はじまりの日 2
柱時計が六回鳴って、細工の鳥がオルゴールの音色で鳴いた。
「ジゼル様、お時間です」
アンにうながされるまま、書類とペンを机において立ち上がる。
思いがけず長時間作業をしてしまったので、ドレスにしわがついていないか鏡を見て確認した。
新しく作った菫色のドレスにも既視感がある。流行は繰り返し、最近は祖母の時代のドレスをリバイバルしたデザインが社交界の最先端だ。商会のプロモーションとしても、常にトレンドのドレスを着ていかなくてはいけない。
おかげさまで母親のお古のドレスしか着ることのできなかった淡雪の君、母イリスとドレスに至るまでうり二つだ。
当時を思い出す人が多いのか、やたらと親世代の貴族達にからまれる。早くこの流行が終わってくれることを願うばかりである。できれば思い切り方向転換する方向で。
年の瀬を控えたダルマスのタウンハウスは、最新の照明器具が煌々と玄関口を照らし、玄関ホールはパーティーでもないのに季節外れの真っ赤な薔薇で飾られている。
ダルマスの紅薔薇、オディールのデビュタントを祝うため、叔父であるロベール・パージュ子爵が一角商会の力で集めさせた薔薇は、まるで五月の朝のように瑞々しく咲き誇っている。
オディールのデビュタントを祝って、使用人達には新しい制服が支給された。上等なリンネルを使った制服に大はしゃぎしていたメイドのメアリは、今度はケーキの焼ける香ばしい匂いに落ち着かない様子でそわそわと動き回っている。
こちらはアンと正反対で、さらに身長が伸びて女性としては大柄な部類に入るほどで、顔つきや体つきはすっかり大人の女性に成長した。中身は相変わらず大型犬のそれである。
今焼いているのは使用人達にお酒と一緒に振る舞われる予定の祝い菓子だ。ケーキにはぎっしりとドライフルーツが混ぜ込まれ、新雪のように真っ白なアイシングで飾られる。
オディールの部屋付きのメイドのはずのメアリがなぜ玄関ホールをうろちょろしているのかは謎だが、相変わらず粗忽者な彼女のことなので、何かひっくり返しでもして部屋を追い出されたのだろう。オディールが叱責する叫び声が聞こえなかったので、気がつかなかった。
こんなところにも、妹の成長を感じて胸が詰まる。
デビュタントは原作乙女ゲーム『楽園の乙女』の序盤イベント。チュートリアル的な育成イベントが終わり、一通りの出会いイベントをこなして、個別ルートに入るためのフラグイベントだ。
もちろん、そこまでに一定の育成と親密度が必要になる。ヒロインのソフィアがどの方向でステータスを伸ばし、誰のルートに入ったのか、必ず確認する必要がある。
(私の、そしてオディールの未来のために!)
ぐっと拳を握りしめて背筋を伸ばす。
思えば長い五年だった。オディールを矯正、もとい再教育するのに費やした五年だった。
淑やかな淑女、というには元気とやる気と攻撃力が高すぎる気もするけれど、気高い淑女ならば十分に形容詞として妥当だろう。
多少独善的だとしても、悪役令嬢ではありません正義令嬢ですと主張したら運命も頷いてくれないだろうか。傲慢な態度も、貴族令嬢というくくりで見ればそう目くじらを立てるようなものではないはずだ。
死亡フラグと言えば、クタール侯爵家とは良好な関係を築けている。そのほかの攻略対象については領地が遠方であったり王太子だったりと接触自体が不自然で難しくなってしまうので、むしろ距離をとることで原作との関係性を多少なりとも変えるよう努力した。
特に、オディールを王都に連れてくる時期は可能な限り遅らせて、タウンハウスに着いてからはソフィアと接触しないようつきっきりで過ごした。
(このデビュタントが無事終わったら、ダルマス伯爵領に帰って結婚相手を探そうかな。オディールにも相手を探さないと)
ふと、薔薇の香りがした。玄関ホールを飾る大輪の紅薔薇は派手な見た目に反してあまり香りのある品種ではない。香りにつられて顔を上げると、ランプの明かりにキラリと輝く宝石があった。
「お姉様」
白いドレスに身を包んだオディールが目に入った瞬間、ほとんど反射で涙が出てしまった。
「お、お姉様!?どうなさったの、体の具合が悪いの!?」
ドレスの裾をばさばさとさばいて、オディールが階段を1段飛ばしながら駆け下りる。靴に飾られた宝石がキラキラと光って見えてしまう。淑女らしくない速度で私の目の前まで走ってきたオディールに、この速度ならシンデレラになっても余裕で王子様をまけてしまいそうだとあさってなことを考えた。
薔薇色の巻き毛を飾るのは、白薔薇『ジゼル』とダイヤモンドだ。上級の木の魔術師に大金をはたいて花を咲かせてもらった。
「大丈夫、大丈夫よオディール。貴方がとても綺麗になったのが嬉しくて、涙が出てきたの」
「……も、もう!びっくりさせないで下さいな、もうっもうっ!」
真っ赤になって胸を叩くオディールに、笑って「ごめんね」と謝ると、オディールがぷいとそっぽを向いてしまう。
「叔父様はまだなの?」
「さっきから玄関の前でお待ちですよ~」
にこにこと脳天気にメアリが言うので、玄関へ顔を向けると、悪人面のナイスミドルが膝から崩れて天を仰ぎガッツポーズをしていた。ブツブツと呟く読経のような声を拾うと、『私の姪が天使より可愛い』『天国に帰ってしまう前になんとかしないといけない』といった内容が聞こえてきた。
残念ながら私の叔父、ロベール・パージュ子爵の通常運転だ。無視していいだろう。
「本当に素敵です~!とぉっても可愛いです!お綺麗ですっ!お似合いですぅ!きっと今年のデビュタントでいっちばん注目されるのはオディールお嬢様ですよぉ!」
「ふん。そんなの当然でしょう。私を誰だと思っているの」
花でも散らしそうな勢いで褒めちぎる大型犬のようなメアリに、オディールはつんと顎をあげてすまし顔だけれど、まんざらでもないようで口元が笑っている。
オディールと目が合ったアンが、静かに目を伏せて頭を下げた。
「本日のデビュタントではカエルラ公爵家のトリュトンヌ嬢が国王陛下へ一番にご挨拶をなさいます。席次に変更がなければ、オディールお嬢様はトリュトンヌ嬢の次に指名されるはずです。公爵令嬢のデビュタントということで、例年より多くの招待客が来ることが見込まれます。どうぞ、ご武運を」
天気予報のように淀みのない、そして平坦な激励だった。
「お前の台詞を聞くと舞踏会というより闘技場へ送り込まれている気分になるわね」
「もちろん、本日のドレスも大変良くお似合いです、オディール様。ダルマスの薔薇をすべて手折って花束にしてもオディール様の美しさには及びません。きっと今年のデビュタントの華はオディール様でしょう」
「急に褒めないで頂戴!びっくりするでしょ!?」
一切表情を変えずに、事務連絡と同じテンションで褒め言葉を口にするアンにオディールがぎょっと目をむく。
メアリがケラケラと笑い、アンは相変わらず無表情だ。
叔父の読経は続いている。
まるで何も変わらない日常の延長だ。
私一人が死地に向かうような顔をしているのがなんだか馬鹿らしくなる。
「それじゃあ、行きましょうかオディール」
エスコートするようにオディールに手を差し伸べれば、真夏のひまわりのように溌剌とした笑顔が返ってきた。白い手袋に覆われた手をぎゅっと握りしめて、運命に笑ってみせる。
薔薇の上に降る雪は、いつのまにか重く大粒の牡丹雪へと姿を変えていた。




