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豪華な添え物 2


「ねぇ、どうしてそんなに頑張るの?」


 子供の声がする。

 聞き慣れた声、庭から聞こえてきた、甲高い少女の声。

 目を開けて姿を探そうとするのに、視界はぼんやりとぼやけて薄暗がりに像を結ぶことはない。

 ただ、誰かと向かい合って座っているようだった。


「私が頑張らないと、オディールもダルマスも私も、みんなまとめて不幸になるから。未来を、知っているのは、私しかいないもの」


 繰り返し繰り返し、自分に言い聞かせてきた言葉。だから、こんなところで座っている場合ではないのに。

 立ち上がろうとする私の足は、動かない。


「そうやってあなた一人が頑張れば、皆が救われるのね?あなたってすごいわ。何でもできちゃうのね。かみさまみたい」


 その声は幼いのに、嘲りと面白がるような響きがあった。


「とってもとっても傲慢だわ。そういうところが、愛しくてたまらないのだけれど」


 正体のわからない足音が近づく。

 光源不明の薄明かりが人の輪郭を形作る。

 やはり声の主はオディールの姿をしていた。

 出会ったばかりの頃の、幼いオディールの姿。

 座ったまま立ち上がれない私の目の前に、オディールの形の良いつるりとした額が近づく。同じ色をしているアメジストの瞳が、獲物を見定めるように私を見る。


「私には何もできないのよね?無力で無能な、小さな小さな妹だものね?」


 小さな手が、小さな胸元を指し示して笑う。


「そんなことは」

「じゃあ本当のことを言わないのは何故?どうしてお姉様は私に何も言って下さらないの?愛しているから?それとももう、愛していないから?」

「オディール、私は」


 オディールは私から目をそらさない。


「ねぇ、お姉様。私の愛しい、可愛いあなた。自分だけが未来を知っている安全を、優越を、手放したくないんでしょう?だってそれがなくなったら」


 オディールが嘲笑する。

 私の両頬を白魚のような手が包む。冷たい指先がするりと肌の表面をなでる。

 いつの間にかよく知った一五歳の姿になって、悪役令嬢のように人を見下す笑みで告げる。



「お姉様には、なぁんにもなくなってしまいますものね?」



「ジゼル様」

「!!」


 アンの心配そうな顔と、ベッドの天蓋を交互に見る。

 窓から差し込み光は昼間のもので、時間と日付の感覚が不明瞭になる。


「申し訳ありません、ひどくうなされておいででしたので」

「ううん、起こしてくれてありがとう、アン」


 差し出された水を飲みながら、嚥下に失敗してげほごほとむせる。

 

(シャルマン王太子に言われたこと、気にしてるのかしら)

『その独善は報われないよ』

 あの輝かしい笑顔が脳裏に再生されて、言われたことの理不尽と苛立ちにガラスのコップを握りめた。どれほど力を込めても、令嬢の非力な握力では割れるはずもない。

 それで、あんなおかしな悪夢を見たのか。

 夢の中でオディールに言われた言葉が脳裏をぐるぐると回っている。


「叔父様は?」

「今のところは、ご連絡は何も」

「そう、それは……いいことなんでしょうね」


 オディール失踪の知らせを受けた叔父が最初にしたことは、人身売買をはじめ不法を生業とする裏通りの人間達に総当たりをかけることだった。

 五体満足であること、国内にいること、時間をかけるほど確度が不明になっていく泥の底へ真っ先に手を伸ばした。

 一角商会がそんな後ろ暗い場所へ関わりがあると明言された形になるけれど、ある程度は予想していたので動揺することはなかった。

 丸一日たっても叔父からの連絡がないと言うことは、そんな場所からオディールの情報が出てきていないと言うことだ。

 

「私はどれくらい眠っていたの?」

「3時間ほどです。クタール侯爵家のお二人が先ほど到着なさいましたがいかがいたしましょう」

「服を用意して、すぐに会うわ」


 優しい幼馴染み達は、私が倒れたと聞けば無理をするなと言ってくれるだろう。

 オディールがクタール侯爵家の馬車に乗っていないか、念のための確認に馬を走らせた。状況を察して早々に駆けつけてくれる友人達に感謝する。


「お待たせしてごめんなさい」

「いや、こちらこそ連絡もなく押しかけてすまない」


 リュファスとユーグが並んで座り、アンが淡々とお茶を用意する。

 暖炉の中で静かに薪が燃えている。


「結局、あのときオディールは帰ってないってことだろ」

「そうだと思うわ。オディールなら、って思ってしまった私が悪いの」

「いやそれなら俺も悪いから」


 それにそう思わせてしまうオディールの性格もだ。

 リュファスと二人、深くため息をつく。


「あのときのメイドは?」

「お二人のおっしゃるようなメイドは雇っていないと、公爵家から回答が」


 私に代わってアンが静かに答える。


「はぁ!? あー、くそ、そうだな。そう答えるよな」

「カエルラ公爵家の回答には期待しない方がいいだろう」


 リュファスの悪態とユーグの低い呟きに唇をかみしめる。

 カエルラ公爵家が敵に回っている以上、彼らの言葉は信用できない。

 犯人が外部の人間で、本当に知らないのか。あるいは。

 

「……多分、公爵家にいると思うんだよ、オディール」


 リュファスが独り言のように言って、不機嫌そうに眉を寄せる。

 ポケットから取り出したのは、金色の指輪だ。


「これ、オディールのじゃないんだろ?」

「ええ」


 振り返ってアンにも確認してみるけれど、アンもこくりと頷いた。

 貴金属の管理を任せているメイドのアンが言うのであれば確実だ。


「これ拾った場所がさ、変だったんだよ。庭が凍ってた」

「それは…」

「うちみたいに、結界に不具合でもあったのかって思ってスルーしたんだけどさ」

「すまない、これはクタール側の教育不足だ」

「うるせぇな、俺だって後からあれはねーなって思ったんだよ」


 沈痛な面持ちで謝罪を口にするユーグに、リュファスが舌打ちする。


「王太子を招くような夜会の日に、公爵家が結界の修繕を怠るなんてありえない」

「実際前日まで魔法院に大口の依頼来てたなーって思い出してさ。ユーグの言う、そういう感覚なかったんだわ、悪い。言い訳になるけど、うちの城たまに結界に穴空いてたからな」

「リュファス」

「ジゼル相手に取り繕ったって仕方ないだろ。オディールなんか壁登りしてメンテナンス箇所指摘してきたんだぞ。俺にも壁登って直してこいって言ったの忘れたのかよ」

「それはそうだが……」


 ユーグが深く深くため息をつく。

 嫡子に指名されてからもユーグと身内の争いは続き、リュファスが結界や防護について一通りの魔術を習得するまでの間、クタールの古城は時折『故障中』だった。

 常春のクタール城に、雪が積もっていたという嘲りは社交界でも何度も耳にした。

 それがどれほど屈辱的なことなのか、リュファスとて知らないわけではないのだけれど、ユーグが社交界で耐えていた時間にリュファスは修行の真っ最中だった。

 怖気がするほどの悪意を目の当たりにしていないのでどうしても忘れてしまうのだろう。

 今となっては、クタールの常春が崩れることはないから余計に。


「話を戻そう。オディールが無抵抗で誰かにさらわれたとは思えない。それに、伯爵家の令嬢を公爵家のタウンハウスでさらうなんて、リスクばかり大きくてリターンがなさ過ぎる」

「公爵家にしてみりゃ誘拐が表に出れば確実に疑われるだろ。そうでなくても、夜会の警備について王太子派に攻撃材料を与えるようなもんだしな。だから、オディールを誘拐せざるを得ない状況だったんじゃないか」

「オディールが抵抗したから、魔法を使ったというの?」

「氷の魔術師、それに襲われる心当たりは?」


 それこそ、背中に氷の塊をいられられた心地がした。

 指先から一気に血液が引いていく感覚に、めまいを起こさないようゆっくりとソファの背もたれに背中を預ける。


「神殿で襲ってきた魔術師と、リュファスが見た庭の氷が、同一犯……?」

「可能性は高そうじゃないか」

「だとしたら、狙われるのは私であるべきじゃない?」


 ソフィアごと私たち姉妹を殺そうとした人間だ。

 心臓が嫌な音を立てる。

 そのとき、ドアを殴るようにしてノックする音が響いた。

 あまりにも無礼な振る舞いに、アンが早足でドアを開ける。

 そこには、真っ青な顔をしたメアリがいた。

 動揺のせいか、何度も「あの、あの、」とどもりながら、半泣きで鼻をすする。

 アンが勢いよく背中をたたくと、メアリが小さく悲鳴を上げて背筋を伸ばした。 


「お、お嬢様の、お嬢様が! ジゼル様っ、庭にこんな物が投げ込まれてて……!」


 震えながら差し出された、湿った羊皮紙の感触が、ぬるりとその冷たさで指先をつかむ。

 悪意が染みこんだようなそれを広げて、唇をかみしめた。


『妹の命を助けたければ』


 殴り書きにされた文字が続く。


『明日の夜、王都で一番南の神殿へ ジゼル・ダルマス一人で来い』


 唇が切れて、血の味がする。

 おかしなことに、出てきたのはため息のような笑いだった。




 その通り、狙われるべきは王太子の恋人である、私なのだ。


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