はじまりの日 1
窓から眺める景色は、冬枯れの薔薇の庭園に雪が降り積もるというもので、ある意味見慣れた光景ではあった。とはいえ、ここはダルマスではなく王都のタウンハウスで、庭はわざわざダルマスの薔薇の館に似せて作らせたのだろう。
窓に映る見慣れた顔は、別の意味でも見慣れた顔になっていた。
ダルマス伯爵令嬢ジゼル、乙女ゲーム『楽園の乙女』のモブキャラクターの立ち絵のそれ。
今生における私の姿だと認識してもう五年になるのだけれど、今でもたまに鏡の中の私と目が合うと心臓がはねることがある。
慣れないとか、違和感があるとかではなくて、日に日に原作の立ち絵に似てくる私の姿に、数々の死亡エンドが重なるのだ。モブのスチルなどほぼ存在しないはずなのに、最近では勝手にバッドエンドのスチルが脳内再生されてしまう。
儚げな美少女といえば聞こえはいいけれど、幸が薄そうで、いつも困ったような顔をしている。その憂いを晴らすためならば黄金を捧げて惜しくないと謳われた亡き母イリスの面影をそのままに。
実のところ何も憂いていないことが多い。
どこまでもこれが地顔である。
伯爵位継承に向けた勉強と日々の政務、オディールのやらかしに疲れ切ってぼんやりと明日の朝食のメニューに思いをはせていたら、ハンカチを差し出されるのだ。何かを憂えて、涙をこらえるように見えるご令嬢のために。
初手からすれ違っているため会話が全くかみ合わないコントのような事故も両手の指では足りない回数発生している。
さらに、釣り眉のせいで怒っていると誤解されがちなオディールの隣に居ると、私がオディールにいじめられているとかいう余計な誤解を生じることもあった。
なんとか解決したくて、メイクや着こなしで元気いっぱい明るく可愛いヒロインに寄せたイメージチェンジを図ったけれど、原作の強制力と言わんばかりに全く無意味だった。とても人に話すことができない深刻な悩みがあるのを、周囲を心配させまいと気丈にふるまっているという誤解を受けたのだ。
親しい隣人であるクタール公爵令息ことユーグに真剣な表情で「僕では君の力になれないだろうか」と片膝をついて真顔で懇願されるに至り、心が折れた。陰キャが無理して陽キャごっこをしようとしてもだめなものはだめらしい。
もうずいぶん前に本棚に整理した前世の黒歴史が、数年越しでみぞおちを殴ってくるような痛みに歯を食いしばるしかなかった。
最終的に、仲良し姉妹アピールを過剰にしていく方向に切り替えた。
概ね、世間もダルマス伯爵家の姉妹は仲が良いという評判で落ち着いている。
窓から机へ視線を戻す。目の前に積み上がる羊皮紙の山、私の愛する妹がこしらえた大量の請求書に、再びため息をついた。
「ジゼルお嬢様、次の書類ですが」
羊皮紙の山の隙間から、いつもと変わらず、アンが抑揚のない声で告げる。
五年間変わらず部屋付きのメイドを務めてくれているが、全く年をとる気配がない。
カラスの濡れ羽色の黒髪をまっすぐに肩口で切りそろえ、日焼けをしない肌はきめ細かくなめらかで、いっそ年下にさえ見える。十五歳と言われても信じてしまえそうだ。
「王都にある大鹿亭の主人からです。お忍びでのお食事中、隣のテーブルの痴話喧嘩に激怒したオディールお嬢様が暴れ出したと。壊した食器の弁償を求める陳情ですね。男性からのプロポーズの台詞が適当だったことが乙女として許せなかったので助太刀した、とのことです。この請求、明らかに数が多いですが、いかがいたしますか」
「……適正な価格を商会に算出させてお支払いして頂戴」
「かしこまりました。続いて東の街道の管理人からの陳情です。オディールお嬢様が馬で関所破りをなさってけが人が複数出たと。ジゼルお嬢様に薬草を届ける途中で急いでいたとのことですが」
「やりかねない、けど、けが人を出したら必ず報告するように言ってるわ。東の街道で報告は受けていないから。一度ちゃんと調査させて」
「かしこまりました。あと、オディールお嬢様が人さらいをしたと西の村から」
「ああ、酒浸りで暴力を振るう父親から子供を一人保護した件?」
「はい」
「割れた瓶の破片でオディールが怪我をしたわ。伯爵令嬢を傷つけた罪について賠償できるなら返してやると言ってやって。あの子は元気?」
「神殿付の孤児院におります。最近やっとまともに食事が喉を通るようになったそうです」
(器物破損、傷害、誘拐、ポピュラーな悪役令嬢ムーヴね)
指折り数えて苦笑してしまう。
三つ子の魂百までとはよく言ったもので、オディールの性質は子供の頃から変わらない。
己の奉じる正義のためであれば、自身の名誉を賭してそれを貫き、正義の勝利のために権力と金と人脈のすべてでもって邁進する。そのためであれば、自身の骨を折ることを全く惜しまない。
損得ではなく、誇りのために剣を抜き、断罪のためなら時に法のグレーゾーンを躊躇なく駆け抜ける、目的地に向かって最短距離をぶっちぎる令嬢になってしまった。
バカンス先の飲食店で感じの悪い店員を追い出したり、村娘にセクハラかましてるおっさんを牢獄に連行させたり、次期領主の悪口を言う役人を鞭打ちの刑に処そうとしたり(さすがに止めた)と、不正義が目に入った瞬間制裁を下す瞬間湯沸かし器な性格は相変わらずだ。
その都度オディールの名前を絶叫し、アフターフォローに走り回り続けてきた。
オディールの行動に確かに救われた人がいて、どこまでも自分の心にまっすぐなオディールの姿に私こそが救われているけれど、不安は消せない。
体の弱い姉に代わって領内を見回る馬上の貴婦人はもはやダルマス領の名物だ。
薔薇のような赤毛のお嬢様がやらかしたことについては、ダルマスの館へ訴え出れば、慈悲深い次期領主によって保証がしてもらえるらしいとはダルマス領に広く知られた話だ。
平民と貴族の身分差、その特権を振りかざせば無視してしまうこともできる。
しかし、伯爵家にとってはドレスについた宝石一粒にも満たない要求でも平民にとっては死活問題だろう。金は自ら良く喋る手段だが、すべてを解決できはしない。
その行いが正しくとも、恨みを買うことはある。どこでフラグが立つかわからないので、なるべく平穏に生きてほしいと心の底から願っている。
「それでは続きまして」
アンが顔色一つ変えずに新しい羊皮紙の束を箱から持ち上げる。
「……まだあるの?」
「ダルマスから届いた報告書と合わせて残りざっと30件ほど。お疲れでしたら明日にまわしますか?」
外の雪をもう一度見て、ため息をついて椅子に座り直した。
「いいえ、今日中に片付けてしまいましょう」
うんとのびをして、肩を回し、気合いを入れる。
「明日は、オディールのデビュタントなんだから」