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暖炉の温もり

 馬車の中で苦い胃薬を流し込みながら、ふらふらの足取りで帰宅する。

 アンの手を借りながら馬車を降りた私を待ち構えていたのは、黄金の獅子の紋章を恭しく携えた使者だった。アンは造作も無く受け取ったが、大きな箱はずしりと重たそうだ。


「王太子殿下から、ジゼル・ダルマス伯爵令嬢に贈り物でございます。トリュトンヌ公爵令嬢の舞踏会には、是非このドレスを着ていくようにと」


 使者が気取って頭を下げると、その後ろに一抱えもあるような薔薇の花束を抱えた騎士がいて顔が引きつる。その騎士がバラを持って進み出ると、さらに後ろに小さな箱を持った侍従が続いていた。嫌すぎるルーブ・ゴールドバーグ・マシン(ピタゴラ装置)だった。


(褒美というよりは首輪よね……)


 再度の寝返りは許さないという強い圧を感じる。さっき飲んだ胃薬を吐きそうだ。

 丁寧に王太子の使者を見送り、ようやくタウンハウスへ帰宅する。

 アンの手を借りて楽な部屋着に着替えると、ようやく人心地つけた。

 メイドが入れ替わり立ち替わり部屋へ出入りするたび、廊下から聞き覚えのある声が聞こえて首をかしげる。


「オディールが何かしているの?」


 罵声や金切り声では無い。どちらかというと、元気におしゃべりしているようだ。

 そう、それもとても一方的に。

 誰かに、プレゼンテーションでも聞かせているかのように。

 つい先日のぞっとする光景が思い出されて、私は思わず立ち上がる。


「ご心配なさるようなことは無いと思いますが」


 アンは冷静にそう言って、私にショールをかけてくれる。

 廊下に出ると、オディールの声はすぐに鮮明になった。書斎から漏れるオレンジ色の灯りに引き寄せられるように歩み寄ると、バシッと何かをたたく音がした。


「違いますわ! 杖と隼はクタール侯爵家、この紋章は鷹ですし、杖でさえありませんわ。持ち手がシンプルでわかりづらいですけれど、これは剣ですのよ。これで二度目ですわよ、ソフィア嬢」

「すみません! オディール様!」


 ハキハキと元気な謝罪の言葉が聞こえた。

 書斎をのぞき見ると、そこにはいつぞやの教師スタイルのオディールと、机に向かって書物を積み上げたソフィアがいた。


「何をしているの……?」


 思わず呟くと、オディールが顔を上げて「あら」と呟いた。


「おかえりなさいお姉様!王城はいかがでした?」

「そうね、まぁ、ある程度、予想通りよ」


 オディールにあまり心配をかけたくないのと、突然鞭を持って喧嘩を売りに行ってほしくないので、詳細はぼんやりとぼかす。オディールが期待する、甘い甘い恋物語はお土産にできそうもない。そこになければ、ないのだ。


「おかえりなさい、ジゼル様。あの、お疲れではありませんか。お茶をおいれしましょうか?先ほどオディール様に教えていただいたんです」


 ソフィアが椅子から立ち上がり、いそいそとサイドテーブルのティーセットに手を伸ばす。

「オディールに?」

「はい!オディール様直々に、色々と教えていただいているんです!今は、紋章学を教わっているところです」

「……オディールに?」


 思わず二回繰り返してしまう。

 ソフィアは嘘の無いきらきらした瞳でこちらを見上げている。オディールはというと、まんざらでもなさそうに胸を反らして、逆三角形の伊達めがねを持ち上げて見せた。


「私の復習をかねて、ソフィア嬢へ教えて差し上げているのよ。もののついでですけれど、まぁ、素質はあると思いますわ、ソフィア嬢」

「本当ですか?嬉しいです、オディール様!」


 ツンデレな褒め言葉に、ソフィアが胸を弾ませるのと同時に腕まで弾ませてしまったので、紅茶は目標をそれてカップの外側を流れ、ソーサーにびちゃりと着地した。


「もう!ポットを持っているときはちゃんと集中なさって!」

「すみません……」


 はじけるような笑顔から一転、しょんぼりするソフィアに、オディールは眉間にしわを寄せる。


「それよりあなた、手にお湯がかかったんじゃなくて?メアリ!すぐに冷たい水を持ってきて、ぼさっとしないで!」

「はぁい~!」

「大丈夫ですよメアリさん!全然熱くなかったですし!」

「それはそれで問題ですわ。煮えたぎるほど熱いお湯がこの茶葉の適温だと、さっき教えたばかりではありませんの」

「あっ、そうでした」


 今度は恐縮して素直に落ち込んでいるソフィアに、オディールが「仕方がありませんわね」と肩をすくめる。

 思いがけず、オディールは面倒見が良いらしい。猿山のボスをやるにもマネジメント能力やカリスマが必要なのだから、そのあたりひととおりは備わっているようだ。

 それに、ソフィアの方もオディールの高圧的な態度をものともしないのはさすがのヒロイン力と言うべきだろうか。ぴったりとはまって、仲の良い友人か姉妹のように見える。

 微笑ましい光景に、こちらの口元も緩む。


「わざわざオディールが教師役を買って出るなんて。よほど気が合ったのね?」


(そうよね、原作でこの二人の仲が悪かったのは、多分家同士の確執や公爵家と王家のあれこれが間に挟まっていたから……、の、はずだから。こうして立場が変われば対立する必要なんかないのよね?)


 ヒロインと悪役令嬢が敵対しない、その一点でもって、今日私が夜会でデコイにされた不幸が癒やされる気がした。


「ついでですわ、ついで!お姉様ったら人の話を聞かないんだから」


 ぷい、とそっぽを向いて、オディールは眉間にしわを寄せた。


「それに、ソフィア嬢には私ほどとはいかずとも、それなりに社交界の評判を集めていただかなくては困りますわ」

「?」


 ソフィアと二人、首をかしげてしまう。


(ソフィアに必要なのは、どちらかというとあてこすりとか悪口に心折れないメンタルの方だと思うんだけど……)


 扇子の向こうからたたきつけられた、悪意のつぶてを思い出して身震いする。


(私モブなのに、モブのはずなのに、どうしてこんな目に遭ってるの)


 うぐぐ、と唇をかみしめる。敵対する令嬢とのバトルは定番中の定番だけれど、ヒロインじゃないので耐えきれないかも知れない。だってヒーローは助けてくれないのだから。


(ヒロインじゃ無いから仕方ないけど……っ!)


「なにをとぼけたことをおっしゃってるの、二人とも。よろしくて、ソフィア嬢が素晴らしい令嬢だと評判になればなるほど、そのソフィア嬢を差し置いて王太子殿下のお心を手に入れたお姉様は素晴らしい、ということになるでしょう!」


 びしっと人差し指を私に突きつけて、オディールは熱弁する。

 一瞬納得しかけて、ちょっとだけ引っかかる。


(そんな素敵なソフィア嬢から王太子殿下を奪った私はむしろ悪女として評判が下がるのでは……?)


 そして、その指は次にソフィアを指し示した。


「逆に、ソフィア嬢がたいしたことない令嬢だと評価されれば、お姉様の座を奪うこともたやすいと見くびられますわ。すなわち、ソフィア嬢の努力がそのままお姉様への評価と負担の軽減につながるんです!恩返しと思うのなら、精一杯努力すべきですわ!」

「なるほど!さすがですオディール様!」


 ソフィアがキラキラした瞳でオディールを見上げ、ぐっと両の拳を握って気合いを入れた。


「私頑張りますね!ジゼル様っ!」


 偽りの無いペリドットの瞳がキラキラと私を見上げるので、ツッコミを入れるタイミングを失ってしまった。


(まぁ、ソフィアのステータスが上がるのはいいこと、よね?)


 幸せなエンディングにたどり着くために必要なことだ。そのエンディングのことごとくでオディールとダルマス伯爵家が不幸な目にあっているということだけが気がかりだが。


「……ジゼル様?」


 心配そうに眉を下げるソフィアに、はっとして顔を上げる。

 また無意識に、憂いのなんちゃら的な顔をしていたらしい。頬の筋肉をぺちぺちとたたいて、にっこりと笑って見せた。


「なんでもないわ、ソフィア嬢。二人とも、もう夜も遅いのだから今日はここまでにしたらどうかしら」

「あら、もうそんな時間ですの?」


 オディールが時計を確認し、手にした本を机の上に置いた。


「紋章学の授業が終わったらお茶にしようと思っていたのですけれど」


 その言葉に、ソフィアが少しだけしょんぼりした様子を見せた。目の前にティーセットはあるけれど、お茶会を始めるには少しばかり時間が遅い。


(楽しみにしてたのかしら)


 ちらりとオディールをみると、ばっちり視線があう。同じことを思っていたらしい。


「アン、ホットミルクを用意してくれる?少しのブランデーとたっぷりのお砂糖を入れて頂戴」


 オディールとソフィアがぱっと顔を上げる。期待に満ちた目に、いたずらに微笑んでみせる。


「少し、夜更かしをしましょうか?」


 同じ表情で見上げる二人の後ろに、ピンと伸びた耳だとか、ぱたぱた揺れる尻尾だとか、そんなものが見えてしまう気がして、私は吹き出してしまった。

 アンが、砂糖壺から水晶のような氷砂糖をホットミルクに落としていく。

 他愛ない会話が、ブランデーと一緒におなかに落ちて、ぽかぽかする。


 

 こんな時間が、ずっと続けば良いのにと願わずにいられない、暖かな夜だった。





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