ラムクラウン
公爵家のタウンハウスは、曇天を忘れさせるような光量で満たされていた。
雪花大理石の壁はかがり火に輝き、大きなアーチや精巧な彫刻があらゆる場所を飾っていた。
冬を忘れさせる魔法が隙間なく施され、庭には季節を問わない花が咲き乱れている。
こんなに魔術的に恵まれた庭はめったに見ることができない。
過去の記憶には二つだけ。クタール侯爵家と、王城だ。
魔術に長けたクタール侯爵家はともかく、相手が公爵家というとんでもない権力者だと言うことを思い出されて胃のあたりが重い。
白と黄金を基調とした王家の馬車から、シャルマンの手を借りて降りる。
今日の装いはシャルマンに贈られた例のドレスだ。
アクアブルーのドレスは金の刺繍で飾られている。同じ色の礼服をまとうシャルマンの刺繍は銀色。宝石はそろいのアメジスト、どこからどう見てもオーダーで揃えたペア装備。
完璧な王子様はいつものように優雅に手を差し出し、私は控えめな笑みでそのエスコートを受ける。動くたび、ドレスの布地に縫い付けられた貝のビーズが水滴のように煌めく。
子供の頃に憧れたお姫様のドレスに似ていた。
こんな形で着たくなかった。
すぐ後ろの馬車から、リュファスが身軽に降りてくるのが見えた。
丁寧にオディールに手を差し出してエスコートしている。
気持ち、ぐったりしていた。
(馬車の中でオディールに指導されたのかしら……)
そのリュファスの手を借りてオディールも馬車から降り立った。烈火のような性格そのもの、深紅のドレスを纏ったオディールは、相も変わらず不機嫌そうだ。
「早々に余所見とは感心しないな、ジゼル嬢」
「!」
耳元で囁かれて肩が跳ねる。
「それとも余裕なのかな」
シャルマンは面白がるように笑っている。黄金色の目をにらみつけそうになって、意識して微笑んだ。
「妹が心配で」
「ああ、『可愛い』お嬢さんだからね。気持ちはわかるよ」
思い出し笑いに口元を緩ませるシャルマンに苦虫をかみつぶす。その可愛い暴走のおかげで、私はこんな好きでもない王子様のデコイをやらされる羽目になっているのだ。
作中のソフィアは愛があったから耐えられたかも知れないけれど私は愛がないので耐えきれない。
タウンハウスの廊下ですれ違う貴族達が丁寧に頭を下げる。
大広間の扉が開かれると、ざわめきが群衆の中を野火のように広がった。
「王太子殿下とダルマス小伯爵よ」
誰かが囁いた。
「先日は王城の私室どころかその奥にまで招いたとか」
別の誰かが付け加え、その言葉に一斉に扇子が開く音と光が重なった。
「未婚の娘が?」「はしたないこと」「ご令嬢自ら飛び込んだとか」
輪唱のように囁きが重なる。
「母親のいない娘はこれだから」
年配の貴婦人が聞こえよがしに呟いた。
それらすべて、何も聞こえないふりで視線を動かさず、シャルマンにエスコートされるままに進む。
大広間はには目を見張る光景が広がっていた。精巧な織りのタペストリーが壁を飾り、クリスタルのシャンデリアが天井からつり下がる。
暖かな黄金色の光は、シャンデリアに飾られた無数の宝石を通して、色とりどりの光の粒を会場全体に投げかけていた。
「ようこそ、王太子殿下。ダルマス小侯爵」
声はまるで歌劇のように広間に響いた。
カエルラ公爵がトリュトンヌを伴って近づいてくる。オリーブ色の髪を豊かに流したトリュトンヌは、神殿で見た豊穣の女神のようだ。二人とも、青い鳥の羽を飾っている。
「今宵はあなた方をお迎えできて光栄です。どうぞ、心ゆくまでお楽しみ下さい」
「招待に感謝する、カエルラ公爵」
シャルマンは輝くばかりの笑顔を浮かべ、カエルラ公爵の肩をたたいた。
「そうだ、私の今宵のパートナーを紹介しよう。ダルマス小伯爵、ジゼル・ダルマス嬢だ。もう面識はあったかな?」
「ええ、もちろんです、殿下」
シャルマンの白々しい問いに、カエルラ公爵は笑顔を崩すことなく頷いた。
「先日の、娘のデビュタントの際にご挨拶を。思いがけず早々にご招待が叶って嬉しい限りです」
カエルラ公爵の視線がこちらに向いて、思わず肩がこわばる。
「どうぞ、楽しんでいって下さいジゼル嬢。ダルマスの、そう、茨の」
張り付いたような笑顔のまま、なめらかにしゃべっていたカエルラ公爵が何かを思い出すように口元に手を当てる。数秒、目を伏せて、眉間にしわを寄せて口を開く。
「そう、茨の中の薔薇。ダルマスの、古い魔術師。いかがです、私の館はお気に召しましたか?」
奇妙な言い回しだった。
先日のデビュタントの会話の続き、あるいは寝返ったことへの嫌味を覚悟していたのに、カエルラ公爵からはそんな雰囲気はみじんも感じられない。
ただ、歓迎の言葉と読み取るには違和感のある言葉だ。
「はい、素晴らしい邸宅ですね。こんなにたくさんの季節の花を見たのは、王城以外ではここが初めてです」
「ええ、そうでしょう。我が家の自慢です。ああそうだ、薔薇が見頃ですよ。私の亡き妻が、あなたに似ているといっていた薔薇です。我が家の自慢の。いつかお目にかけたいと思っていました。是非庭へ足を運んで下さい」
「え……?」
会話がかみ合っていない。
カエルラ公爵の奥方に面識はないし、そんな記憶は存在しない。
カエルラ公爵の視線が私たちの後ろにいるオディールに向けられる。彼の眉間にいっそう深いしわが寄った。
「その……そのように言っていただけて、光栄です。カエルラ公爵様」
「お父様、もしかして懐中時計をお忘れなのでは?」
トリュトンヌが微笑んで進み出た。
「白薔薇の美しさにはしゃぐ気持ちは理解いたしますけれど、お父様達が長話をしていては、いつまでも楽団が曲を始められません。夜は始まったばかりなのですから」
「もちろん、もちろんだトリュトンヌ」
カエルラ公爵は蜘蛛の巣を払うように手を振り、小さな声で何か呟いた。
「……どうぞ今宵の宴を楽しんでいらして下さい、王太子殿下、ダルマス小伯爵」
「『社交界の花』のご臨席を光栄に思います」
公爵は舞台がかった仕草で頭を下げ、トリュトンヌもきっちり嫌味を言って優雅に膝を折って背中を向けた。
「ちょっと、失礼じゃなくて?」
オディールの心の底からいらだった声が聞こえてしまう。耳ざとい貴族が数名、ちらりと扇子の影から視線をよこしていた。
その視線に反応してか、オディールが少しだけ声を落とす。
「それに、なんだか様子がおかしかったわ」
「あのおっさんが俺のこと無視すんのはいつものことだけど、オディールまでってのはどしたんだろうな?」
リュファスが首をかしげた。
「ジゼル嬢は公爵夫人と生前交流が?」
シャルマンの言葉に首を横に振る。
侯爵夫人はずいぶん前に亡くなってる。トリュトンヌが女主人として夜会を取り仕切っているのもそのためだ。
「まさか。ずいぶん前に亡くなったと聞いています」
「そうだね、トリュトンヌ嬢が生まれてまもなくのことだから、面識があるとしたら2,3歳かな」
「それはさすがに記憶にありませんよ。それに、そんな幼児に向かって薔薇に似ているとは言わないでしょう」
「いくらお姉様がお母様に似てるからって。もしかしてもう酔っ払っていらっしゃるのかしら」
オディールが眉間にしわを寄せて吐き捨てる。
さらに何か言いつのろうとした瞬間、さざ波のような気配が会場の空気を震わせた。
視線と囁きが刺さる気配がして、その原因を探そうと首を巡らせると、鮮やかな萌葱色のドレスが目に飛び込んできた。
「……ユーグ」
ぽつり、口をついて名前がこぼれてしまう。
ユーグがいた。令嬢をエスコートしている。その令嬢は、ソフィアだった。
会場の反対側で、トリュトンヌがご満悦といった表情を浮かべている。
社交界で話題の人物をどれだけ取りそろえられるか。違う派閥の大物を集めて、議論を適度に盛り上げて話題を作れるか。
話題の三角関係の主を全員引っ張り出して見せたのだ、この夜会とトリュトンヌのレディとしての手腕は間違いなく社交界で話題になるだろう。
ソフィが不安そうに会場を見渡して、こちらと目が合う。
私を見つけたのかオディールを見つけたのか、嬉しそうに目を輝かせ、ユーグに何事か囁いた。
ユーグがソフィアをエスコートするために腕の角度を変えるのと、オディールが反応するのは同時だった。
「私、庭を見てきます」
「えっ、オディール!?」
「慣れない夜会で人酔いしてしまいましたの。それに」
オディールは言葉を切って扇子を開いた。
薔薇の刺繍が美しい扇子は、水晶とダイヤで飾られている。
「口を開けて餌を待っている意地汚いケダモノに、餌を施すほどの慈愛の心はもちあわせておりませんわ」
扇子で口元を隠したままソフィア達の方向をにらみつけ、さっそうとドレスの裾を翻す。
オディール、もう一度そう呼びかけようとして、呼び止める理由が見つからず手が空を切る。下卑た好奇心ばかりの視線にさらされているより、庭にでも出て気分転換したいというオディールの考えは良く理解できる。
(アンガーコントロールができていると思えばむしろ正解……?)
人知れず庭で悪態をつく方が、ここで癇癪を起こしたりするよりずっといい。
迷う私の前を、黒い影が横切った。
「俺が行くから、心配すんな」
すれ違いざま、低くリュファスが囁く。
そのまま滑るように足音もなくリュファスはオディールの後を追って庭へ出て行ってしまった。広間のまぶしさに紛れて、庭の暗がりはあっというまオディールとリュファスを隠してしまう。
(リュファスに任せれば安心よね)
ほっとして振り返った先で、ユーグとソフィアは入り口近くから動いていなかった。
目をこらすと、二人の隣にリンデン伯爵がいるのが見える。
(もしかして、家ぐるみで親しかったりするのかな?)
リンデンもまた、広大なクタール侯爵領と隣接している。
もしかしたらソフィアのことも前から知っていたのかも知れない。
父親の登場に、ソフィアが目を細めて笑い、ユーグと二言三言交わしてまた笑う。
ヒロインと攻略対象らしい、絵になる光景だ。
少しだけ、寂しい気がした。
(友達に恋人ができたのを私だけ聞かされてなかった、みたいな……?)
たとえソフィアがユーグルートに進んだとして、ダルマスはその婚姻に関与しない。
クタール侯爵家の後継者問題は一応解決しているので、むしろ私とオディールは安全といえるルートだ。
(だからもし、ソフィアが選ぶのがユーグルートなら、祝福すべきよね)
胸の中の奇妙なモヤモヤを飲み込んでため息に代える。
「お前は本当に、私を孤独にするのが得意だな、ジゼル伯爵令嬢」
「ひぇ!?」
令嬢らしからぬ悲鳴が漏れた。
シャルマンがいつの間にか腰に手を回し、片手を取って歩き出したからだ。ぴったりと体の半分がくっついて、後ろ抱きにされている気分だ。
「王太子として令嬢をエスコートしてここまでないがしろにされたことはないよ。貴重な経験だ。褒美を取らせるべきかな」
「ご冗談を。私の心はいつだって殿下の物だというのに」
ルビに『だんざい』とか『ペナルティ』と振られていそうな褒美は御免被りたい。
見つめ合い、にっこりと笑い合う。
心のこもっていない笑顔が二つ、夜会のシャンデリアの下で光っている。
トリュトンヌが優雅に右腕をあげると、楽団が音楽を流し始めた。
「それではジゼル嬢、一曲お相手いただけるかな」
「喜んで、殿下」
優雅に差し出された手を取って、フロアの真ん中に進み出る。
首筋に刺すような視線を感じて振り返ると、ソフィア達が目に入った。
嘘偽りのないペリドットの瞳から逃れるように、視線をそらして目の前の黄金色の笑顔に集中することにした。
【コミカライズのお知らせ】
いつも作品を読んで下さってありがとうございます。
このたび、「悪役令嬢の姉ですがモブで良いので死にたくない」のコミカライズが決定いたしました!
応援して下さった皆様のおかげです!
FLOS COMIC様から8月7日連載スタートです。
詳細は以下の活動報告に掲載しております。
【コミカライズのお知らせ】悪役令嬢の姉ですがモブで良いので死にたくない
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