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生贄の夜会

 さざめきが波のように広がって、扇子の影から声が漏れ聞こえる。

 無数のシャンデリアのきらめきと共に降ってきたのは、悪意のあられだった。


「まぁ、王太子殿下のパートナーが代わったようよ」

「ジゼル嬢があの平民あがりから殿下のお心を取り戻したのね」

「みっともなく縋ったのかしら? 泣き落としたのかしら? それとも色仕掛け?」

「ああいう大人しそうなタイプが案外、ねぇ?」

「やだぁ! 薔薇は薔薇でも夜の薔薇ね」

「ねぇねぇ、ソフィア嬢はいらしてないの? お話を伺いたいわぁ」


 黄色く可愛らしいさえずりだが、腐った果物を投げつけられたような怖気に身震いした。 シャルマン王太子は笑顔を崩すことなく私をエスコートしている。

 頬が引きつらないよう、淡雪の君の微笑みを必死で維持しながら、私は自身に課せられた設定を忘れないよう脳内で反芻していた。







 話を合わせよう、とシャルマン王太子は言った。


「出会いはジゼル嬢のデビュタントが適当だな。ジゼル嬢の美貌に一目惚れした私が、デビュタントで倒れたジゼル嬢のもとへ見舞いを送ったことにしよう」


 シャルマンの言葉に、オディールが頷く。


「お姉様へのお見舞いが山のように届いたのは有名な話ですもの。贈り物に獅子の紋章が混ざっていたとしても、違和感はありませんわね」

「先日のデビュタントで私をエスコートしたことはどう説明するんですか?」

 ソフィアが心配そうに首をかしげると、オディールは自信満々に鼻の穴を広げながら顎をそらした。

「お姉様の気を引きたかったから他の令嬢を連れていった、ということでよろしいのでは?」

「ははは、他のレディからの反感を買いそうだな」

「それに嫉妬して私がエスコートに応じた、ということにするのね?」


 新聞記事をそのままなぞるわけだ。ゴシップとしてはわかりやすく、低俗で、だからこそ広まりやすい。


「いいじゃないか、デビュタント前の無垢なレディを使って子供じみたまねをする王太子と、身内が暴力沙汰になるほどわかりやすく悋気を起こす令嬢、似合いの二人だ」


 最低じゃないですか、とは言えない。

 シャルマンは何が楽しいのかニコニコと笑っている。その間、ソファの席を二つ占領しながら、クタール侯爵令息達は一言も声を発しなかった。


(お隣で、友人で、幼馴染みっていっても……政治とか領地とかの話になったら、こんなものよね)


 王太子を見送って応接室に戻ったら、オディールはお客様を放り出していなくなっているし、クタール侯爵家の馬車がやってくるまで兄弟達は一言も口をきかなかった。

 少し寂しい気持ちで、目を合わせようとしないユーグと、心配そうなリュファスを見送ったのは一昨日のことだ。







 意識をダルマスのタウンハウスから、きらびやかな王宮のダンスホールに戻す。

 まずはお披露目ということで、騒ぎを大きくしすぎないためにもソフィアとオディールは今回お留守番である。


「ジゼル嬢。疲れてはいないか? どうか私の前では無理をしないでおくれ」


 肩を抱き寄せられると、華やかな香りが鼻先をくすぐる。

 見上げると煌めく美貌がシャンデリアの灯りを背負って目がチカチカする。


(さすがメイン攻略対象……! 顔面が、顔面が強いっ)


 演技をせずとも顔に血が上る。口の中をかみしめて顔をそらせば、恥じらう淑女に見えるだろうか。


「そうやってすぐに赤くなるところも私の白薔薇は可愛らしい。叶うならばそのアメジストの瞳をもっと見せてくれると嬉しいのだけれど」

「どうか、お許し下さいシャルマン殿下。私の気持ちはご存じでしょうに」


 無論お互い何の感情もないことがである。


(そういえば……)


 王城の大広間はデビュタントの会場で、いつぞや私もここで踊ったことがあるのだ。あのときは、シャンデリアの灯りを背負って輝いていたのは、ユーグだった。


(ユーグ、何かあったのかな。元気なさそうだったけど……思い詰めるタイプだもんね)


 そして思い詰めるとろくでもないことになるタイプでもある。バッドエンドのスチルの背景、床に広がるライラック色のドレスを思い出してぞっとする。


(も、もうちょっと掘り下げて話聞けば良かった、かも……?)


 なんとなく首のあたりがチリチリする。死神がうなじをくすぐっているような違和感に思わず振り返ってしまった。もちろん、そこには誰も居ない。


「考え事かい?私を前にして、つれない人だ」

「ま、さか」


 ひょいと割り込んできたシャルマンの顔に思考が分断される。周囲の視線が突き刺さり、逃避しようとしていた現実を突きつける。


「そのような意地悪をおっしゃるなら、今日はもう失礼いたします」

「おや、怒らせてしまった」


 可愛く拗ねてみせる。甘い演技は嘘ばかり、角砂糖を自ら口に突っ込むような気分の悪さだが、出てきた言葉は心の底から本心だ。おうちにかえして。


「だが実際興味はあるんだよ、ジゼル嬢。薔薇の話を聞かせてほしくてね」


 優雅にとられた右手は、エスコートの体を取っていて、それでいて絶対に私が離れることを許さない。バレエのような足取りで、流れるように緩やかに、優雅に歩んでいく。

 自然と人垣が割れて、誰もが道をあける。まぶしいほどに、完璧な王子様。


「先日のタウンハウスに咲いていた薔薇も見事だった。君の家の庭師は本当に腕が良いらしい」


 叔父のことだろう。後見人が公爵家に与していたのだ、こんな手のひら返し、罠を疑われて当然だ。ダルマスの嫡子が後見人と不仲という噂があるとしても、それが事実無根であることをシャルマンが知らないと考えづらい。


「お褒めいただき光栄です。そうですね、つい最近、土を変えたのが良かったのかと。庭師の腕がどれほど良くとも、土が合わなければ薔薇は枯れてしまいます、殿下」

「薔薇の声が聞けるのか、さすがはダルマス家の嫡子だな。薔薇の館と名高いダルマスの館を一度この目で見てみたいものだ」

「殿下のお望みとあらば、いつでも。正しく良い土を選びましたから、きっと立派な花を咲かせてくれるはずですわ。ええ、必ず」


 にっこりと微笑み合えば、似合いの恋人に見えるだろうか。


「正しく良い、ね。君はまるで確信しているかのように話すんだな」


 シャルマンは微笑んで首をかしげる。

 その声に、いささかの棘を感じて私は足を止めた。見上げるシャルマンの顔は斜め下からでも完璧な造形で、獅子を思わせる黄金の瞳は、はっきりと私を見下ろしている。


「お客様にお似合いの商品はこれでございます、と選ぶ前から突きつけられている気分だ」

「……間違ってはならないお品というのも、ございます、殿下。重要な式典などであれば、なおさら趣味よりエチケットを優先しなくては」

「君のところの商会のスタッフは優秀なんだね?」


 にこりと、シャルマンは笑った。笑顔では無い笑顔で、私を見る。

 小売りを商いとすること、特に平民を相手にする商売を見下す貴族がいるのは事実で、シャルマンからはそうした嘲りの匂いを感じた。

 王太子でなければ今すぐ手を払って家に帰るのに。そんなことをすれば衛兵に簀巻きにされるのは私になるだろう。なけなしの令嬢スマイルを絞り出す。


「いかなる貴人にもご満足いただけるように日夜励んでおりますもの。もしよろしければ今度何か用意させましょう。クタールの港にも無い、世にも珍しい品々がございますから」

「ああ、知っているとも。よく、知っている。一角商会の素晴らしい品々が、辺境の薬師達を魅了して、その成果を独占していることもね」

「……なんのお話でしょう?」


 叔父のやらかした裏工作だろうか。


(そういえば、薬と魔道具の市場に手を加えたと言っていた気がする)


 不意に、きらきらしい顔面が近づいた。キスでもされるのかと身構えた私の頬を通り過ぎ、耳元に唇を寄せて声を落とす。


「その観客面がどこまで続くか見物だな」

「はい?」


 くるりと、ワルツのターンのように体をひっくり返された先には、色とりどりのドレスがそろい踏みしていた。

 オリーブ色の髪を豊かに編み上げて、青い鳥の羽を飾った少女は否応にも目につく。

 年頃の令嬢達の壁に守られるように、あるいは祭り上げられているというのが正しいかも知れない。公爵令嬢トリュトンヌと、その取り巻きがそこにいた。


「ごきげんよう、ダルマス伯爵令嬢。今日はお体の調子はよろしいの?」


 真っ先に話しかけてきた令嬢に、私は目を見開く。

 見覚えがある。原作でオディールの取り巻きをしていたモブ令嬢だった。父親の爵位はたしか男爵だったか、以前にどこかのお茶会で出会い、オディールに会わせないよう全力を尽くした覚えがある。


(カエルラ公爵家側の家のご令嬢だったから、原作ではオディールと一緒にいたのね)


 納得すると同時に、彼女が直接的な加害を加えてくる先兵タイプの取り巻き令嬢だということを思い出し、思わず身構える。

 この手の令嬢が攻略対象の前でこんなに高飛車な態度を取るはずが無いと思ったところで、彼女たちが隣にいるはずの王太子に一切言及しないことに気がついて思わず振り返った。

 斜め後ろあたりに立っていると思っていたシャルマンが、いつの間にかずいぶんと遠くで男性貴族と話しているのが目に入る。

 目が合うと、シャルマンは黄金色の瞳を細めてにこりと笑った。


(こんの、人のことステータスでしか見てない性悪王子が……っ!)


 怒りに奥歯をかみしめる。

 敵対勢力のど真ん中にデコイを放り投げるなんて何を考えているのか。集中砲火をくらって粉砕されろとでも言うのか。

 叔父ロベールの工作は思った以上にシャルマンの怒りを買っていたのかも知れない。

 とりあえず目の前のご令嬢を無視するわけにもいかず、振り返って笑顔を取り繕った。一瞬、相対した令嬢が顔をしかめたが、笑顔を作りきれなかったかもしれない。


「ご心配をいただきありがとうございます。王都に来てからは体調が良くて。すべて陛下の全き治世のおかげです」

「それは何よりですわね。ダルマスは雪深い土地ですもの、ジゼル嬢ももっと王都へいらしたらよろしいのに」


 ダルマスが田舎なことは否定しないけれど、これは完全にマウントを取りに来ている。

 母に似た微笑を意識して作りながら、小さく首をかしげる。


「本当に。王都は華やかで、王城に招かれるたびに私などは浮き足立ってしまいます。薔薇の世話さえなければもっと足を運びたいのですが」


 王城に招待したのが誰か、王太子だ。そして伯爵領の跡取りとなる嫡子は私だ。婚姻によって奥方に与えられる権利より、当主としての裁量のほうが遙かに大きい。

 殴られたのならば殴り返さなくてはいけない。

 モブ令嬢の頬が一瞬動いた。


「ダルマスの、薔薇」


 ぽつり、令嬢達の奥で小さな呟きが漏れた。

 女性にしては低く、細い声に、取り巻きの令嬢達が一斉に振り返る。 


「はじめまして、ジゼル伯爵令嬢。私はカエルラ公爵家のトリュトンヌです。お噂はかねがね、お会いできて嬉しいわ」


 コツコツと、床をたたくヒールの音に、腰を低くして一礼した。


「こちらこそ、トリュトンヌ公女様。ジゼル・ダルマスでございます。お目にかかれて光栄です」

「本当に、雪のように白い肌。雪原のような銀の髪。白薔薇と呼ばれるのも納得です。うらやましいこと」 


 おそらくは父親からことの顛末とデビュタントでのやりとりを聞いているのだろう。残念ながら、お友達にはなれなかった。

 トリュトンヌ公女は微笑みを浮かべて私を見つめている。

 その視線は冷たいものではないが、どこか探るような鋭さがあった。

 私は彼女の背後にいる取り巻きの令嬢達の視線を感じながら、心の中で舌打ちをする。


(どうやってこの場を切り抜けるか……)


 脳内で哀れな令嬢型デコイが死神に蜂の巣にされている。私はトリュトンヌに対して丁寧に微笑みを返した。


「お褒めいただきありがとうございます、トリュトンヌ公女様。ですが、公女様の美しさには到底及びません」

「まあ、そんなことをおっしゃって。ジゼル嬢の美しさは王都中で噂されておりますもの。私の、デビュタントの話題がかすむほどに。そういえば妹君は私と同い年でしたわね。お話ししたかったのに、早々に帰られてしまって。残念だわ」


 トリュトンヌの言葉に、周囲の令嬢達が一斉に興味津々といった表情で私を見つめる。オディールがソフィアを罵倒した、という新聞記事は当然社交界の一番の話題になっている。


「妹も私もこのような華やかな場所には慣れないものですから、緊張してしまって。お恥ずかしい限りです」

「緊張? 社交界の白薔薇ともあろう方が緊張なさるなんて。やはり『特別な場面』ではどなたも同じですね」


 トリュトンヌの言葉に私はいかにも弱々しくいたいけな令嬢を装うことにした。視線を斜め下に流すだけで、この顔は簡単に憂いの表情を作ってみせる。

 ここで彼女の挑発に乗るわけにはいかないし、そもそも乗る必要が無い。

 シャルマンがソフィアを伴って現れたことについて、悋気などこれっぽっちもないのだ。そこに愛はない。


「そんな……私などは小心者で、妹にもよく叱られるのです。主神エールは超えられない試練をお与えにならないし、受け止めきれない幸運もお与えにならないのだから、主神エールを信じて運命の導きに従うべきだと。獅子の紋章が自分の元へ届く驚きを、きっとトリュトンヌ公女様なら理解して下さいますよね」


 一度はパートナーを奪われた令嬢が、幸運にも王太子の寵愛を取り戻したという主張してみる。ついでにおたくはシャルマンに避けられてるんですよねとあおっておく。


(まぁ、その王太子は寵愛しているはずの令嬢を絶賛放置プレイ中なんですけど……いけない、目が死にそう)


 トリュトンヌの瞳が一瞬鋭く光る。彼女が何を考えているのか、その表情から読み取ることはできなかった。


「そうですか。殿下はずいぶんとジゼル嬢のことを目にかけていらっしゃるのですね」

 その瞬間、取り巻きの一人が小さな声でくすくすと笑った。明らかにトリュトンヌが私を試しているのが分かる。しかし、私は動じることなく微笑みを浮かべ続けた。

「ええ、殿下のお心遣いには感謝しております。王都においても多くの貴族の方々にお目にかかる機会をいただき、本当に嬉しく思っております」


 その言葉に、トリュトンヌは何かを考え込むように黙り込んだ。しかし、すぐにまた笑顔を取り戻す。


「それは素晴らしいことですわ。ところで、ジゼル嬢。実は近々、当家で舞踏会を開こうと思っておりますの。よろしければご招待をしても?ジゼル嬢にご紹介したい方がたくさんおりますから。そうそう、よろしければ、『話題の』方々も」


 トリュトンヌの扇子で隠された口元、そのレース飾りの上で三日月に細められた目がじっとこちらを見つめていた。


(わぁ、行きたくない)


 心とは裏腹に、顔は笑顔を作る。


「それは光栄です、トリュトンヌ公女様。ぜひお伺いさせていただきます」


 トリュトンヌは満足げににっこりと笑い、扇子を閉じた。


「楽しみにしておりますわね、ジゼル嬢。それでは、ごきげんよう。良い夜を」


 ドレスの裾を翻し、取り巻きをつれて颯爽と去って行く。

 その背中を見送っていると、王太子シャルマンの遠くからの視線を感じた。

 振り返ればまたしても笑顔。蝙蝠の出方をうかがわれているのはこちらも同じだった。



 針のむしろに石を抱いて正座させられているような居心地の悪さを全力で飲み下しながら、生け贄の夜会が一秒でも早く終わることを主神エールに祈り続けた。



    

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[一言] 貴族の言葉の応酬コワー... 頑張れジゼル嬢!
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