プリンス・シャルマン2
「はっはっはっ!もう無理だ、笑うに決まっているだろこんなの。おいユーグ、どうしてダルマス家の姉妹がこんなに面白いと教えてくれなかったんだ?」
ご機嫌にユーグの背中をたたいているけれど、ユーグはげんなりと眉間にしわを寄せた。
「殿下がそう言うに決まっていたからですよ」
「ひどいな。それが友に言う言葉か?」
腹を抱えて目の端に涙まで浮かべながら、シャルマンがソファに背中を預ける。
「そこにいるのはリンデン伯爵家のソフィア嬢だな」
「お、王太子殿下にご挨拶を申し上げます」
若干どもりながら、ソフィアが淑女の礼をとる。
そうして顔を上げたソフィアの瞳に宿る強い光に、シャルマンが面白そうに口元をゆがめた。
「私に言いたいことがあるようだね」
「はい。父との取引を、取り下げさせていただきたいのです。私は殿下の偽りの恋人として隣に立つことは……主神エールの御心に背くことはもうできません」
ソフィアの言葉に、シャルマンの口元から笑みが消えた。
「主神か。言い訳にしては下の下だな、ソフィア嬢」
黄金色に輝く冷たい瞳がソフィアから私に移る。
「しかし昨日の今日でソフィア嬢の身柄を押さえるとは、ダルマス伯爵家、というよりは商会か。なかなか大胆じゃないか。ああ、誤解しないでくれ。優秀だと褒めているんだよ。『薔薇』には棘があってしかるべきだ」
優秀もなにも完全に誤解である。
どう説明すれば誤解が解けるのだろう。公爵派ではないし、叔父の妨害は勘違いだし、お茶会の招待を断ったのはシナリオのせいだと。
「棘などと。二度のご招待に応じなかったことについてはお詫び申し上げますが、決して他意があってのことではありません」
「二度?すでに三度の断りを得ていると思うが」
「そんなはずは……」
思わずアンを振り返るが、アンも首を横に振っている。手紙の仕分けはアンの仕事だが、王室からの手紙を渡し忘れるようなミスをアンがするとは思えない。私が怪訝な顔をしたのを見て、シャルマンが「ふむ」と小さく呟く。
息を吸う。覚悟が必要な言葉だった。相手が完璧な王子様だったとしても、物語はあまりにも原作からかけ離れている。
「私は。……私は、王国の臣下です。最初の魔術師に弓引き、王太子殿下に仇為すようなことは、いたしません」
「それを信じろと?」
ソフィアがシャルマンの取引をダルマスに暴露していることはばれていると考えるべきだろう。
ダルマス側も、叔父のしたこととはいえシャルマンに実害を出している。
シャルマンの態度が冷たくなるのは当然だ。
(でも、私だってソフィアと一緒に襲撃までされたのに)
その上、シャルマンはダルマスを切り取ってリンデン伯爵に渡すとまで言っていたのだ。被害者面をされる謂れはない。ぐっと腹に力を込めて、しっかりとシャルマンの目を見返す。
「三度目のご招待をいただければ、お伺いするつもりでした」
「偶然が続いていいのは二度までだ。私が招待するたびに体調が悪くなるのだから、招待すべきではないと考えるのは優しさだろう?」
「王太子殿下、それは違いますわ」
オディールがずいと進み出る。
態度ばかりは丁寧に、けれど見上げる目つきは今にも相手の喉首にかみつこうとする山猫のそれだ。胃が焼き切れそうなプレッシャーに、心折れるどころかむしろ闘志を燃やすようにまっすぐ前を見る。
「お姉様は、嘘偽りなく! 真実!! 体が弱いのです。薔薇につくアブラムシのほうがよっぽど丈夫なほどにっ!!」
「そんなにか」
「はい。虚弱が服を着て歩いているようなものですわ。夜会で倒れた回数を競わせたら周辺諸国だってお姉様にかなう令嬢なんかいないはずです。そこいらの仮病や演技で気絶している方々とはわけがちがうんですから!!」
腹の底から声を出して、オディールが堂々と言い切る。アメジストの瞳には迷いも後ろめたさも一切ない。それが真実なのだと神に誓う誠実さで、胸を張る。
シャルマンが感心したように「ほう」と息を吐いた。
黄金色に光る瞳がユーグを見る。
「ダルマス伯爵姉妹は仲が悪いのか?」
無礼には無礼を、ということなのか、遠慮もなにもないシャルマンの言葉に、ユーグがゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、これが素です、殿下。オディール嬢は心の底から姉をかばうつもりで今の言葉を口にしているのですよ」
「なんと」
シャルマンの視線がこちらに向いた。憐憫の表情で。
貴族同士の婚姻であれば、跡継ぎを望まれ家の女主人としての役割を持つのだから、健康であることが求められるのは当然だ。
身内にここまで健康状態をこき下ろされれば、普通はとても仲が悪いと判断されるだろう。正直であることは美徳だけれど、方便とか白い嘘とかを重点的に勉強するよう話術の先生にお願いするべきだろうか。
「オディール嬢の言葉を信じるとして、ダルマス伯爵令嬢ジゼル。お前が私の味方だと言うことを、もちろん証明してくれるのだろうね」
「この身に叶うことでしたら、喜んで、殿下」
深々と礼をする。
この場合の証明とは何か。実利だ。王太子シャルマンは形のないものを信じない現実主義者で、無神論者なのだから。
たっぷり時間をとって顔を上げると、輝くばかりの笑顔を正面から見る羽目になった。
「よかった。主神エールへの誓いなんて持ち出されたら問答無用で切り捨てるところだった」
背中に汗が伝うのを、にっこりと笑顔でごまかす。
ダルマスが差し出せるものに何があるだろう。商会の金か、ツテか。
公爵家に明日からダルマス伯爵家がどんな目で見られるか、どんな報復をされるか、握り込んだドレスのシルクが軋んで鳴いた。一度は味方した相手が敵になるというのは、倍量恨みを買うものだ。
公爵家と対立する以上、何が何でもシャルマンに王になってもらわなくてはならないし、公爵家との婚姻は何が何でも邪魔しなければいけない。
コウモリと罵られようと、意地でも没落なんかしてやるつもりはない。
トントン、とシャルマンは笑顔のまま椅子の手すりを指先でたたいた。その指先から、再度シャルマンの顔に視線を戻して、ぞっとする。
さっきまでのロイヤルスマイルとは違う、悪童のような笑みだった。
嫌な予感に一歩後ずさるのと、シャルマンが席を立つのは同時だった。
「それではソフィアの代わりに、私の恋人として王宮に来てもらおう」
「!?」
その場にいたシャルマン以外の全員が目をむく。
指先まで貴族的な、純白の手袋に覆われた手が差し出される。おとぎ話の王子様が、お姫様にそうするように。
「私にはまだ、時間が必要だ」
耳元に顔を寄せて、柔らかな声が低く囁く。
「忠誠を示す機会を与えようというんだ、ダルマス伯爵令嬢ジゼル。社交界の白薔薇、淡雪の君の再来、その憂いを払うために黄金を捧げて惜しくないレディ。私が籠絡されるにふさわしい肩書きじゃないか」
麗しい美貌を口づけるほどの距離に寄せて、シャルマンは微笑んだ。
「無論虚実を真実にしてくれて構わないとも」
「殿下!」
声を上げたのはユーグだった。
「何だ?ユーグ」
シャルマンの笑顔は崩れない。面白がるような笑みを浮かべたまま、金色の瞳でクタール侯爵家の二人を眺めている。その視線から逃れるようにうつむいたユーグに代わり、リュファスが椅子から立ち上がる。
「何だって、じゃない、その、いくら何でも」
リュファスが目を泳がせる。王国の星とはいえ、魔法院は王家に属する組織だ。リュファスであっても自由に発言が許される相手ではない。
助けを求めるようにリュファスがユーグを見るけれど、ユーグは眉間にしわを寄せたまま沈黙を保っている。
「おい、ユーグ!お前も言うことなんかあるだろ!?」
リュファスがユーグの腕をつかむのと、オディールが席を立つのは同時だった。
「真実にしてくれて構わない、ですって?」
感情がほとばしるようなアメジストの瞳は、燃えていた。挑戦的で、やる気に満ちあふれていた。スポーツ選手が自身の壁を越えようとするときのような、好敵手とで会ったときのヒーローのような、熱く輝く瞳だった。
(あ、まずい)
「オディール、待っ」
「王太子殿下! そのお言葉、後悔なさいませんよう!」
言い放って、オディールは顎を引いて不敵に笑った。
それは了承の言葉に他ならない。
オディールを止めようとした私の手が何もつかめずドレスに落ちた。
すぐ隣で、思わずという風にソファから立ち上がり、空を切ったユーグの手もまた、ゆっくりと降りて握りしめられた。
リュファスは頭を押さえてソファに座り込んだ。
地雷原を最速で駆け抜ける、オディールという名の野ウサギを止められなかった私たちが膝を折るのと対照的に、シャルマンは物理的に輝きそうなほどいい笑顔で頷いた。
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「オディール、説明してくれ」
ソファに深く腰掛けたまま、ユーグが静かに口を開いた。
ジゼルはシャルマンの見送りのために席を外している。
「あら、私にそんな義務がある可能性はあって?アン、メアリ」
オディールの問いかけに、アンは静かに目を伏せて答えず、メアリはあわあわと視線をうろつかせる。
「私に思い出せないと言うことはどこかに落ちているのかと思いましたけれど、メイド達も拾っていないみたいですわね」
残念ですわ、そううそぶいて口角を上げる。かきあげた深紅の巻き毛がふわりと揺れた。
年下の少女の意地の悪い笑みにリュファスが盛大にため息をついた。
「ジゼルがぶっ倒れそうな顔色だったろ。相談無しのぶっつけ本番、まーた独断で動いたな?」
「それにしたって愚問ですわ。私はデビュタントも済ませた一人前のレディでしてよ?そんな私が一から十までお姉様に相談する必要は……?ふむ、ありませんわね」
「あるだろ。家門の命運どころかジゼルの命かかってんじゃねぇか。俺でもやばいってわかる。王太子の恋人役だ?俺なら金積まれたってやらせねぇわ。どんだけ危険な立ち位置かわかってんのかよ」
「もちろんです、なんでしたら私たち、今日はならず者に襲われたのよ。ねぇ?ソフィア嬢」
「あ、は、はい!」
突然話題を振られたソフィアが肩を震わせる。
「リンデン伯爵令嬢、どうして君がここに」
ユーグがとがめるような視線を向けるので、オディールは立ち上がってそれを遮った。
「一緒に襲われたから、お姉様が連れてきたの。狙いはソフィア嬢だったみたいだけど」
「シャルマン殿下の恋人ってのが原因なら、今度は狙われるのはジゼルになるんだぞ。オディール、あんた無茶はやるけど、ジゼルのことだけは大事にしてたじゃねぇか。何でいきなりサメの巣窟みたいな場所にあいつを放り込もうとするんだよ」
リュファスの目が赤く光る。低い声に込められた魔力に、メアリがびくりと肩をすくませるが、オディールはひるむどころか一歩前に踏み出した。
「どうせいずれは泳がなければならない海ですもの、ならば一番日当たりの良い場所を望むことの何がいけませんの?」
ユーグが目を見開き、何か言いかけて口を閉じた。
金色のまつげが瞳に落とす影を見つめ、オディールは盛大に舌打ちする。
「口を開けて上を見ているだけで餌がもらえるとは思っていませんわ。幸運の女神の前髪をつかむ準備はいつだって続けてきたのよ。いくら叔父様の溺愛が過ぎるといったって、普通タウンハウスに同じ人間の肖像画が三つも四つも転がっていると思って!?刺繍を額装して持ってきたのだってそう。領地の記録を持ってこさせたのもそう!私の日々の努力が実を結んだことが、気に食わななくって妬ましいのよね?本当にお馬鹿さんたち!」
「オディール、君は」
「臆病者って呼んで差し上げた方が良いかしら?」
ユーグが口を閉じる。
燃えるようなアメジストの瞳を前に、深い泉のような瞳はかすかに揺れて、けれどそれ以上の動揺や感情を見せることはなかった。
ただ暴走する妹をいさめるように、とがめるように、眉間にしわを寄せてじっと見つめている。
ユーグの口から説教か、あるいは説得の言葉が出てくる前に、オディールは口の端をゆがめて笑って見せた。嘲笑という表現がぴったりくる、棘のある笑みだった。
「あら、怖い。怖くて気絶してしまいそうですから私も失礼いたしますわね。ソフィア嬢、お部屋まで付き添って下さらないかしら」
「え、ええ、もちろん」
「お、オディール様ぁっ置いていかないでください~!」
ソフィアとメアリの二人を引き連れて、オディールはすたすたと応接室を後にする。
ちらりとメアリが振り返った先で、クタール侯爵家の令息達はわずかに唇を噛みしめて、それ以上オディールを引き留めることはなかった。




