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石の病

 全力で廊下を走る淡雪の君という矛盾を感じる光景に騎士もとっさに反応できなかったのか、結局私は廊下を走りきり、近衛騎士に止められることなくシャルマンの私室の扉を開けることに成功し、そしてそのまま倒れ込んだ。

 病弱が標準仕様、毎回死んでるモブの面目躍如な倒れっぷりだった。

 目が覚めると、シャルマンが輝く笑顔と絶対零度の瞳という器用な表情で私を見下ろしていた。

 正直もうメイン攻略対象と和解する未来が見えない。

 私室どころか仮眠室にまで運び込まれたジゼル伯爵令嬢に、社交界のおしゃべり雀がどんな尾ひれをつけて噂して回ったかは推して知るべし、といったところだろう。




 図書館から逃走してから数日、ぐるぐると回る羞恥心と謎の焦燥から逃避するため私は調べ物に没頭した。

 色々と調べてみたけれど、シャルマンの言っていた薬については結局進展が無いままだ。

 商会の帳簿を見せてもらっても、そもそも薬の名前に覚えがなく、咳止めの薬が売れているということくらいしかわからなかった。


「隠語……暗号?」 


 本と記録の山に埋もれそうになっている間に、ドアをノックする音がした。


「ジゼル様ぁ、よろしいでしょうか」

「メアリ? 入っていいわよ」


 失礼します~と間の抜けた声と共に、メアリが入ってきた。

 その後ろにソフィアが立っていて、首をかしげてしまう。

 タウンハウスへの訪問は報告を受けていたが、いつもならオディールの所に真っ先に向かうのに。


「いらっしゃい。オディールはどうしたの?」

「今は手を離せないと言われて~」


 ソフィアを案内してきたメアリが、小走りに寄ってきて耳元に口を寄せる。


「今日の分の授業の資料ができていないから、ちょっと時間を稼いでほしいそうです」

「資料?他の先生方の用意したものを使っていないの?」

「オディール様の成績が書き込まれているので~」


 眉をハの字に下げたメアリに、納得する。

 いつぞや隣で授業を受け続けた際に何度も見た、書き込みで真っ赤になった教科書と、何度もダメだしされたチェックマーク。プライドの高いオディールがソフィアに見せたがらないわけだ。


「わかったわ。オディールの支度が調うまで、お客様は私がもてなすわね」

「ありがとうございます~!お嬢様も喜びますっ」


 ぱたぱたと上品でない足音を残して、メアリは部屋を出て行く。

 入れ替わりにアンがティーセットを持ってきて、てきぱきとソフィアの前へお茶を並べた。

 書斎に備え付けられた椅子に腰掛けたまま、ソフィアは物珍しそうに壁の書籍を目で追う。私の前に積み上げられた本の山に目をとめて、気まずそうな顔をした。


「すみません、お忙しかったですよね。ジゼル様はダルマスのお仕事もあるのに」

「そういうわけじゃないのよ、これは少し、別件というか」


 ソフィアがますます眉尻を下げる。


「あの、このところずっと調べ物をなさっているみたいですけど、どうか無理はなさらないで下さいね!私にできることがあったら、何でも言ってください。お力になりたいんです」


 ぐっと拳を握るソフィアに、少し考えて顔を上げる。善意の塊のようなソフィアに、少しばかり甘えてもいいだろうか。


「うちで、というか、一角商会で扱っている薬のことを調べているの。辺境の薬師が作っていた薬、だと思うんだけど、種類が多くてよくわからなくて」


 ダメで元々、愚痴のようなものだ。そう思って口に出してみると、ソフィアの表情が曇った。


「?」

「あっ、その」


 少し、口ごもりながら、しかしおずおずとソフィアが口を開く。


「多分、なんですけど。石の病に使う薬じゃ無いかな、と」

「石の病?」

「私の父が患っていた病気です」


 ソフィアの言葉に息をのむ。

 私の表情を見て、ソフィアは笑って首を横に振った。


「ジゼル様とオディール様のおかげで、父の病は完治しましたから!薬さえあれば、治る病なんですが、それを作れるのが、いわゆる辺境の薬師しかいないんです」

「いわゆる……?ソフィア、石の病のことについて、聞いてもいい?」

「はい!私の知っていることでしたら」


 ソフィアは微笑んで頷いてくれる。


「私たちの地方では、石の病と呼ばれています。体の端から徐々に石のようになって、半分も固まれば大体の人は死に至ります」


 淡々と語る、その口調に少しだけぶれが生じる。つらい過去を思い出しているのだろう。


「平民の多くは魔力の器がありません。それなのに魔力が少しずつ体に貯まってしまって、発症するそうです。父の場合は、土の属性の魔力が貯まったのが原因です。木の魔力ならば木のように、火の魔力なら炭のように、水の魔力なら氷のように、いずれにせよ石のように固まってしまうと聞いています」

「そんな病があるなんて……」


 聞いたことも無かった。動揺する私を気遣うように、ソフィアは柔らかな笑みを浮かべた。


「貴族の方がご存じないのは仕方ありませんよ。これは、魔力の器が無い、平民だけがかかる病気です。それに、ダルマス領では薬がとても安く手に入るので、ジゼル様の耳に入ることは無いと思います」

「そうなの?」

「はい! 一角商会が、ダルマスの領民にはすごく安く薬を売っているんです。石の病にかかるのが怖いから、ダルマスへ移住しようっていう人がたくさんいるって先生が話していました」

「……」


 人口はその領地の発展の基盤だ。都市部であれば過剰な人口によるマイナスが生じることもあるだろうけれど、ダルマスは先代までぼろぼろだった土地なので、当分そんな心配はしなくて言い。

 問題は、住人増加ボーナスが、近隣の領土からの引き抜きで発生していることにある。

 人口が減れば税が減る。

 人が減れば土地は衰退する。

 ぎゅっと口の中を噛んだ。

 商会が、辺境の薬師達と呼ばれる人たちを従業員として雇いあげ、その薬を独占販売する。薬自体は貴族には無用の長物だけれど、平民にとっては死活問題だ。

 薬の流通を規制し、家族や恋人に罹患者のいる平民にその薬をちらつかせれば、言うことを聞く人間がいくらでもいるだろう。それがたとえ、犯罪行為であっても。


(王太子殿下の縁談に影響を及ぼす程度の、『歯車』ね)


 子爵家程度の商いであれば、最悪王家の一存で潰してしまえただろう。

 しかし、一角商会の所有権は長子テオール・パージュの娘であるジゼル・ダルマスに継承されている。

 伯爵家の商会になってしまっているのだ。これを潰すには貴族院の許可がいるだろう。

 だが、従業員を雇って薬を作っているだけの商会を、どうやって潰すのか。喜ぶのは商売敵くらいだろう。そして、平民を相手にする商売を大々的にやっている貴族は少ない。大貴族ならばなおさらだ。

 わざわざつぶすほどのことがない、けれど使いようによってはとても致命的な毒針。


(警戒されるわけだわ)


 観客面、とシャルマンは言った。

 なるほど、これだけの毒を手に入れておきながら、何も知らぬ顔で笑っている貴族令嬢がいたならば、それこそ悪女にしか見えないだろう。


「……どうあがいても悪役一族……」


 重いため息と共に愚痴めいた言葉が口からこぼれてしまう。


「え?なんですか?」

「ううん、独り言。なんでもないの。ありがとうソフィア、おかげですっきりしたわ」

「お役に立てたなら幸いです」


 にこにこと笑うソフィアは、素直で愛されるヒロインそのものだ。


(この愛嬌の半分もあれば、オディールが敵を作ることもないのに)


 苦笑してしまう。そんなものは、オディールではない。ぷんすかと怒り出す、癇癪持ちな妹が可愛いのだから、これは無い物ねだり以下の、純粋な心配だ。


「でも、つらいことを思い出させてしまったわね。何かお礼をできることはない?困っていることだとか」

「まさか!もうお二人は、十二分に私を助けて下さいました。こんなこと、お礼をされるようなことじゃないです!」


 慌てた様子で体の前で両手を振って、長いまつげをぱちぱちとしばたかせる。


「遠慮しなくて良いわよ、あなたのこともね、妹のように思っているの」


 長い間プレイし続けて、ずっと見守ってきたヒロインだ。

 彼女の恋と幸福を応援しながら周回してきたので、いっそ娘のように思っているが正しいかも知れない。

 ソフィアは顔を真っ赤にして、ぎゅっと両手を組んでいる。

 そんな初々しい仕草をにこにこと見つめていると、やがてソフィアは視線をさまよわせながら顔を上げた。


「あの、では、もしよろしければ」


 大きく息を吸う。


「氷の薔薇を、いただけませんか?」

「え?」


 予想外の言葉だった。私の態度に、ソフィアは慌てた様子でソファから立ち上がる。


「図々しいことを言ってすみません!でも、あの、オディール様からお話を聞いて。親愛の証だって。本当に美しいって、聞いたので」


 見てみたかったんです、と語尾が消えていく。

 そういえばソフィアは平民出身で、魔術師とも関わりがあまりないのだろう。貴族を相手に見世物のように魔術を披露してほしいというのは確かに失礼な行為だ。

 水差しに手をかざす。

 魔力を注いで、薔薇の形を作っていく。

 暖炉の灯りを映した薔薇は、オレンジ色に光っている。ポキリと茎を手折ると、水差しの水は波紋を描いてやがて静かになった。


「そんなにたいそうなものじゃないでしょう?」


 薔薇を差し出すと、ソフィアはペリドットの瞳をキラキラさせて受け取った。

 一瞬触れたソフィアの指先は温かくて、氷の薔薇はすぐに溶けてしまいそうだ。


「……これからも、オディールと仲良くしてあげてね。少し素直ではないところもあるけれど、良い子なの」

「はいっ!ジゼル様」


 にっこりと笑ったソフィアにつられて笑う。

 かつて、ソフィアが舞踏会に現れないことを願っていた。

 そうして、原作とはまるで違う未来を手に入れたとき、初めて新しい人生を歩めるのだとも。


(原作のストーリーからははずれてしまったけど、オディールとソフィアが仲良くなれば、もう『まるで違う未来』だと思っていいんじゃないかな?)


 オディールの妨害工作による断罪イベントがなくなるのだから。


(領地の経営を叔父様から引き継いで、結婚相手も探して)


 脳裏に浮かんだ人影に、心臓が一瞬不整脈を起こす。

 しかし、鼓動に耳を澄ませるまでもなく王太子の輝く笑顔でかき消されてしまった。


(王太子と公爵家のあれこれのけりがつくまで無理よねー……なんとかしないと)


 不意に、扉を開く音で意識が引き戻される。

 アンが書斎の扉を開ける音だった。


「どうかしたの?アン」


 扉の向こうには誰もいない。

 ぴんと背筋の伸びたアンの背中を見ていると、さらりと切りそろえられた黒髪が揺れた。


「……申し訳ありません、気のせいだったようです」


 平坦な言葉に首をかしげつつも、アンの表情からはそれ以上何の情報も読み取れない。


(このあいだから襲撃だの王家の騎士だの物騒なお客様が多いものね……神経質になるのも仕方ないか)


 今度の給料は多めに支給しよう、そう決意する。

 オディールのやらかしに平然と対応できるメイドがいかに貴重か、ダルマスをでてひしひしと実感する日々である。






 結局夕方になってもオディールの資料は完成せず、ソフィアにはダルマス名物の薔薇のお菓子を持たせて家へ送り返すことになった。

 ソフィアは気分を悪くした様子もなく、嬉しそうに氷の薔薇を抱えて持って帰った。

 メアリに様子を尋ねると、寝てしまったとのことだ。


(慣れないことするから疲れちゃったのね……本当はお客様に失礼があったことをしかるべきなんだろうけど……)


 新しい友人のためにはりきって頑張る、そんなオディールが微笑ましい。

 オディールは昔から眠りが浅くて、早く寝ると夜中に目を覚ましてしまう癖がある。


「夜食を用意するように、厨房に伝えてね。王太子殿下からいただいた王室御用達のジャムを使ってちょうだい」

「かしこまりました、ジゼル様」


 アンは静かに頭を下げて、いつも通り音もなく部屋を出て行く。

 廊下を歩くアンが、ふと足を止めた。

 その視線の先、ひときわ窓の大きな部屋は、オディールの部屋だ。

 そこに灯りがついている。

 しかし、アンは静かに目を伏せて、また足音もなく廊下を進んでいった。




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