薔薇の祝祭3
【お知らせ】
いつも作品を読んでくださってありがとうございます。
このたび【悪役令嬢の姉ですがモブでいいので死にたくない】が書籍化することが決定いたしました。
皆様が応援してくださったおかげです。ありがとうございます!
ビーズログ文庫から、2023年11月15日に発売予定です。
また詳細等改めてお知らせさせていただきます。
『哀れな魂への餞に、かの人の心を欠片ばかりでも望むは』
「その歌気に入ってんの?」
帰りの馬車の中で、ご機嫌に恋歌を口ずさむユーグにリュファスは首をかしげた。
薔薇の花束と薔薇のジャムを使った焼き菓子が馬車の中を甘い香りで満たしている。ダルマスの館は遠く、もう豆粒ほどの大きさなのに、まだ祝祭にいるような気持ちになる。
「楽園の野に幸福を求めるようなタイプじゃないだろ」
「まぁね。あまり神に祈るのは趣味じゃない。とはいえ、心が欠片ほども手に入らないとしても、だ」
足を組み直して、ユーグは笑う。
その瞳をのぞき込めば、きっとジゼルは恐怖のあまり絶叫しただろう。
淀みを底に抱く泉の色をしていた。
「疵になら、なれるだろう?」
「あのなぁ」
ユーグの声は平坦だ。温度が変わらない。表情も、なにひとつ。
だからこそリュファスは薔薇ジャムを挟んだダコワーズを飲み込むと、深々とため息をついた。
「そういうとこだぞ、ユーグ。そいうとこ。そういうこと言うからオディールが噛みついてくるんだよ」
もしもユーグが突然空中庭園から身を投げて死んだりしたら、心優しいジゼルは一生そのことを忘れられないだろう。
話を聞くべきだった、救うことはできなかったか、春になるたび思い出して膿を吹き出す疵になる。きっとあの狂い咲きの春の庭に、二度と足を踏み入れることはない。
春の花と睡蓮に囲まれた庭で、初恋の少女が自分のためだけに涙を流してくれる。その妄想はあまりにも甘やかだったけれど、妄想の中でさえクタール城の常春の庭にオディールが火炎瓶を投げ込んできたのですぐに灰になってしまった。やりかねないし、きっとやる。
「冗談だよ、リュファス。……冗談だ」
やっと作り笑顔ではない笑顔を浮かべて、ユーグが背中を座面に預ける。物憂げに窓の外を眺める表情は、いつものユーグだった。
「オディールを見習いたいな。諦めきれないのなら手を伸ばす、なりふり構わず求め続ける。パージュ子爵家の方針かな?」
大輪の紅薔薇『オディール』を一輪手に取る。どうしてもと頼み込んで花束を作ってもらった、門外不出の薔薇。
ちなみに白薔薇『ジゼル』の所有権は現在世話をしているオディールにあるとのことで、一輪だけでもと頼んでみたが、とりつく島もなく食い気味に断られた。
深窓の白薔薇、愁いを帯びた淡雪の君。ジゼル伯爵令嬢が作り出す氷の薔薇を手に入れた令息はこれまで一人も居ない。
ジゼルの関心は妹にだけ向けられている。そうでなくとも、クタール侯爵家はダルマス伯爵家にとって隣人以外の何でも無い。
「二人目の生首になるのは最終手段だな」
「だから、そもそも選択肢に入れるなって言ってんだよ。鏡見てみろ。王国で最も裕福な貴族の一人、クタール侯爵家の嫡子。見目良し頭良し剣の腕だって悪くない。おまけにこの王国の星が弟だ。これで失恋からの楽園行きなんかしたら世の中の大半のボンボン共が憤死するぞ」
リュファスは薔薇ジャムを挟んだクッキーを口に入れて、ため息ごとかみ砕く。
(無いのは魔力だけだろ。まぁ、うちの城で死にかけたジゼルに、嫁に来てくれっていうの、ハードル高いか。俺に至っては破談になってるもんなぁ……クソ)
ただでさえ1日で破談になった婚約、それもお家騒動に最悪の形で巻き込んだ前科がある。
今後求婚時にどれほど好条件を並べても、後見人であるパージュ子爵は難色を示すはずだ。クタール侯爵家が商会の最大の取引相手でなければ、きっと友人であることも許さなかっただろう。
なにより、いつだってダルマスの薔薇の庭で、ほのぼのと幸せそうなジゼルを見ていると、一緒に苦労を背負ってくれとは言い出せないのだ。
ユーグであれば魔力目当てと囁かれ、リュファスであれば爵位目当てと嘲笑される。
もっと簡単に確実に、幸福の階段をジゼルに差し出せる相手が居るのはわかっている。それこそ、星の数ほどに。
だから競うように足下を固め外堀を埋めて、なんの心配も無いから伴侶になってくれと希えるように、クタール侯爵令息達は歯を食いしばって星を目指すのだ。
「しっかし、俺の兄上はこんなに後ろ向いてるのになんで諦め悪いかね」
「諦められたら苦労していないさ。僕の弟は前向きだな」
「俺はユーグと違って主神エールと奇跡を信じる派だからな。5年前の俺に、5年後ユーグと一緒に祭でふかした芋食ってるぜーって言ったって絶対信じないだろ」
「確かに……ん?」
「どした?」
「いや、花束にカードが入っていた」
若干の期待をしながら薄紅色のカードを開くと、ほのかに香水の香りがした。
『この薔薇は鑑賞が終わり次第暖炉に入れて燃やしてください。間違っても、絶対に、挿し木などしないこと。約束ですよ。 ジゼル・ダルマス』
色気の欠片もない業務連絡だった。
花束を渡された時に、ジゼルから同じことを何度も念を押されたのを思い出す。土の管理に特に気を遣っているだとか、壁をもっと高くすることを検討しているだとか、とにかく外に出すつもりはない花なのだと、くどいほどに。
見た目が大輪で華々しく、さらに香り高い『オディール』は、今やダルマスを象徴する薔薇だ。
この甘やかな香りが傍らにあれば、離れている間の無聊を慰めるくらいのことはできるのではないか、そんなことを兄弟は考えた。
考えて、しまった。
果たして、約束の不履行による報いは1年を待たなかった。
クタール侯爵家の別邸の一つ、城下町から少し離れたゲストハウスに、奇妙な噂が立ち始めたのだ。
ある時期から領主令息と庭師以外の出入りがなくなったその館は、急に壁を高く積み上げ、それはとうとう屋敷そのものが見えなくなるほどの高さまで到達した。
魔獣の群れにも汗一つかかなかったというリュファスがボロボロになって出てきたり、完全武装した騎士が突入して悲鳴を上げていたりと、化け物でも飼っているのではないかと近隣の住民を不安にさせた。
とある晴天の朝、件の別邸は火の気もないのに全焼し、焼け跡は煙が消えるのを待たず更地にされた。
この不審火の詳細について、クタール侯爵家は決して口を開こうとはしない。
真実は闇の中である。