贈り物の意味2
「ジゼル?」
「え?」
名前を呼ばれて、顔を上げる。
いつの間にかユーグの顔がすぐ近くまで来ていた。全く気がつかなかったけれど、もしかして何度も呼んだのかも知れない。
「あ、ご、ごめんなさい!少し考え事をしてたみたい。なんて言ったの?」
「いや、その……この、リボンなんだが。防護の魔道具として、矢の一本くらいは防げるはずだ。君のお気に入りのリボンに似せて作ってあるから、どうか」
もらってくれないか、その言葉はどんどん小さくなって、ここが静かな書庫でなければきっと聞き逃していただろう。
「いいの?嬉しい」
「……じゃあ、僕が着けてもいいかな」
もちろん、と続けようとした私の脳裏に、急にキラキラしいスチルが再生された。
恥ずかしそうに、魔道具を差し出すヒーローは、ユーグの顔をしている。
魔道具はルート分岐用のキーアイテムだった。
それを受け取るかどうかで、エンディングが変わったり、イベントが失敗したりした。
(あれ?)
目の前のリボンに、釘付けになってしまう。装飾の欠片も無い、平坦な布きれ。回路を描く黄金が、時折キラリと光る。
(もしかしてこれ、分岐イベント?)
ユーグがジゼルに魔道具を贈るイベントなんて無い。当然だ、ゲーム内ではジゼルはリュファスの婚約者で、ユーグからは弟とまとめて無視の対象だった。母親の思惑を鑑みれば、哀れみくらいは持っていたかもしれない。
ジゼルを気遣って、あまつさえ魔道具を手渡すユーグなんか、知らない。どうしていいか、わからない。
私だけが地図を持って歩いているつもりだったのに、いつのまにか見知らぬ土地へ放り込まれている。
道を書き換えたのは私なのだから、八つ当たりの対象もいない。クタール侯爵兄弟は仲良しで、ソフィアはシャルマン王太子と恋仲ではなく、ジゼル伯爵令嬢は王太子の偽の恋人ときた。
正解がわからない。
(だいたい、そもそも)
無意識に拳を握りしめていたらしく、手のひらに爪先が食い込んでいた。
(これ恋愛イベントなの!?)
原作に照らし合わせるならば、魔道具は大事なイベントアイテムだ。しかし、現実に魔道具は高級品ではあるが、そこかしこにあふれている。
魔道具が恋愛イベントでしか使われないアイテムなら、私がクタール侯爵城へ向かうときに魔道具を作ってくれた先生は私の恋愛ルートのお相手と言うことになってしまう。
つまりこうして悩むこと自体が、ユーグが私に恋愛感情を抱いているという前提の妄想に過ぎない。
おもわず伺うようにユーグの顔を見てしまう。相も変わらず端正な顔立ちで、いつだって私とオディールに誠実で優しい、私の幼馴染み。良き隣人。得がたい友人。私を恩人と呼んで、手を差し伸べてくれる誠実な人。
息を吸って吐いて、冷静になるといっそう自分の図々しさが際立って胃がねじれそうだった。
(お、おこがましい!厚かましいわよ、私っ!現実にイベントは存在しません!友情!友情のプレゼント!これまでも普通に色々もらったしあげてたじゃないっ)
考えるほど一気に恥ずかしくなる。
「ジゼル?」
気がつくとユーグの顔がすぐ側にあって、私の肩が跳ね上がる。
「え、あ、わっ!?」
思わず1歩引こうとして、ふかふかの絨毯に無様に足を滑らせた私を、ユーグは片手で支えて見せた。
ドレスを着込んだ私の体重を支えてもユーグはびくともしない。いつのまにか、背が伸びたユーグの、泉の色をした瞳が真上にある。いったいいつから、こんなに首の角度を要求するほど背が伸びたのだろう。
肩幅だって大きくなって、そのせいで明かり取りの窓がまるで見えない。
ユーグの姿で、視界が一杯だった。
「……無事かい、ジゼル。顔が赤いけれど、もしかして熱でもあるのか?医者を呼ぼうか」
「大丈夫、本当に、大丈夫だからっ」
慎重に、ユーグから体を離す。
もの問いたげなユーグの視線にさらされて、目を合わせることができず泳ぎまくる。
「その、私の知っている物語にね」
「?」
ユーグが怪訝な顔をするから、私の焦りが加速していく。もつれそうな舌をなんとか回して口を開く。酸欠でぱくぱくと口を開く金魚のようだ。
「そう、物語! それにね、魔道具を、想い人に渡すシーンがあってね」
ぴくりと、ユーグの指先が動いた。
きらりと反射する金色の回路に、彼の動揺を見てしまって焦りが募る。
「なんだかそれを思い出して、ちょっと、びっくりしたの。そのシーンにとても似ていたから。ごめんなさい、訳わからないよね、ごめん。いやだ、恥ずかしい。何言ってるんだろう私」
一息に言い訳を吐き出して、さらなる恥を重ねた確信に耳の上で心臓がビートを刻む。
ドコドコとご機嫌なドラムの音が聞こえる勢いだ。
「お願い、忘れて」
「……は?」
あきれたような、思わずといった様子で漏れたユーグの声ともため息ともつかない反応に、もはや涙目になってしまう。恥の上塗りとはこのことだ。
「そ、そろそろ帰らないと!帰る前に王太子殿下に挨拶しないとだし!」
「待ってくれ!」
逃げ出そうとする私の腕を、ユーグの大きな手がつかんだ。
もう少年の手では無いと思っていたけれど、骨張った堅い感触が腕を一周して、いっそう彼が大人の男性の手をしているのだと意識してしまう。
心臓がはねる。
どくどくと、嫌な音を立てる。
「ジゼル」
初めて聞く声で、ユーグが私の名を呼んだ。
何か、聞いてはいけないものを聞いてしまったような、開けてはいけない箱を開けてしまったような感覚に、思わず捕まれた手を引いてしまう。
その拍子に、ユーグの手から滑り落ちた魔道具が軽い音を立てて床に落ちた。
視界の端で、金色の部品が床を転がるのが見えた。
「っ、ご、ごめんなさい!!」
ユーグの手がほどけ、私は自由になった右手を中途半端に下ろせないまま、至近距離で見つめ合う。
そのまま、ふらつくように後ずさりして、身を翻した。
王城の廊下に、淑女らしからぬヒールの足音が響く。
(やらかした、何かわからないけど、多分やらかした)
元々頑丈ではない体中に、心臓が過剰に血液をおくるものだから、耳の端まで火傷したように熱かった。




