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はじまりの日 6

 令嬢が次々と玉座の前へ進み出て、王への忠誠と王国の繁栄を願う。

 デビュタントはつつがなく進行された。

 王太子がエスコートしてきたソフィアに特別な言葉がかけられることもなく、オディールがソフィアにちょっかいをかけることもなく、ごくごく、順調に。

 ファーストダンスを前に、数人の令息がオディールに声をかけている。

 頭の中の貴族名鑑をめくってみるけれど、数人は思い出せなかった。会ったこともない人間の名前と顔を一致させるのは無理な話だ。


(社交界にもっと顔を出しておくべきだったかも……)


 攻略対象に会わないことを最重要事項にしていたのが主な原因だ。

 体調不良と断りを入れていたが、実際この国の王都の主な社交シーズンは収穫期と税の徴収が終わった冬だ。体が弱いので冬の寒さに耐えきれず、本当に度々寝込んでいた。

 オディールの結婚相手を見繕うにしろ、自分の婚姻を考えるにしろ、これからはもっと社交界に顔を出さなくてはいけないだろう。


(私はダルマスの女主人になるんだから)


 権力、人脈、金、これがあればオディールが多少悪女になろうが悪事を働こうがフォローができる。勢い余って壊してしまう茶器だって、思い出は取り返しがつかないが買い換えることくらいはできるのだから。

 決して調教、もとい再教育を諦めたわけではない。ないけれど、今更オディールを扇子より重いものを持ったことがないようなお淑やかな令嬢にしたいとは思っていない。


(ただ、あとちょっとだけ、他の人を慮る心があればいいんだけど)


 味方認定した人間には徹底的に甘く、そしてわがままに振る舞うのに、それ以外の人間を路傍の石のように扱う。そこだけはなんとかして軌道修正したいところだ。

 オディールは数人の令息と話をしていたけれど、やがて盛大にため息をついて振り返った。そのほっそりした顎で示した先には叔父がいた。

 実に盛大に露骨な『お前と踊るくらいなら身内(子爵)の方がまし』というジェスチャーだ。プライドの高い貴族の青年が屈辱のあまり肩を震わせているのが見える。


(こういうとこ……!こういうところなんとかしないと!)


 頭を抱えてしまう。

 自分が傷つけられるように、相手にも感情があって傷つけられるのだということを、そして傷つけられた人間は自分と同じように怒りや悲しみを持つのだということを理解してほしい。いずれそれは刃となって返ってくるのだから。


「やるじゃん、オディール。あいつ院にいる魔術師だけど男爵家のお坊ちゃんだぜ」


 リュファスはといえば面白そうに笑っている。ご機嫌な笑みには嘲りの色が見える。ダンスを断られた彼、あまり愉快な性格の令息ではないらしい。


「無駄に敵を作るなといつも言っているだろうに」


 ユーグは深いため息をついて首を振った。正直、社交術や会話術に関しては私よりユーグの方がオディールの教師役を務めていた。

 口うるさい兄のようなユーグをオディールは嫌っていたけれど、頬を膨らませながらも耳を塞がないのは実際彼のアドバイスが有用な場面があったのだろう。

 ユーグのため息が聞こえたわけでもあるまい、フロアの中央に進み出るオディールがぎろりとユーグをにらんでいた。

 この状況と不機嫌そうな顔から翻訳すると。


「次のダンスはユーグに踊ってほしいんですって」

「このフロアの中じゃ兄上は相当有望株だもんな」

「僕はトロフィーか何かか?」


 ダンスのパートナーは令嬢達にとってネックレスより重要なアクセサリーだ。デビュタントで親戚の子爵としか踊れなかった、となれば、この先もずっとそれをネタにからかわれるだろう。


「まぁ、可愛い妹のデビュタントだ。ご指名とあれば喜んで応えるさ」

「ありがとう、ユーグ」

「お礼を言われるほどのことじゃないよ、ジゼル。城の壁からオディールを引き剥がす労に比べればなんてことはない」

「思い出させないで、ユーグ」


 ユーグの笑顔が怖い。勉強を嫌がって全力で逃走するオディールが壁登りを披露するたび、クタールの使用人達の寿命が縮み続けていたのだから。


「じゃ、俺も後で立候補するかな」

「あまりからかうと足を踏まれるぞ」

「あー。うん。あいつ本気で踏み抜きにくるもんな。全然体重もないのに何であんな一撃が重いんだろうな」


 とても令嬢のダンスに対する評価とは思えない。

 一人取り残されていたソフィアのところへ、壇上から王太子が降りてきて手を差し出す。

 ざわめきがいっそう大きくなり、誰もがちらちらと玉座の国王の顔色を見るけれど、国王は特に何も言うことはない。

 そうしているうちにファーストダンスが始まり、フロアに白い花が咲く。

 薔薇色の巻き毛がシャンデリアの下でふわりと広がって、白いドレスの裾がステップを追う。まさに大輪の紅薔薇だ。

 そして、視界をよぎる金髪に目が奪われる。

 メインヒーローらしい美貌と、均整のとれた体躯に見とれてしまうことをとがめる人はいないだろう。フロアの淑女の視線も大半が王太子に注がれている。

 それは、どこの馬の骨ともしれない伯爵令嬢への嫉妬や疑問も含めてのことだろうけれど。(王太子ルート、途中途中のイベントで要求される能力値が高いのよね……イベント失敗したらノーマルエンドだから、その場合の対応策も考えておかないと)

 伯爵令嬢として慎ましく暮らす、そんなエンディングだっただろうか。

 否、オディールによってリンドン伯爵が経済的に追い詰められ、結局育ての親のところへ身を寄せて、ささやかで平凡な幸せを手に入れる、そんな話だった。


(あ、このルートだとジゼルは多分死んでない、かも?)


 一瞬、それならまぁ、と思いかけた自分を脳内で殴打する。

 悪役令嬢姉妹なんて洒落にもならない。

 ファーストダンスが終わる。

 このままだとオディール達は会場の反対側でダンスを終了することになりそうだ。

 ユーグが私に目配せして、優雅に歩いて行く。オディールをダンスに誘うためだ。

 ユーグの後ろ姿を見送っていたリュファスが、ふと横を向いた。 


「あ、やべ。魔術院のじじいがいる」

「じじい、って」


 リュファスの視線の先には、いかにも魔術師といった風体の白髪の老人がいる。


「俺の師匠なんだけど、ちょっと顔会わせるの気まずいから外出るわ」

「あ、うん」


 わかった、という前にリュファスはローブの裾を翻し、一瞬遅れて小さな生き物が足下を駆け抜けていった。小さな火花がこぼれて、今のがいつぞやの剥製達のような魔術で作った生物だと知れる。


(割と本気で追われてるっぽいけど何したのかしら)


 王国の星は自由奔放で、庶子という出自も相まって古い歴史を持つ貴族達からは目をつけられている。魔術院での地位についても、「実力で黙らせた」相手が何人もいると言っていた。


(性格は変わっても、そういうところは原作と一緒なのね)


 今日、ソフィアが登場しないことを期待していた。もしくは、まるで知らない貴族と踊ることを。いずれにせよ祈りは届かなかったが。ドレスも装飾品も、何もかもが原作通りだった。

 ダンスが終わったのに、会場の貴族達はソフィアをどう扱っていいかわからず遠巻きにしている。 そもそも王太子にかまわれている伯爵令嬢なんて面倒なものにわざわざ絡みに行くのが間違いなのだ。

 王太子はダンスが終わってソフィアの手を離すと、早々に玉座の裏から引っ込んでしまった。


(いくら序盤のイベントで好感度が低いとはいえ、ひどくない?)


 眉間にしわが寄ってしまう。


「ジゼル伯爵令嬢」


 目の前にハンカチが差し出される。

 顔を上げると、見知らぬ貴族令息が心配そうにこちらをのぞき込んでいた。


「ご無礼をお許しください、今にも倒れそうな顔をしていらしたので」

「まぁ、ご親切にありがとうございます。妹のデビュタントに感動して少し興奮していたみたいです。お恥ずかしい」


 地顔です、と言うこともできないので丁寧にハンカチをお断りする。


「ジゼル伯爵令嬢!このたびはおめでとうございます」


 横から、もう一人令息が割り込んできた。何度か夜会で話をしたことがある令息だった。商会の得意客だと叔父から聞いている。何度か仕事の付き添いでダルマスの館にも来たことがあるし、祝祭にもよく顔を出していた。

 突然の横入りに最初に話していた令息がわかりやすくむっとした顔をする。


「これからは社交界にダルマス伯爵家の薔薇が二輪揃うことになりますね! しかし紅白の薔薇の美しさをこれ以上独り占めできないことが残念です」


 親しさをアピールしてマウントをとる令息に、ハンカチを握りしめた令息の手がわなわなと震え始めた。


「いかがでしょう、ジゼル嬢。私と一曲踊っていただけませんか」

「君、失礼じゃないか。先に彼女と話していたのは私だぞ」

「あの、お二人とも……」


 いつぞやの、無数に手を差し出されたデビュタントを思い出す。人の話を聞かないことが得意な令息がどうしてこんなにも多いのか。


(私のために争わないで~とかいって気絶したらいいのかしら。ものすごく令嬢達の反感を買いそうだけど)


 本当に今度こそ具合が悪くなりそうだ。


「何をしているんだ、ご令嬢が怖がっているじゃないか」


 見知らぬ令息その③が現れた! すごい。無限増殖していく。


「皆様、どうか落ち着いてください。今日は妹の晴れの日なのです、どうかお願いですから」


 こんなところをオディールに見られでもしたら何が起こるかわからない。主にここにいる令息のみぞおちとかが正義令嬢の鉄拳制裁によってえぐられることになりかねない。

 ダルマス伯爵家の名声と、オディールの縁談に悪影響が出るのだ。

 なんとしてもなだめなくては。

 まだ騒ぎにはなっていない。オディールを確認しようとして、私は目を見開いた。

 薔薇のような赤毛も、シャンデリアに煌めくシャンパンゴールドの髪も、フロアにはいなかった。オディールとユーグだ、目を引く二人が踊れば絶対にわかる。だというのに、フロアにはユーグにエスコートされるオディールがいないのだ。

 会場の反対側を見ると、ユーグの姿があった。

 叔父と二人、何かを話しているようだ。

 踊っていないだけなのかとほっとしたのもつかの間、その隣にオディールの姿がないことに気がつく。


(まさか、)


 視線を巡らせる。

 さっきまでソフィアがいた場所に、誰もいない。

 王太子に謎にエスコートされる令嬢をフロアに誘い出す度胸のある貴族令息もいないのだ、だから、ソフィアはそこで壁の花になっているはずなのに、その近辺には白いドレスの令嬢がいない。


(まさか!)


 ざっと血の気が引いた。


「あの、申し訳ありません。気分が優れませんので、失礼いたします……」


 おざなりにスカートの裾をつまみ、令息達の間をすり抜ける。


(次のイベント、スチルはどこだった? 庭園、夜、背景は壁だった。招待客が入れる範囲の庭で壁のある場所は)


 中庭へつながる扉は解放されていて、月光に照らされた花々と整えられた木々が迷路のように配置されている。

 壁の城と呼ばれるだけあって、この庭の至る所に壁がある。


(王城なんて昼間にもほぼ来たことないのに、夜に場所を特定するなんて)


 よろめくように数歩、足を踏み出したとき、夜風がざわざわと木々を揺らし、かすかな声を拾った。

 すがるように耳を澄ませた私の鼓膜が拾った声は。




「……この、泥棒猫!!」


 ドレスの裾を翻して走り出すに十分すぎる威力で私を殴りつけた。



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