身に覚えのないままでいてほしかった1
四頭立ての馬車に乗り込んだ私とオディール、そしてソフィアは、商会が契約する人相の悪い傭兵達に護衛され、王都の人々に「よっぽどの珍品」だとか「罪人か」などとヒソヒソされながら王都にある商会の旗艦店へたどり着いた。
一角獣の立派な彫像が置かれた商会の店舗には、『一角商会』と商会の名前が刻まれている。店舗の豪奢な内装に感心する間もなく、店の奥から大柄な男が走ってくる。叔父だった。
「ジゼル!無事かい!?神殿で襲撃されたと聞いたが」
「この通り無事です、叔父様。怪我一つありません」
強いて言うなら今ハグされているせいで筋肉の圧で顔が潰れそうなのと、抱きしめられた肩がはずれそうなくらいだ。
「ちんぴら連中が金目当てに襲撃してきたと聞いたが……ソフィア伯爵令嬢を連れてきたことが、関係しているのかな?」
上客のための応接間に通され、分厚い扉が閉められる。
豪奢なソファに若干腰が引けているソフィアを座らせると、アンがお茶を用意してくれる。香辛料の香りがする、冬の香りの紅茶だ。喉を通るたびぬくもりを感じられて、体が冷え切っていたのだと実感させられる。
「先ほど、ソフィア嬢から聞いたことなのですが……」
順を追って、ソフィアから聞いたことを叔父に話す。
「王太子殿下と敵対するような事態に、心当たりが本当にないんです。招待だって、まだ二回しかお断りしておりません。三度目までは偶然のうちでしょう?」
明らかに王太子の婚約者捜しと思われる大規模なパーティーの招待状を二度断ったが、王室からの招待状を断ることが、この国では許される。
この国における国王とは、共同体の代表者、そして国で最も広い領土と兵力を持つ存在だ。 逆に言えば、それだけでしかない。神から王権を授けられたわけでも、神の末裔でもない。 法は領主にあり、自治権も領地にある。外敵によって国が危機に陥れば各領地から兵力や食料を供出するけれど、領内の内政には干渉させない。それは国を立ち上げた祖先達が主従ではなく共に戦う仲間として立ち上がった伝説に起因する。
蛮族から土地を勝ち取り、最初に立ち上がった魔術師の青年を最初の王とした。その仲間達が功績に応じて土地を割り当て、はじまりのうちは互いに王を選び合っていたという。
ある世代で王に選定された家に異を唱えたものがあり、それは国を二つに割った。そうしているうちに漁夫の利を得ようとした集団が現れ、国は三つに割れた。
そうして土地を奪い合い、統合し、再配分し、この国には二つの公爵家と五つの侯爵家が生まれたのだ。この七家門が貴族院を構成する家門であり、いにしえの王国の建国当初からの名門として知られている。たとえ血が途絶え中身がごっそり新興貴族に入れ替わっても、家名は受け継がれているので、もはや屋号のようなものだが。
貴族院を構成するこの七家門は、その成り立ち故に建前上は王家と対等の存在とされており、貴族院の決定は王の命令であっても覆すことはできない。
伯爵以下の貴族くらいならば王の持つ単独の勢力でいくらでも制圧は可能だけれど、そんな暴君はすぐに七家門に廃位されるはずだ。
王の土地がどれほど広くとも、二つの公爵家が力を合わせれば王城は焼け落ちるだろう。
貴族院の半数の意見がまとまれば、それがこの国で一番大きな勢力となるのだ。
それでは王に求められるのは何か。
王国の中で最も強い力を持つ領主だからこそできること。領地の中だけでは解決できない問題、すなわち戦争を含む他国との外交と、領地間のもめ事の仲裁、あるいは裁定だ。
領地の中では領主が法である。
そのため、領主同士が争う場合は基準となるのが王の決定だ。
だからこそ、オディールが処刑されたというエンディングも成り立つ。領地の平民を殺すのとは訳が違う。貴族を、それも他の領地の令嬢を正当な理由無く殺そうとするような殺人者であれば、処刑してしかるべきだ。
「領地戦には国王陛下の許可が必要ですし、正当な理由がなければ、祖先が分け合った土地の境界線を変えることは許されないはずです。どんな名目があればダルマス領をリンデン伯爵へ渡せるのか、見当もつきません」
境界の村を焼かれたとか、嫡子を殺されたとか、かなり物騒な理由が必要だ。ただ、理由は作ってしまえばいいとも言える。一番最近あった領地戦は、井戸に毒を投げ込まれたという理由で訴え出ていた。とはいえ、その領地戦で動いた境界は村が二つと森の一部程度のものだったが。
すべてを失いかけていた先代ならともかく、今のダルマスには金がある。領地戦を仕掛けても、それなり以上の損害を覚悟する必要があるはずだ。
「いいや、もっと簡単な方法があるよ、ジゼル」
鷹揚に足を組んだまま、叔父が口を開く。
「義姉さんの代に親類縁者と呼べる人たちは皆いなくなってしまったから、ダルマス家の直系は今、お前とオディールの二人だけだ。継承権を持つ三親等以内の親族は私だけだが、私はダルマス伯爵家の血を継いでいない。それも子爵でしかないからね。実質二人を始末するだけで、ダルマスは空き地になる。空白になった領地の采配は、国王陛下の裁量だ」
「……王太子殿下が即位した後、私たちを殺して、リンデン伯爵にダルマスを渡そうというのですか?」
「国境の小競り合いも停滞しているからね。少なくとも、今この国で一番簡単に空き地になるのはダルマス伯爵領だろう」
「そ、そんな!」
不穏な未来予想図にソフィアの血の気が引く。
「どうして、そんなことを……」
「カエルラ公爵家を牽制したいんだろうね」
ため息とともに呟かれた言葉に、思わず顔を上げる。デビュタントの日、最も高貴な女性として国王陛下にご挨拶した、オリーブ色の髪の少女。そして、青い羽根飾りをつけた男性。
「カエルラ公爵家、ですか?」
ソフィアが首をかしげる。叔父がソフィアの言葉に頷いた。
「今は亡き王妃殿下がカエルラ公爵家の出身だったことは知っているね」
オディールの逃走を防ぎながら受けた、歴史の授業を思い出す。正直集中できていたとは言いがたいが。
現国王には王妃の他に側妃がいる。正確には王妃はすでに他界しており、現在妃は一人だけ。王太子シャルマンはこの側妃から生まれた、王国唯一の王子である。
「王妃殿下と国王陛下の間に子供は生まれなかった。隣国から人質同然に送られた姫君が妃となり、この側妃から生まれたのがシャルマン王太子殿下だ。王妃殿下の生前はずいぶんと軋轢があったらしい」
「西の離宮に母子共々押し込めて、いじめていたって聞きました!」
それこそ、町娘でも知っている噂話だ。ソフィアが義憤を込めてぐっと拳を握る。
「カエルラ公爵家は王太子妃にトリュトンヌ公爵令嬢を立てようとしている。当然シャルマン王太子殿下はそれを拒みたいが、対抗馬になるような令嬢が国内にはいない状態だ。そこで、君なのだろう、ソフィア伯爵令嬢」
「えっ?」
目を丸くするソフィアに、叔父ロベールはため息とともに窓の外を見た。
「魔力の強い貴族女性というのは、この国においてはそれだけで価値がある。聖女に至ると噂にでもなれば、王族に迎えられてもおかしくはない」
「ええと、それってつまり……時間稼ぎ、でしょうか?」
ソフィアの言葉に、叔父が頷く。
「それもいつまで続くかわからない無期限保証なしの身代わり羊だ。王太子殿下の花嫁に迎えるには、周辺国の姫君は皆幼すぎるか年上過ぎるからね」
「そんな!ソフィア嬢の人生をなんだと思ってるんですの!?」
オディールが眉間にしわを寄せて立ち上がる。
「人身売買のようなものではありませんの! その上、命の危険まであるのでしょう、実の娘にする仕打ちとは思えませんわ!」
「ああまったくひどい話だ。とはいえ、ここまで露骨に動かれるとは思っていなかったな」
「え?」
不穏な単語が聞こえてきて顔を上げたものの、正面にいる叔父と、目が合わない。
目に入れても痛くないほど姪を愛して、一瞬たりとも目をそらそうとしない男が、私から目をそらしている。
「叔父様?」
そういえばデビュタントの日、忙しくしていると言っていた。
「王太子殿下に、何かしたんですか?」
あの日、シャルマンと目が合ったのは気のせいではなかったのか。あの、敵意に似た何かは。
「いや、王太子殿下には何もしていないさ。むしろ善行しかしていない。私は商人だからね。ただちょっと、めでたい縁談をいくつかまとめるために動いただけだよ」
縁談。
それによってシャルマンににらまれる状況。
「お、王太子殿下の縁談を、潰したんですか!?」