身に覚えのない悪意2
「っ、誰か!!誰か来てください!」
ソフィアの声は中庭に積もった雪に吸われてしまう。
人の気配が遠い。だれか一人くらい、出てきても良さそうなのに。遠くでざわめきが聞こえた。他の場所でも襲撃されているのだろうか。
(さっきの話を、オディールの他にも誰かに聞かれた?)
だとしたら対応が早すぎる。
(そもそもソフィアに監視がつけられていたと考えるのが妥当?だとすれば、それをする必要があるのは……)
王太子シャルマン、その人だ。
最初から平民のにわか令嬢など信用していないということか。情報が漏れた時点で処分するつもりだったのか。
(貧しい平民ばかりの救貧院、ならずものに殺されたといいはるにはあまりにもおあつらえむきね)
座り込んだ床の冷たさに体が震える。開いたまま閉じることもできない扉から、床に転がるつららの冷たい光が見える。
部屋を見渡しても、武器や防具はおろか水もない。空をふわふわと漂う雪では攻撃を防げそうもない。
「ソフィア嬢、あなたなんとかできませんの?」
オディールの属性は木だ。柔らかくしなやかな若木や草に比べて、枯れ木を動かすには大きな魔力が必要で、さらに直接木肌に触れる必要がある。この状況で冬の中庭に出るのは自殺行為だ。
王太子のパートナーに推されるほどだ、現時点でそれなりの魔力を有しているはず、というオディールの推測に、私もソフィアを見つめる。
「申し訳ありません、私の魔力は、奇跡に特化していて……」
「回復ができるということ?」
私の言葉に、ソフィアが頷く。
信仰のパラメータで伸びる、特殊な属性だ。回復魔法と言えばなじみがあるが、人体に干渉できる属性は極めて危険なものでもある。死体を動かしたり、病を進行させたりもできるのだ。人体の構造や機能、病の原理をよくよく理解し、正しく『元通り』にすることを求められる。
「病を癒やすことはまだ難しいですが、矢傷や刀傷なら、回復させられます。『元の状態』がわかっているなら、急所に当たりさえしなければ、すぐにでも」
ゲーム終盤並のステータスを提示されて、私は頭を押さえる。私たちに助けられたという日から、ずっと信仰ステータスを上げ続けてきたということだ。ソフィアの魔力量と特殊な属性、他国であれば神殿に聖女として祀られてもおかしくない。
「それなら、ソフィア嬢、私についてらっしゃい」
オディールが部屋の隅にあった縄を手に取る。
ツタをより合わせた素朴な縄が、オディールの手の中でみるみる姿を変え、強固に絡みつき、しなやかに組み上げられる。
オディールが右手をふるうと、一本鞭がしなり、石の床にピシィ!と高い音を響かせた。
「私が道を開くから、あなたは私を回復して頂戴」
「わ、わかりました」
「待ちなさい!!」
オディールの差し出した手をソフィアがしっかり握るに至って、思わず叫んでしまう。
「なんであなたが鞭を使えるとか、どこで誰に習ったのかとか、色々聞きたいことはあるけど! いったいどこの世界に死兵の戦い方で突貫する令嬢がいるのよ!?」
「卑劣な襲撃者を相手に私がひるむとでも!?」
ええ、ひるまないでしょうとも。体中に鏃をうがたれても、オディールは絶対に止まったりしない。根性とプライドが天元突破したその性質を、私はずっと隣で見てきたのだから。
だからこそ。
「大事な妹が目の前で串刺しにされるかもしれないのに止めないわけがないでしょう!?」
「!」
うぐ、とオディールが言いよどむ。
「落ち着きなさい、二人とも。攻勢に出る必要は無いのよ。助けさえ来れば、この襲撃は失敗なのだから」
その助けが、いつまでも来ない。
今この壁の向こうに身を潜めた襲撃者がいたとして、部屋の中にまで入ってこられたら私たちに対抗するすべはほぼない。
小さな窓を見上げると、神殿の屋根は白く覆われている。
(雪……)
ここは神殿の中庭、飛んできた氷片の方向を考えれば襲撃者は庭のどこかにいると考えられる。
(それなら)
「二人とも、奥に隠れていて」
オディールとソフィアが部屋の奥へ移動するのを確認する。私は壁に沿うように扉に近づいて、そこへ吹き込んだ雪と、溶けた雪に汚れた床に手をついた。
吹き込む雪を手に取って、小さな真珠に糸を通すように、魔力の通る道を作る。
冷やされた空気と再構成された水がパキパキと小さな音を立てながら石の廊下に白い筋を作っていく。細く細く、庭先の雪にたどり着くと、魔力を散らさないためいっそう集中して糸を這わせていく。いつぞや、リュファスを助けようとした方法だ。
神殿の高い屋根の傾斜に、少しずつ水の魔力をそそぐ。
つながりあう雪の結晶を、ほどいていく。そこから重く重く、雪を固めていく。
指先が冷たく震え、歯を食いしばる。
糸一本分の接続から、雪を再構成していく。末端に向かって密度を増していくように、強固なつながりとなるように、氷の塊となるように。
ただでさえ脆い魔力の器は、五年前の無茶でさらにヒビが入っていて、この程度の魔力でも連続使用は難しいのだ。
(一回で成功させなくちゃ)
ミシミシと、嫌な音がした。それは木組みの一番下の屋根がきしむ音だ。
「ジゼル様、この音は……?」
ソフィアに声をかけられて集中力が切れるのと、扉の外が真っ白になるのは同時だった。
「きゃあ!?」
「お、お姉様!?」
「んぶっ!」
しぶきのような冷たい雪の破片が廊下に跳ね返り、扉の中へ吹き込む。雪のしぶきを横っ面に浴びて妙な悲鳴が出てしまう。
私の魔力によってほぼ氷となった雪の塊は轟音とともに屋根から滑り落ち、神殿の中庭にあった壁沿いの木をへし折った。石の廊下に落ちた氷塊が破砕音とともに跳ね返り、何かにぶつかって壊れる音がした。
そのまま木は庭へ倒れ、また雪煙が視界を覆う。
泥にまみれた雪の山のどこかに襲撃者がいるかも知れないが、すでに逃げ去った後であることを祈りたくなるような惨状だった。もし血の色が混ざっていてもきっとわからない。
襲撃者は水の魔術師のようだから、何らかの手段で防御できたかもしれない。
遠巻きに神官達がざわついているのがわかる。
「ジゼル様」
部屋に顔を出したのはアンだった。
いつもと変わらず、平静な表情だけれど、声が少しだけ低い。
抱き合っていたオディールとソフィアが突然の侵入者にびくりと体を震わせる。
「お怪我はありませんか」
「アン、外の状況は?」
「救貧に来ていた平民に数名伏兵が。護衛が怪我を負いました。商会の店舗へ迎えを頼んでおりますから、すぐに新しい馬車と護衛が来るかと」
冷静なアンの言葉に、大きく息を吸って吐き出した。
「怪我人には十分な補償をしてあげて頂戴ね。巻き込まれた民はいないかしら」
雪が、窓から吹き込んでくる。
魔力を使った反動で冷え切った私の左手が、不意にぬくもりに包まれた。
顔を上げると、ソフィアが私の手を包んで、安心させるように微笑んでいた。
「大丈夫ですよ、ジゼル様。正しい者に主神はご加護を与えてくださいます」
ソフィアの瞳は、嘘のない春の宝石の色をしている。
その理屈でいくと、真っ先に殺されかねない属性が私の妹にはあるんですが。
多分その加護、うちにはあんまりなさそうです、とは口が裂けても言えなかった。




