はじまりの日 4
「ジゼル、私はしばらく席を外すが、大丈夫かな?」
「もちろんです、叔父様」
「できればずっと隣にいたいんだが……最近抱えている案件にどうしても手と時間が足りなくてね」
高位貴族が集まる夜会は商会にとっても良いビジネスの場なのだろう。いずれ、伯爵位を受け継いだらダルマス伯爵領の商会の運営も受け継ぐことになる。
「何か、お手伝いできることはありますか?」
「気持ちだけ受け取っておくよ。まだまだお前達にとって頼りになる叔父さんでいたいからね」
ぱちんとウィンクをひとつして、叔父は立ち去ってしまう。
とりあえずさっき食べたメレンゲクッキーで口の中がぱさぱさなので、飲み物をもらいに行こうと会場を見渡すと、見知った顔を見つけた。
親しい隣人、ユーグ・クタールとリュファス・クタールだ。
というか、向こうは最初からこちらを見つけていたらしく、二人とばっちり目が合った。
「よ、ジゼル。やっとオディールも一人前だな、おめでと」
リュファスのまとう魔法院の制服は階級が上がるたびやれローブだマントだストールだと布地が増えていく。略式の制服でさえ結構なボリュームなのだけれど、正装するとさらに迫力が増す。
授与された大量の勲章だけでアクセサリーがいらないほどだ。
実力だけで手に入れた装飾品を黒い制服にちりばめて、まるで夜空の星のよう。
貴族らしからぬフランクな態度は相変わらずだが、実力があればこそだとうそぶいていたのもあながち嘘ではないのだろう。
「ここは王城だぞ、もう少し体面を気にしてくれリュファス」
ため息をつく姿も麗しい、ユーグは完璧な貴公子の仕草でにっこりと微笑んだ。
「こんばんは、ジゼル。オディールが無事今日を迎えられるなんて感慨深いよ。本当におめでとう」
「……ありがとう、ユーグ、リュファス」
うっかりするとオディールの親のような台詞だが、何度となくクタールの城壁でロッククライミングを試みるオディールに都度悲鳴をあげていた家主からの言葉だ。重みが違う。
今日のユーグの装いは、上等な織物と刺繍をふんだんに使った正装だ。侯爵家嫡子にふさわしい豪奢さで、特に上着の裏側、裾が翻るたびに見える薄紫色が美しい。
以前商会で取り扱っていた、異国の稀少な染料を使った薄紫色の生地だろう。
叔父はこれを使って私にドレスを作りたいと言ったが、私が止めた。仕入れ値で目が飛び出るほどのお値段だったのだ。
それを裏地に使ってしまうなんて、まさにクタール侯爵家の財力を存分に誇示する装いと言えるだろう。
夜会は笑顔の戦場とはよく言ったもの。意地を張り合い、牽制し、互いを値踏みする。家が一軒買えてしまいそうな洋服は防具であり武器にもなる。
「そうだ、ダルマスにお祝いを贈っておいたから、楽しみにしててくれよ」
「オディールはいらないと言っていたけれど、僕にとっても妹のようなものだからね。お祝いくらいはさせてくれ」
「きっと喜ぶわ」
形の良いおでこをぷいと横に向けて、口先では文句を言いながら喜ぶオディールの顔が浮かぶ。
会場の反対側からでも、オディールの赤毛はよく目立つ。
緊張からか、何度も髪に飾る白薔薇をいらうので、ピンが外れて落ちてしまわないか心配になる。
「そういえばオディールのデビュタントが終わったら爵位継承の準備をすると言っていたね」
「ええ。当分叔父には手伝ってもらうつもりだけれど、いつまでも甘えてはいられないから」
デビュタントを済ませれば一人前なので、爵位を継承することもできたのだけれど、食い物にされるのが目に見えていたので今日まで引き延ばしていた。
子爵である叔父がダルマス伯爵家で甘い汁を吸うために私に爵位を継承させないのだという流言がまことしやかに囁かれているが、実際は逆だ。
「そっか。じゃあしばらく忙しくなるな」
「継承式はダルマスでやるから、是非招待させてね」
「もちろん、楽しみにしているよ」
会場から、ちらちらと視線を感じる。
当然令嬢達からの視線だ。社交界で人気の独身令息を二人も独占しているのだから当然だろう。
(魔力なしとか庶子とか、色々差し引いてもとにかく顔がいいもんね……さすが乙女ゲームの攻略対象)
他の令息達はというと、今日新しく結婚市場に引き出されたデビュタントの令嬢達に熱い視線を送っている。きっと明日には、オディールにお誘いの手紙が山のように積み上げられるはずだ。
(原作と違ってさほど悪評は立ってないし、きつめの顔っていうだけで美人だし、ああいう元気な子が好きっていう男子は絶対いるはず!)
ぐっと拳を握る。
ふと、ため息のように笑う声がすぐ隣から聞こえた。
「君は相変わらず妹のことばかりだな、ジゼル」
目を細めてユーグがこちらを見下ろしていた。アクアマリンの瞳が、シャンデリアの光を映してキラキラと光っている。その透明度に引き込まれそうになって、意識して目をそらした。
「仕方ないでしょう、目の離せない可愛い妹なんだもの。まぁ、それも今日までよ。オディールのデビュタントが終わったら、私も本格的に結婚相手を探さないと」
十九歳で婚約者の一人もいないのは、社交界では珍しいこと。嫁き遅れに片足を突っ込んでいる。よほど問題があるか、えり好みをしているか、そんな陰口をたたかれていることは想像に難くない。
だが、そんなことは私にとって虫の羽音ほどの意味しか無い。
原作の今日なのだ。オディールとソフィアが出会い、悪役令嬢によるヒロインへの加害が始まる運命の日が。
もちろん、そんなことにならないと信じている。そのために今日までオディールの再教育を頑張り続けてきたのだ。努力は報われると信じたいし、モブの一人くらい生き延びても世界は変わらないはずだ。
オディールが華麗にソフィアをスルーし、無事にデビュタントを終わらせ、目をキラキラさせながら全身で「褒めて!」と令嬢らしからぬスピードで走ってくる姿を頭の中でイメージする。白いドレスを着たオディールを抱きしめて、目一杯褒めてあげて、二人で思い切り乾杯をするのだ。そういう予定になっている。
そうして初めて、私は
何の憂いもなく新しい人生を踏み出すことができる。
輝かしい未来予想図と裏腹に、脳裏に自動再生されるバッドエンドのスチルに背筋が寒くなる。
(お願いです主神エール。ソフィアが誰を連れてきてもそのルートを全力で応援するので、どうかオディールのことは見逃してください。悪役令嬢抜きでもちゃんとハッピーエンドになるようにフォローしますからっ)
朝から何度目になるかわからない主神への祈りを捧げ、はっと顔を上げる。案の定、クタール侯爵令息兄弟が気まずそうな顔をしてこちらを見ていた。会話の途中で突然祈り出すなど、奇行にも程がある。
「ご、ごめんなさい! あまりにもオディールが心配で主神にお祈りを……」
「ああ、うん。わかってる、いや、そうじゃなくて」
「そうか、選ぶのではなく探すのか。これから。……そうか」
二人そろって深いため息をついて、首を振った。横に。
「あの、ユーグ? リュファスも大丈夫? なんだか顔色が悪いけど」
「あーいやさー、なんていうか。こう。マジかよ、うっそだろ!? みたいなさぁ。いや、進展あったかって言われるとゼロだったけど。わかってたけどさぁ!」
リュファスが頭をかきむしりながらシャンデリアを仰ぐ。
「え? 何? なんの話?」
「……気にしないでくれ。兄弟そろって殴れる相手が自分しかいないだけの話だ」
「??」
ユーグは頭痛をこらえるように額に手を当て、そのまま思考の海へ深く潜り込んでしまったようだ。




