリットが何もないし)
カエルラ公爵家を追求する、王太子へのお土産くらいにはなるだろうか。
(私が薔薇の下に埋められたら)
一瞬、脳裏をよぎる死亡スチル集に、そんなスチルがあった気がして慌てて頭を振って追い出した。
ランプを掲げると、穴の底へ導くような古く暗い階段が見えた。
背中でトリュトンヌが神へ祈る言葉が聞こえて、すぐに足音は遠ざかっていった。