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プリンス・シャルマン1

 タウンハウスに帰って、すぐにメイドを総動員して着替えを用意させる。

 奉仕用の汚れたドレスでは、王太子の前に立つことなどできはしない。

 先触れ無く突然他家を尋ねるとんでもない無礼だが、王家と伯爵家ではれっきとした立場の差があるのも確かだ。ここは王都で、王太子はこの国の主になる人。

 建前上の先祖の友情などそんなものである。

 とにかく、ダルマスの女主人として恥ずかしくない姿を見せる必要がある。


「王太子殿下と、クタール侯爵令息達のお召し物は?」

「軽い狩り着程度かと」


 アンがてきぱきとメイド達に指示を出す。相手の格に合わせた装いを用意していく。


「ソフィア嬢には私のドレスを。リボンで調整ができるものだから大丈夫だと思うわ」


 なにせよく意識を失ったりぶっ倒れたりするので、私はコルセットで死ぬほどウエストを締め上げるという装いができないのだ。

 髪を結い直し、化粧を直し、宝石を選ぶ。

 一通りの装いが完了して、オディールの部屋に向かうと、中にはメアリだけがいた。部屋中に散らばったアクセサリーを片付けている。

 けれど、部屋を見渡しても、あの真っ赤な巻き毛が見えない。


「……オディールは?」


 私の言葉に、部屋の真ん中にいたメアリが振り返った。


「あれ?ジゼル様?」


 きょとん、と垂れ気味の目をまん丸にして、メアリが首をかしげる。

 奇妙な沈黙が私とメアリの間で沈んでいく。


「メアリ。オディールはどこ?」

「あ、あの、オディール様ならもうお支度を済ませて飛び出して行かれて……あれっ、え、ジゼル様のところに向かったんだとばかり」


 それは、オディールの普段通りの行動だ。

 ノックもそこそこに私の部屋に飛び込んできて、出かけたいと騒ぎ出す、野ウサギのような野生児令嬢の名残。だから、メイド達は気にもとめなかったのだろう。

 では問題です。

 そんな野生児令嬢が、今日この状況で私の部屋以外に突っ込んでいくところはどこでしょうか。

 ざっと頭から血が引く。

 振り返って廊下を見ると、ちょうど銀製のワゴンを押すメイドがいた。


「そこのあなた、オディールは今どこに!?」

「はいっ!?あの、応接室に、おいでですけれど……」

「っ!!」


 タウンハウスのメイド達は、ダルマスの使用人達とは違うのだ。オディールがどれほど破天荒なことをやらかすのか、簀巻きにしてでも止めないといけない暴走を繰り出すと言うことを、知らない。

 だからオディールが命じれば、従う。通してしまう。

 何一つ、疑うことなく。

 嫌な予感がする。このところ感じることのなかった、死神に後ろからぎゅっとハグされたような寒気に歯を食いしばる。


「ジゼル様!」


 淑女として許されうる最高速度で走り出した私の後ろを、アンとメアリが追いかける。

 応接室へ駆け込もうとした私の目に飛び込んできたのは、私の肖像画だった。

 開かれた扉の向こうに、見覚えのある肖像画が三つ並んでいる。

 うしろでメアリが「ひっ!?」と息をのむ声が聞こえる。

 銀の髪、紫の瞳、淡雪のごとく消えてしまいそうな微笑みを浮かべた、美しい少女の肖像画。鏡の中で嫌というほど見た顔だが、それぞれにお見合い用と記録用と叔父の趣味という三つの方向性で美化されている。

 肖像画の前にはオディールが立っており、なぜか彼女は伊達めがねを光らせ指揮棒を手にした女教師のようなスタイルだ。

 対して、授業を受ける生徒のように従順にソファへ腰掛ける人物は二人。振り返るまでもなく髪の色で誰だかわかった。シャンパンゴールドのストレートヘア、そして暖炉の灯りにもキラキラと輝くゴージャスな金髪。

 王太子シャルマンとユーグがそこにいる。 

 脳内で死神が死亡フラグをぶんぶん振ってダンスしている。


「あ、ジゼル。戻ったのか」


 真横から声をかけられ、気力を振り絞って首だけで振り返るとリュファスがそこにいた。お手洗いにでも行っていたのだろうか。


「リュファス、オディールは、あの子は、あそこで何をしているの?」

「あー……なんか、プレゼン、的な?」

「何を??」


 リュファスの長い指が、癖のある黒い髪に絡む。数秒、言いづらそうに唇を動かして、やがて小さなため息とともに口を開く。


「シャルマン王太子殿下に、あんたがどれだけ優秀で優しくて美しいか、っていうのを喋り倒してたぞ。俺、貴族のことはよくわかんねぇけど、婚姻の売り込みってこんなダイレクトにするもんなんだな?」

「しないわよ!?」

「だよなー!」 


 知ってた、と言わんばかりににっこりとリュファスがやけくそ気味に笑う。


「いきなり扉バーーン!って開いて乱入してきたオディールが『心得ております、お任せくださいませ!』とか言ってさ。なんか嫌な予感はしたんだけど、あいつがあんたの肖像画を持ち出して領内の裁判記録から刺繍したリボンのことまで指揮棒振り回して自信満々に語り出すから、止める間もなかったんだ」


 めまいがする。

 シャルマンがここへ来たのはおそらくソフィアの件だろう。

 契約の秘密を口外したソフィアと敵対が明確になった私を襲撃した可能性があるのだ、友好的なアクションだとはとても思えない。

 応接室の入り口に立つ騎士は、王太子の私兵ではなく国王軍の制服を着ている。さりげなくアンが騎士との間に立ってくれていることにようやく気がついた。とはいえ、骨細のメイドと病弱な伯爵令嬢では、きっと一振りで真っ二つだろう。

 私の後ろでソフィアが心配そうにしている。

 商会へいったん置いてくることも考えたが、護衛対象を分散して十分な戦力を確保できるほど一角商会は護衛を雇っていない。王都の店舗に野盗用の護衛は必要ないのだ。

 さらに一角商会でソフィアが殺されでもしたら、確実に犯人は私だと騒ぎ立てられる。なにしろ、私とソフィアは王太子を巡る三角関係という事実無根のスキャンダルの真ん中にいる。

 ソフィアを見てもの問いたげなリュファスに首を振ると、小さく頷いてくれた。今はのんびりヒロインを紹介している場合ではない。


「リュファス達は何の用だったの?」

「ユーグが殿下に呼ばれたんだよ。あいつ殿下と仲いいからさ、俺はついで」


 事もなげに言うリュファスの態度は変わらない。

 最悪の事態、クタール侯爵家も王太子とグルでダルマス伯爵家を潰そうとしているという状況ではないらしい。

 一周回って落ち着いた。拳を握り腹に力を込めて背筋を伸ばす。

 ここで頭を抱えてのたうちまわっていても事態が好転することはない。間違いなく、悪化の一途をたどる。


「失礼いたします」

「あら、お姉様。遅かったのね」


 伊達めがねをキラリと光らせて、胸を張って自慢げなオディールを頭の中ですまきにしながら、丁寧に頭を下げる。


「王太子殿下にご挨拶を申し上げます」

「待っていたよ、ジゼル伯爵令嬢。こうして話すのは初めてだね」


 椅子から立ち上がることなくシャルマンが親しげに声をかける。


「いやしかし、なんというか。ジゼル伯爵令嬢がここまで私のことを熱烈に想ってくれているとは知らなかった」

「誤解でございます」


 思わず速攻で否定してしまった。シャルマンの笑顔は崩れない。


「お姉様!」


 オディールがまなじりをつり上げて私の目の前まで走ってくる。


「私の努力を無にするおつもりですの?今が最大のチャンスなのにっ!」


 声を潜めているつもりなのだろうけれど、普段から声量が最大音量以外に存在しないオディールのことなので普通に聞こえてしまっている。


「オディール、説明して頂戴」

「こういうときこそ、攻めにでるべきですわ!王太子殿下がお姉様の、ダルマスの忠義を疑っておられることが原因なのでしょう?ならば、正々堂々と示すまで!」

「それでどうしてこんな状況になるの? 私が王太子殿下をお慕いしているだなんて、そんな嘘を堂々と」

「いやだわ、お姉様ったら。こういうの、ファム・ファタールって言うのかしら。ちょっと冷たくして追いかけさせる作戦なのね?確かに、高貴な殿方はそういう方がお好みだって恋歌でも聞いたことがあるわ」

「お願い話を聞いてオディール」


 会話が成り立たない。どうしてだろう、笑顔の叔父がうしろに見える。


(血なの?パージュ子爵家の血なの!?)


 薔薇色の赤毛ごしに、シャルマンの笑顔がさすがにゆがんだのが見えた。

 仮にも王太子、まさか目の前でこうもあからさまに獲物をさばく算段などされたことはないだろう。無礼にもほどがある。


「幸運は自らつかみ取るものよ、お姉様。もっとこう、花を飛ばして微笑むくらいのことはしていただかないと」

「オディールお願いだから少し黙って……あと、多分それ効果ないわ」


 笑顔でシャルマンが落とせるなら攻略難易度はもっと易しかったはずだ。人をステータスでしか見ていないような高ステータスを要求してくる攻略対象だったのだから。


「やってみなければわからないじゃないっ」


 オディールとシャルマンの間を泳いでいた私の目が、シャルマンの目と合う。

 何かを面白がるような期待の目に、つい日本人的な愛想笑いをしてしまう。

 私の情けない笑顔を見たシャルマンは、眉間にしわを寄せて、顔を片手で押さえて深く深くため息をつき、

「……っふ、ははははっ!」

 声を上げて笑い出した。


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