ライラックの季節(3)
可愛い妹と食事を共にしたいという姉の願いは何の心配もしていなかったが当然快諾された。
使用人達はおおいに困惑したが、領主代行ともいえる後見人の命令とあっては逆らう訳にもいかない。とはいえ、通常ジゼルの部屋に通されていた食事をオディールの部屋に運ぶだけなので厨房や他の使用人にはたいしたオーダーでは無かったのだ。オディールの部屋付きの使用人だけ例外である。
最初に犠牲になったのはパンが載っていた皿だった。菫の砂糖漬けが今日もテーブルに並んでいないことについて、早速癇癪を起こしたのだ。屋敷に在庫の無い食材で、特に砂糖漬けのような嗜好品は今日に明日で手配できる物では無い。
「オディール。昨日私が言ったことがわからないの?」
きつく睨み付ければ、同じ色をした瞳がにらみ返してくる。テーブルの背後でメイド達が動揺する気配がするが、振り向いている場合では無い。
「ここは私の部屋よ!私がどうしようと自由だわ!」
「そう。それでは私はお客様ね。オディールはお客様が部屋に足を運んでももてなすどころかみっともないところを見せるのね?」
「お姉様なんか招いてないもの!お客様じゃ無いわ!」
「非道いことを言うのね。私が招かれざる客だというなら、あなたはますます無様なところを見せるべきでは無いわ」
「お姉様なんか嫌い! 大っ嫌い!勝手に来たくせに!」
「あなたがいい子になるならこんなことは言いません」
「私は悪くないわよ!!」
「何故そう言い切れるの」
「私がっわた、私がダルマスはくしゃく家のオディールだからっ」
言いながら、その言葉が全く意味を成さない相手だと理解しているのだろう。とうとう泣き出してしゃくりあげてしまった。
20年近い前世と14年の今生を足した中身で相手をしているのだ、大人げないとはおもう。
大粒の涙をはらはらとこぼしている幼子を見れば痛む胸もある。
だが、ここで手心を加えては死亡フラグ没落ルートを回避することはできない。
「あなたに仕えてくれている皆を大切になさい、今私が言っているのはそれだけよ」
「…! …! 帰って!お姉様なんか顔も見たくない!!」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、私室の入り口を示す。
昨日のように寝室に逃げ帰りはしないあたり、ふてぶてしくもプライド高い淑女だ。無論ここで退場などしない。部屋中の視線を集めながら、朝食を完食して席を立った。
「ごきげんよう、オディール。今日は歴史の勉強だったわね、頑張ってね」
とうとうこちらが席を立つまで着席しなかったオディールに、未来の根性とバイタリティを見る。その泣き顔はなんだかいっそ必死で可愛くて、笑ってしまわないよう注意する必要があった。
メイド達が閉めた扉の向こうで、とうとう皿の割れる音がした。怒声と罵声が響く扉を振り返りながら、小さくため息をつく。
「あなた達の給与をあげてもらうよう叔父様にお願いしてきます。しばらく迷惑をかけてしまいますけれど、よろしくね」
控えていた使用人達は困惑した様子だったが、昇給は素直に嬉しいのだろう、まばらに礼を言って下がっていった。
角を曲がったところでひそひそと声を潜めている。
ジゼルお嬢様は人が変わってしまったようだ。どうも先日の熱で楽園の野を見たらしい。
使用人達の反応は半々だ。生きている限りは部屋に閉じこもって手のかからないはずだったジゼル嬢が面倒事をおこしている。だがもし万が一オディール嬢が改心すればこの屋敷での仕事がとても楽になる。
どうせ後見人は姪達を溺愛していて何も口を出しやしないのだから、遠くから成り行きを見守っていよう、そんなところだろう。
「あ、あの、ジゼルお嬢様」
後ろから声をかけられて振り返ると、栗色の三つ編みがぴょこんと揺れた。
「メアリ。どうかして?」
オディールの部屋付のメイドで、最もオディールの被害を被っているのも彼女だ。これからしばらく一番迷惑をかける相手でもある。
「き、昨日メイド長がお薬をくださったんです。ジゼルお嬢様からお願いされたとか、あの、ありがとうございます!大切に使わせていただきます!」
「そう、よかったわ。でも御礼なんていいのよ、あの子が原因なんですもの。頭を下げなくてはならないのは私の方だわ」
恐縮しきっているメアリを見上げてみる。周囲のメイドと比べてもずいぶん若い、まだ子供と言っても良いくらいの見た目に見える。
伯爵令嬢の部屋付きともなれば、もっと年上のベテランのメイドがついていそうなものだけれど。
人材がいないのか。それとも、メイド長の差配なのか。それとも、あの叔父の考えがあるのだろうか。考えても答えは出ないので切り替える。
「オディールをよろしくね、根はいい子なの」
「は、はい」
返答に苦笑が混じるので、返す顔も苦笑になってしまう。環境が人格を形成するので、生まれた瞬間の根は良い子なのだと信じたい。
大丈夫、今からでも取り戻すことはできるはず。
私室に戻り、今日の予定を確認する。
歴史の授業と魔術の訓練だ。オディールが癇癪を起こしたら、歴史の先生は今日中にはこちらの部屋に来られないかも知れない。
魔術の訓練は重点的に行っていきたい。というのも、それがジゼルの死因の一つだからだ。
メインルートといえる侯爵令息リュファスルートで、ジゼルは病に倒れる。この病というのがジゼルの魔力に起因するものなのだ。
高い魔力があるという理由でリュファスの婚約者となったジゼルは、その魔力をコントロールすることができず、自分自身の魔力で自家中毒になっているのだ。元々体力が無いことも手伝って、ジゼルは次第に弱っていき、最後には自らの魔力に殺されてしまう。
これは攻略対象とヒロインのイベントを進めるため、という役割の他に、後々に強い魔力を持つキャラクターが魔力を暴走させたり、望まない魔力を手に入れたりした場合、魔力の制御不能を起こすと最悪死にますよ、という例示としての死亡パターンと考えられる。何も死ななくても良かったんじゃないかな。
自分の匂いで死ぬカメムシみたいなイベントは御免こうむりたいので真剣に取り組む。
『楽園の乙女』において、魔力は重要なパラメータだ。まだ古の王国が三つに分かれる前、地図にある限り東の地からやってきた侵略者に蹂躙されていた時代、魔力ある若者らが立ち上がって蛮族に立ち向かい、国を興したという謂われからだ。古い家柄であるほど強い魔力を求められ、たとえ平民でもその強力な魔力のために特別に聖女として王族に嫁いだ女性までいる。
ジゼルもまた、格上である侯爵家にと望まれるほどの魔力を有しているのだ。属性は水。
銀製のボウルにたっぷり注がれた水に集中する。触れた指先から魔力を注がれた水が渦を巻き、水柱となって蛇のようにうねりながら空中に踊り出す。掌から少しずつ砂をこぼすようなイメージで、水柱にさらに魔力を込めていく。
薄い硝子をはじくような硬質な音がして、水が氷になっていく。ほっそりした棒から、次々と枝が生え、頼りない萼の上へ薄い花弁が花開く。数滴の水が枝の凹凸になり、透明な氷の薔薇が咲いた。
ボウルから生えだしたような氷の薔薇を根元から手折る。魔力の起点を失った水はただの水に戻る。地味な訓練だが、定期的に魔力を放出しておくことで自家中毒の予防にもなるらしい。毎日続けることが必要だ。
ふと思い立って、控えていたメイドを呼んだ。
「アン、これをオディールに届けてくれる?」
「かしこまりました」
肩口で揃えた黒髪が揺れる。感情の読みづらいこのメイドが、ジゼルの部屋付きだ。
年齢はメアリと変わらないように見える。12.3才くらいにしかみえないのだ。
「どうかなさいましたか、お嬢様」
「…いいえ、なんでもないの。リボンでも巻いた方が良いかしら。赤いリボンはある?」
「はい、ございます」
「では、お願いね。また癇癪を起こしていないと良いのだけど」
もしかすると火に油かも知れない。だが、妹の存在を遮断し続けた姉には、妹が何を喜ぶのかさえわからないのだ。
アンが頭を下げ、音も無く退室したのを確認して、もう一度銀製のボウルに向き直る。
没落しても生きては行けるかも知れないけれど、確定している病気くらいはなんとかしなくては。リュファスルートでは死期が早かっただけでどのルートでもとりあえずこの病気で死んでるんじゃ無いだろうか、ジゼル嬢。
他人事のように思ってみたけれどそれは今の私の末路でもあるわけで。
思い至った可能性をふりはらい、指先で咲き誇る薔薇が散らないよう意識を集中することにした。