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望まぬご招待

 王都で一番南の神殿は、神殿の名前のみ残る廃墟となっていた。この場所を王都とすると宣誓した建国の年に、神殿は都市の中央へ場所を移している。

 聖像はすでに新しい神殿に移されていて、残っているのは主神に仕える従僕達の像ばかりだ。それも年月の重みに耐えかねたようにどれも首や肩から砕けてしまっている。

 まるで処刑されたような石像の間を、アンがランプを掲げて歩いて行く。

 神殿の最奥、礼拝のために用意された水瓶へ、水が流れ落ちる音が響く。

 その水瓶の真横に、男が立っていた。


「ジゼル伯爵令嬢、お目にかかれて光栄です……一人で来ていただけると思っておりましたが」


 慇懃な態度に顎をあげて答える。


「淑女がメイドも連れずに外出するなんて、許されると思いますか?」

「はっ、淑女が聞いてあきれる」


 男は肩をすくめようとして、何かがひっかかったように不自然に腕をこわばらせ、何度か左手で右側の肩をさすった。

 ランプの灯りは小さいけれど、かろうじて彼が腕を布でつっているのが見える。


「ずいぶんな大怪我ですね」

「白々しい。いや、ふてぶていしと言うべきでしょうか。まったく、よく似た姉妹で」

「妹は、オディールは無事なのですか?」

「元気ですよ。おかげで腕の添え木を一つ増やされた」


 案の定オディールは大人しく捕まったりしていないらしい。だが、そんな反抗的な人質が果たして無事でいるだろうか。心臓が嫌な音を立てる。


「あなたの狙いは、私の命でしょう?カエルラ公爵の命令ですか?私が王太子殿下の恋人だから?」


 がらんどうな神殿に、声が反響する。


「私の前はソフィアでしたね。王太子殿下があたらしい恋人を作るたびに、全員殺して回る気ですか?この国からご令嬢が一人もいなくなるまで?」

「まさか、あなたとソフィア嬢は特別です。王太子殿下の戯れなら、気にすることもない。だが、魔力の強いご令嬢はいけない」


 ざり、と男の靴がひび割れた床を踏む音がする。 


「トリュトンヌ公女を押しのけて王太子妃になれる令嬢なんて、この国に数えるほどしかいないのですよ、ジゼル伯爵令嬢。淡雪の君の再来、聖女へ届く奇跡の少女、まったく、王国の西の田舎には聖遺物でも埋まっているんですか?」


 持ち上げた右手に見える、打ち身の青あざが生々しい。

 痛みに顔を歪めながら、それでも男は勝利を確信した笑みを浮かべた。


「ご心配なさらずとも、すぐに妹君も楽園へ送って差し上げます。私なんかの手を取るくらいなら、楽園へ召された方がましだときっと言うでしょうから」


 その言葉に、私もまた笑みを返す。


「心配だなんて。あの子への理解が深くて感心していました、スージオ・ドーノワ男爵令息」


 名前を呼ばれた男が、顔を引き攣らせた。

 私が片手をあげると、暗がりが一瞬光り、弦を震わせる短い音が響く。


「っ!?」


 アンが私の上に覆い被さるようにして身を伏せ、私たちの上を矢が通り過ぎていく。割れたステンドグラスを背にした射手が次々と矢をつがえ、誘拐犯へ撃ち込んでいく。


 一人で来いだなんて、要求を、はなから聞くつもりもなかった。

 私がソフィアだったなら、彼を説得して大団円を迎えることができたかも知れないけれど、私はモブなうえに悪役側だ。

 あの脅迫状を受け取ったとき、恐怖より怒りが勝ったが故の笑いが漏れた。

 ただ死なないために、ただ平穏に生きるために、こんなに手を尽くしているのに、受け取る手紙はどれもこれも死亡フラグ満載で。


 腹が立った。


 ハリネズミのように、針を飾って捕食者から避けてもらうだけでは許されないのか。

 私は誰も害するつもりがないのに、黄金を、宝石を、毛皮を、私の一番大切な薔薇を剥ぎ取ろうと手を伸ばしてくる存在が、心の底から煩わしかった。

 なにか、張り詰めていた糸のようなものが切れてしまった。

 そこから、動かせる限りのダルマスの金と人を動かしたのだ。

 神殿襲撃の際に雇われていたごろつき達は、王太子達の警備強化でしばらくは大人しくせざるを得ない。加えて叔父を通して、ごろつきたちをとりまとめているめぼしい面々の動きを金で押さえた。


「路地裏で金をばらまいたら、すぐにあなたの名前が出ましたよ。ドーノワ男爵家の三男スージオ。素行がよろしくない魔法院の魔術師だと」


 襲撃犯を特定し、彼の協力者が金でやとったごろつきだけだと判明してからは簡単だった。今日動ける仲間がいないことは確認している。

 念のためにと南の神殿周辺を監視する役割は、商会の従業員達が監視を申し出てくれた。日頃からの十分な給与と適切な待遇が信頼関係の構築に必要ということを実感する。

 王太子へ使者を送った。

 南の神殿を更地にしても良いと、王太子は請け負ってくれた。

 弓を構えている騎士達はクタール侯爵家の騎士だ。信頼関係のない傭兵に武器を持たせて後ろに立たせることはできなかったので、ユーグに助力を乞うた。

 スージオが水瓶に手を伸ばそうとするのと、石の砕ける不吉な音がするのは同時だった。

 轟音と同時に天井が落ちて水瓶を粉々にする。

 屋根が落ちただけではない。

 石の蛇が真上からスージオを襲い、そのまま鐘の形になって地面へ突き刺さった。

 ちょうど、鳥かごを落としたように石でできた檻が完成する。

 しかし、蛇の口はぎりぎりで飛び退いたスージオを捕らえることはできず、土埃のなかをスージオの影が転がるのが見えた。

 その姿を追って矢が降り注ぐ。

 瞬間、目の前で水の魔力が動くのを感じてとっさにアンを引き寄せる。

 

「ジゼル!!」


 聞き慣れた声と、月光に光る金色が目に飛び込んでくるのは同時だった。

 後ろから飛び出してきたユーグがアンの襟をつかんでぐるりと位置を入れ替える。

 抱き合う私たちがユーグの背中に押し込まれるのと同時に、土埃の向こうから氷でできた刃が射出される。

 ユーグがマントをつかんで広げると、巻き取るように氷のつぶてが吸い込まれ、カラカラと地面に落ちる。ただの布ではないことを示すように魔道具特有の回路がマントの裏地で光る。

 次の瞬間、地面を蹴る音がしたと思ったら、ユーグの体は砕かれた聖像の上にあった。色素の薄い金色の髪が月光に青白く光る。マントに縫い取られた刺繍のきらめきを残像に、剣が空を切る低い音がする。

 ようやく土煙が収まり、開けた視界の先で、ユーグの背中が見えた。

 その足下、剣の切っ先を向けられている男も。

 男のすぐ脇には水瓶の残骸らしきものがあり、その水はもう石畳の隙間に吸われてしまっている。水の魔術師であっても、この状態の水を十全に操ることはできない。

 いつぞや、リュファスが池の泥を操ったときも、一瞬しか形を維持できなかったように。

 完全な詰みだ。

 スージオの腕を踏むユーグの足に力がこもり、スージオが低いうめき声を上げる。

 ユーグは表情一つ動かさず右手を振り上げる。


「腕はいらないな」

「だめ、ユーグ!」

「やめて!!」


 私より先に、何かが聖像の影から飛び出した。新手かと身構えた私の視界に入ってきたのは、粗末なメイド服の女性だった。

 震えながら、男の上に覆い被さっている。


(え、誰?)


 スージオの知り合いだろうか。


「お許し下さい、命ばかりは。どうか、お願いです」


 目に涙をいっぱいにためて、しゃくり上げながら、女性が顔を上げる。


「あ、あなた!あのときのメイド!?」


 公爵家にはいないと回答された、そばかすのメイドだった。

 女性の声を聞いた瞬間、ユーグの足下でスージオが動く気配がした。


「どけ、あの女を殺さなくては、君は」

「やめて、お願いだから!あなたの命と代えられるわけがないでしょう!?」


 強い魔力が動く気配がする。鉄の匂いが鼻をつく。自らの血を媒体に矢を作り出そうとする男に、メイドがすがりつく。

 押さえつけられたスージオと私の間にはメイド服の女性が挟まれており、彼女を貫通しなければ私を捉えることはできない。

 男が躊躇するあいだに、男の腕からボキリと鈍い音がした。骨が折れたのか、それとも突然現れた女性に集中力を失ったせいか、空中の血は霧散する。

 震えながらそれでもスージオから離れようとしないメイドのポケットから、何かが落ちた。

 青い羽根だった。

 強い香りを放つそれに、ユーグが眉間にしわを寄せて口元を押さえる。


「認識阻害の魔道具か。何かの薬も使ってるな」


 にらみつけられたユーグ配下の騎士達がざわつく。騎士達の包囲網をメイド一人が抜けられたのはこの羽根の力らしい。


「……トリュトンヌ公女?」


 青い羽根を見ていて、どうしてだか口をついて出た。

 びくりとメイドが肩を震わせる。


(どうして、気づかなかったんだろう)


 背格好も、顔立ちも、違和感はあるけれど同じ女性のそれだ。


「え、マジで?」


 ひょっこりとリュファスが顔を出す。

 いつのまにか神殿の屋上にいたリュファスが降りてきていた。

 リュファスがオズの魔法使いよろしく地面を靴のかかとでたたくと、ユーグの足下の石畳がたわみ、石の蛇が男の四肢を地面へ固定する。


「悪い。さっき外したわ」


 ユーグがスージオの背中から足を引き、剣を納めた。


「リュファス」


 不機嫌そうに、弟の名を呼ぶ。


「だからごめんて。ユーグ一人でなんとかなったんだし大目に見てくれよ。かっこいいところ見せられただろ? まぁ、最悪ジゼルでもなんとかなったと思うぜ、こいつなら」


 床に散らばる破片を踏みつけながら、リュファスがユーグに近づく。


「ああ、やっぱりだ。ドーノワ男爵んとこの三男で間違いない。いつだったかオディールのデビュタントで振られてたやつ」

「ええと、では、公爵令嬢と男爵令息のご関係は……」


 殺されそうな男を身を挺してかばう女、顔立ちが似ているわけでもないので身内でもなさそう、となると。


「恋仲でいらっしゃる、とか」


 そうだとしたら、私を殺そうとする理由がわからない。トリュトンヌが王太子妃候補である以上、私の存在は恋路の助けにこそなれ邪魔にはならない。

 うつむいて口をきこうとしない女性に、ユーグが息を吐き出した。


「トリュトンヌ公爵令嬢、ご同行願おう」

「ついでに認識阻害の魔道具、出して。その羽根にしみついてる薬、神経に作用するやばいやつでしょ。さすがに二つ揃えられるとマジで追跡無理になるから」

「……」


 リュファスの言葉に、女性がエプロンの下からブローチを取り出す。

 それがリュファスの手に渡った瞬間、今度こそ、そばかす姿のメイドの女性は見知った令嬢の顔になった。そばかすはそのままだけれど、トリュトンヌ公爵令嬢だ。


「トリュトンヌ公爵令嬢、何故私を……私と、オディールと、ソフィアを狙ったのですか。命がけで守るほど、大切な人がいるのならどうして」


 魔術師のほとんどは貴族で、暗殺や襲撃に魔術師が混ざることなどまず無い。魔法を扱うにも、個性やパターンがでる。

 知っている魔力、と言うべきなのか。今地面に押さえつけられている彼が神殿での襲撃犯だというのは、私にもわかる。


「……王太子妃になれなければ、私は殺されるからです」


 ぽつり、トリュトンヌがつぶやく。

 

「私は公爵令嬢などではありません。トリュトンヌでさえありません。……偽物なのです」


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