猫の内訳
「なんで、って」
オディールは元々大きな瞳をますます丸くして、ぱちぱちと瞬きした。
「だって、お姉様をエスコートする方は、つまり私の義兄様になる方かもしれない方なのよ。それなら、少なくともこの国で一番素敵な殿方でなくちゃ納得できませんわ。その点、王太子殿下なら満点とは行かなくとも合格点ではなくて?」
謎理論を胸を張って展開するオディールに、頭を抱えてしまう。
いったいどこから諭せばいいのだろう。
「と、とりあえず、肩書きとルックスだけでパートナーを選ぶべきじゃないと思わない?」
将来オディールがろくでもない男に引っかかりそうで心配だ。
「お姉様ったら。心が伴っているのは最低条件ですわ」
「会ったこともない王太子殿下のお心がどうやったら伴うの? ねぇオディール、他人の心を思い通りにしようなんて思っているなら、そんなの絶対にうまくいかないわ」
この世界には魔術があって、禁じられているとはいえ人の精神に作用する魔道具も存在する。札束で他人の尊厳を買いたたいて高笑いするオディールの姿が簡単に想像できてしまって胃が痛い。
(過去と他人は変えられないみたいな話をすればいいの? 禅なの? 禅の教えが必要なの??)
即今・当処・自己、変えられるのは今ここ自分だけ。遠い記憶の向こう、おぼろげに徳の高そうなシルエットが浮かんで消えた。
姉の必死の訴えを前に、オディールはきょとんと首をかしげている。
「お姉様ったら、何を当たり前のことを言っているの?」
「だって、何の面識もない王太子殿下が私のパートナーであるべきだなんて、洗脳か、過去を改変でもしないと叶わないでしょう?」
「いやだわ。王太子殿下を洗脳だなんて恐れ多い。お姉様ったら、まだまだ子供っぽいところがあるのね。建国神話の魔術師達だって、過去を変えることはできないもの」
ころころと上品に笑いながら、オディールは薔薇色の髪をかき上げる。
「運命が今日までお姉様と王太子殿下を巡り合わせなかったのならば、この手で運命を引き寄せればいいのよ。それをあの小娘が邪魔したの」
「小娘、って。ソフィア嬢は同い年でしょうに。……ねぇオディール、具体的に何をするつもりだったのか聞いてもいい?」
嫌な予感しかしないのだけれど、見ないふりをするわけにはいかない。
埋められた地雷の位置くらいは把握しなくては自陣に埋まった地雷でゲームオーバーしてしまいそうだ。
「デビュタントを迎える令嬢が、国王陛下にご挨拶をするじゃない?」
白いドレスをまとった令嬢が、国王に祝いの言葉をかけられ、令嬢は国の繁栄を願い国王に忠誠を誓う。ほぼ定型文を交わすだけの儀礼的なものだ。
今回のように、公爵令嬢くらい身分の高い令嬢であれば話は別だが、伯爵令嬢くらいでは一言二言が関の山だろう。実際昨日もそうだった。
「そのときに、お姉様がどれほど素敵なレディか、国王陛下と王太子殿下にご紹介しようと思っていたの!」
地雷どころの威力ではなかった。
「それなのに肝心の王太子殿下がパートナーを連れてくるなんて! パートナーを連れた殿方に、他の女性を薦めるなんて無作法、できるわけがないじゃないの。とんだ泥棒猫よ! 国王陛下と王太子殿下に一度にお目にかかる機会なんてめったにないのに!」
目尻をつり上げて、オディールは悔しげに爪をかむ。
実行された暁には、火薬の盛りすぎで爆ぜた瞬間地形が変わりそうな自爆行為だった。
同じ王都の空の下にいるソフィアに心の底から感謝する。
原作を改変したいとは思っていても、即バッドエンド送りの罠イベントを作成されているとは思ってもいなかった。
未来を変えるため、現在で自ら足を踏み出すことに躊躇がなさすぎる。即今当処自己の権化のような行動力は見習いたいところだけれど、直進する以外のコマンドも身につけてほしい。
どう考えてもその先は崖だ。恥とか黒歴史とかを通り越して、政治的に色々まずすぎる。
真正面から、伯爵家ごときが根回しも打診もなく王太子妃に立候補するなど、他の王太子妃候補の実家に目をつけられるどころではない。最悪暗殺される。
(私がどれだけ必死に攻略対象とのイベントを避けてきたか……!)
モブキャラジゼルの登場ルートはクタール侯爵家関係がメインだ。メインルートを改変した以上、これ以上の逸脱は対処が難しくなるので、他の攻略対象からは可能な限り距離をとってきた。
王家が主催する舞踏会やお茶会から招待状が来なかったわけではない。
しかし社交シーズンごとに王都へ足を運ぶ貴族令嬢達と違い、私は後継者教育を口実にほとんどダルマスから出ることはなく、方便や口実ではなく体調が優れないことも多かった。 そんなわけで、王太子とは顔を合わせないという方向でイベントをスルーしたのだ。
無論、オディールの知らない私の都合だが、いくらなんでもそんなあさっての方向からフレンドリーファイアがご用意されているとは思いもしなかった。
「それでソフィア嬢を追い詰めていたの?」
「手は出してませんわ」
ふん、とオディールが鼻を鳴らす。
あのときぐーぱーと迷っていたのは、一応暴行自体を躊躇していたらしい。拳で殴るか平手でいくか、という躊躇でなくて本当に良かった。原作のオディールなら躊躇なくひっぱたいていたから。
いつの間にか前傾姿勢になっていた。背中をソファに戻して頭を抑える。
「一生に一度のデビュタントで、真っ白なドレスを汚されて、身に覚えのない罵倒を受けて、ソフィア嬢はさぞかし悲しい思いをしたでしょうね? 私だったらきっと倒れて何日も起き上がれなかったと思うわ」
ぐ、とオディールが酸っぱいブドウを口にした顔になる。
「そ、れは、だって、あの子が……」
「私を大切に思ってくれるのは嬉しいわ、オディール。でも、ソフィア嬢だって、彼女の家族にとっては誰よりも大切なレディなのよ。私だって、昨日もしも初対面の令嬢が逆恨みでオディールを突き飛ばしたりしたら、ついかっとなってご令嬢ごと王宮の庭を凍らせていたかもしれないし」
オディールは目を丸くして、何度も瞬きした後、目をそらした。
気まずそうな顔は、さっきまでの不満や苛立ちからくるものではない。オディールは色が白いから、頬や耳が赤いのがすぐにわかる。
頭に血が上りやすいだけで、根は悪い子ではないのだ。
ちょうどいいタイミングで、メアリが紅茶のワゴンを持ってくる。
「すみませんジゼル様ぁ、雀は捕まえられませんでした……」
しょんぼりと差し出された皿には、鶏肉のソテーがのっていた。朝から食べるには少々重いメニューだ。
みぞれに濡れたメイド服の裾に、メアリの努力の跡がうかがえる。
アンと二人、ため息がかぶった。
「とりあえずなるべく早くリンデン伯爵家へお詫びに伺いましょう。アン、手紙の準備をして」
「はい、かしこまりました」
朝日に輝く庭へ目をやると、冬薔薇にふくふくとした雀がとまって、楽しげにおしゃべりをしているようだった。
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