はじまりの日 3
かつて魔術師を祖とし、異教徒から奪った土地に建国された王国がある。
古の王国は三つに分かれたが、この国がかつての王国の正当な後継であると主張する根拠として、血統の他に王都と王城の存在が挙げられる。
若者達が立ち上がり、異教徒を駆逐しお互いの命を預けることを誓った始まりの場所こそが、この王都モエニアなのである。
王都の中央に鎮座する王城は、建国の時代からその中心に玉座を置いて王の威光を示し続けてきた。他の二つの国は、当時の大貴族の城を王城としていたり、近年に新しく築かれたものだったりする。
その来歴故に、王城そのものが古く巨大な遺物だ。
かつてここは異教徒との戦いにおいて最前線の砦であった。そのため、古の魔術師達が籠城戦を前提に編み上げた魔術式がびっしりと刻まれている。この城は魔術的な意味では難攻不落、現代の魔術師では決して落とすことができないと言われている。
無論物理的な防御力も高いこの城は、巨大な壁に囲まれているため、壁の都とも呼ばれている。
かつての戦争の名残で増改築を繰り返した櫓や尖塔の作り出す複雑な陰影と、かがり火だけでは照らしきれない高い壁、魔術式が不気味に光る分厚い門。戦争のために作られた城は優美と言うよりは無骨で威圧的だ。
ちなみに道幅が狭くたくさんの客人を歓迎するのには向かない城なので、こうした大きなイベントがあるたび馬車による大渋滞が起こる。
そんなわけで、『デビュタントのドレスにこぼしても大丈夫です!』とメアリが自信満々で渡してきた真っ白なメレンゲ菓子をつまみながら、叔父と三人でのんびりと牛歩の行列を眺めている次第である。
「叔父様、もうそろそろ泣き止んで下さいませんと。目が腫れますよ」
「そうは言うが、ジゼル。可愛い姪を二人そろってエスコートできるのなんて、きっと今年が最後だろう」
「そうとも限りませんよ、叔父様。今回のデビュタントだって、エスコートのお誘いもあまりありませんでしたし」
エスコートを是非に、という手紙はあったけれど、どれもこれも伯爵位が目当てだと透けて見えるものばかりだった。オディールが読むなり破り捨てて薪の足しにしてしまったものも多いので、正確には把握できていない。
「まぁ、来年には叔父様がたったお一人になっている可能性もありますけれど?私達の心配より、ご自分に恋人の一人も居ないことを心配なさった方がよろしいんじゃなくて?」
オディールが身も蓋もないことを言うので、叔父がまた堰を切ったようにむせび泣く。さすが悪役令嬢、身内にも容赦がない。
「それに、お姉様が今年叔父様にエスコートされるのも私不服でしてよ!もっと、もっと、もーーっと素敵な殿方からお誘いがあってしかるべきじゃなくて?どうしてあんな有象無象からしかお誘いが届かないのかしら。きっと誰かが邪魔をしているのよ」
「オディール、気持ちは嬉しいけどちょっと期待が過剰だと思うわ?」
眉間にしわを寄せて陰謀論を口にしていたオディールが、はっと顔を上げる。
「まさか……叔父様!?お姉様をお嫁に行かせるまいと余計なことなさっているんじゃないでしょうね!?」
胸ぐらをつかまんばかりの勢いでオディールが身を乗り出すので、慌てて叔父が首を振った。
「いやいやいや、まさか。うちの商会の情報で、明らかに素行が悪いご令息はさすがにはじかせてもらったけどね、それ以外の手紙はオディールに渡したものが全部だよ」
「あの、叔父様?先に私に渡すのが筋では?」
「先に確認するか後に確認するかの差でしかありませんわ」
「うんうん、そうだね」
「そう、なの?」
いつぞやのお茶会で宣言したとおり、本当にオディールが認める殿方でないと結婚できないらしい。
小姑にいびり倒される夫という図があまりにも鮮明に浮かんでしまい、頭を抱えているうちに馬車は王城の入り口へたどり着いた。
『ロベール・パージュ子爵並びに、ジゼル・ダルマス伯爵令嬢、オディール・ダルマス伯爵令嬢』
名を告げられて、三人で会場へ入る。
一瞬向けられる眼差しは値踏みのそれだ。
今日社交界デビューする、ダルマス伯爵家の次女。姉が白薔薇なら、妹は紅薔薇。まったく似ていない、正反対の姉妹に会場のあちこちでひそひそと声が交わされる。
「オディール・ダルマス伯爵令嬢はこちらへ」
制服の侍従が恭しくオディールを案内する。見ると、会場の一角に白い服を着た令嬢が集められていた。今日デビュタントを迎える令嬢達だろう。
振り返ってこちらをうかがうオディールと目が合ったので、抱きしめて頬にキスをする。
「いってらっしゃい。武運を祈っているわ」
「お姉様ったら、アンみたいなこと言わないで」
やはり多少なりと緊張はしていたらしく、オディールの表情が柔らかくなる。赤い頬を化粧が落ちないように気を遣いながら両手で包むと、同じ色をしたアメジストの瞳に見慣れた自分の姿が映っている。
「今日の会場で貴方が一番綺麗よ、オディール。一年分のダルマスの薔薇をすべて並べたって、貴方には敵わないわ。私の自慢の妹だもの」
「もうっやめてくださいまし!アンのことを思い出して笑ってしまうわ。国王陛下の前で吹き出したらどうしてくださるの!?」
くすくすと笑いながら、オディールが頬にキスを返してくれる。
緊張と興奮で頬を赤くした、少女らしい表情に胸をなで下ろす。
薔薇色の巻き毛に飾られたダイヤモンドがキラキラ光って、侍従の後に従って歩く後ろ姿はまさしく朝露に濡れた薔薇のようだ。
そうして歩いている間も、デビュタントのドレスが汚れないように、乱れないように、真珠色のリボンを一生懸命いらっているオディールの姿からは、原作の悪役令嬢の影などみじんもない。
ワインをぶっかけるようなことがあればドレスが汚れてしまうだろうし、足を引っかけるようなことがあればパンプスを飾るビジューが取れてしまうかもしれない。
今日という日を完璧にしようと気合いを入れているオディールが、見知らぬ格下の令嬢にチンピラのごとく絡む必要は一切ないのだ。
(きっと前もって注意なんかしたら、『私が弱いものいじめをするとでもおっしゃるの!?』なんて機嫌を損ねてしまうわね)
対象の大小強弱老若男女一切合切の区別なく。
ただただ己の敵だと認定した相手に全力で噛みついていくのだ。だから、知らない相手は敵になりようがない。
……できれば多少の分別は身につけて欲しい。切実に。