薔薇の祝祭2
ぬぐいきれない嫌な予感に頭を抱えていると、薔薇とは違う甘い香りが鼻孔を刺激した。
振り返ると、目の前に真っ赤な苺とオレンジ色の杏を串に刺した屋台の菓子がきらきらと光っている。
「よっ、ジゼル!……そんな頭抱えてどしたんだ?体調でも悪いのか?」
両手に抱えきれないほどの屋台飯を持ってリュファスが現れる。少し油断しただけで串の1、2本も落ちてしまいそうな量だが、器用にバランスを取って危なげなく運んでいる。元々庶民の出身と言うだけあって全く違和感がない。
その後ろにユーグも居るが、こちらは全く慣れた様子がなく、串に刺した芋が転がっていきそうな不器用さだ。ついでに全く変装が変装になっていない。夜目にも淡く輝く金髪、白い肌、どう見ても育ちの良いおぼっちゃんだ。
「吟遊詩人が来ていたのだけど、演目が、その……」
「ああ!オディールが主役の奴?」
「わ た く し じゃ!ありません!!」
ぶちぃ!と音がしそうな勢いで鶏肉を犬歯で引きちぎり、目一杯眉間にしわを寄せる。
悪役令嬢というか野盗の女親分のような勢いになってきた。
「そんな怒るなよ、庶民の娯楽だろ。それに、この調子でいけば王都の劇場で上演されるのも夢じゃないぞ」
「全然!!嬉しくありませんわ!!」
すぐ脇にあったゴミ箱に投げ込んだ串が深々と刺さった。
流れるようにリュファスから飴のかかった苺を受け取って、ガリガリと音をさせながら噛みついていく。
「特に今のフレーズが嫌いですわ。勝手に想って、勝手に死んで、それで心が欲しいなんて図々しいにも程があります。罪ですわ。罪!」
「手厳しいな」
串に刺さった芋が落ちない角度をやっと見つけたらしく、塩の味しかしない芋を口にしながらユーグが首をかしげる。
「願ったからと言って手に入らないことは承知だろう。叶わない夢は願うことすら許さないというのも狭量じゃないか?」
「楽園の幸福を願うくらいなら、ありとあらゆる手を尽くして主神エールに召されるその日まで挑戦し続けるべきでしょう。人の心なんて明日にも変わるかも知れないのだから。その程度で諦めるような女性だから、愛を失うのですわ」
唇と舌を真っ赤にしながら、オディールは苺飴をかじっていく。
「……ガッツあるのはさすがだけどちょっと心配になるな」
「相手の方の負担にならない範囲で挑戦するならいいんじゃないかしら……?」
ひそひそ、リュファスと二人頷いてしまう。前世ならストーカー法に引っかかりそうなガッツだ。
「もしかして、オディールが恋愛のモデルケースとして想定してるのは、父君なのか」
ユーグの呟きに、なるほど、と膝を打つ。
今は亡き父と母の物語。潰れかかった伯爵領と、海運業でもうけた成金、と一言で言うけれど、父テオドールは母イリスを妻に迎えるにあたり相当な身銭を切ったのだ。結果的に、当時王国で一番高値がついた花嫁はイリスだろう。
その金があれば買えた爵位も土地も他にあったはずだ。
なりふり構わず己のすべてを捧げ、手に入れるための手段を選ばず、楽園の門へさえ追いすがるものが愛だと考えているのなら、確かに失恋で身を投げる貴族令嬢のモデルにされてしまうのはオディールには不本意だろう。
つい先日も失恋で自殺するなら相手を殺して自分も死ぬと言っていたし。
「まぁ、そうですわね。お父様ほどお母様を愛した人はいませんもの」
オディールの表情が曇った気がした。しかし、次の瞬間にはもう苺飴をガリゴリと噛み砕いていたので、星空を漂う雲のせいかもしれない。
「ジゼルも同じ意見かい?」
「え?私ですか??」
思いがけないパスに、リュファスから渡された杏の串を落としそうになる。
苺飴とちがい、こちらは蜜漬けの柔らかい杏を串に刺したものだ。適度に水分の抜けた肉厚な杏から染み出るじゅわりとした甘い蜜と、杏の酸っぱさがたまらない。
(恋愛…恋愛のモデルケース……)
真剣に考えてみるが、『メリバで死ななければとりあえずそれで』という後ろ向きな回答しか出てこなかった。
(今はオディールのことで精一杯だし……まず命が大事。死にたくない)
「死ぬことはないんじゃないか、って思いますけど」
ぽろり、呟く。
思考を介さずにこぼれてきた一言が誰にも聞かれていないことを願ったのだけれど、思いがけず圧のある視線にさらされてぐっと唇を噛む。
「いえ、ごめんなさい、本当になんでもないの」
ランプのオレンジ色が瞳に映るせいか、妙に目力のあるユーグの視線から逃れるように目を泳がせる。
逃れた先に、リュファスの魔力に満ち満ちた赤い瞳があったので観念してぎゅっと目をつぶる。
「だって、新しい恋をするかもしれないじゃないですか!星の数ほど、人は居るんだから」
これは私の願望だ。
仮に、この先原作のストーリー通りに世界が回ったとして、ソフィアと結ばれなかったとき、思い詰めすぎてメリバにたどり着かないで欲しい。
ヒロインのソフィアは本当にいい子で、あんないい子に恋をして失恋したら思い詰めてしまう気持ちも理解はできる。ただ、諦めずに探してみれば他にも気の合う相手は見つかるはずだ。世の中には似たような人が3人居るという言葉もある。
それに、恋愛だけが人生のすべてではない。ユーグが蜥蜴の大門に負けない水門を作ることを夢見るように、リュファスが聖者に至ることを目標にするように、自己実現は十分生きていく理由にはなるはずだ。
賛同の言葉を求めてみても誰一人答えてくれないので、おそるおそる目を開けると、三人から生暖かい目を向けられていた。
「お姉様……」
「お願い、やめてオディール、そんな目で見ないで……自分でも薄い言葉だなって思ってるから!」
こちらの世界で目覚めて5年、目覚める前の14年と前世の19年、いわば38年間一度として恋人ができたことがない。星の数ほど人は居たのに。
恋文らしきものも届かないではなかったのだけれど、心ときめかせてお茶をして、次の機会は二度と無かった。
淡雪の君と呼ばれた母の外見をもってしても、手札が陰キャな前世と引きこもりの今生のダブルカードではきゃっきゃうふふな恋人同士という役は作れなかったのだ。
思わずオディールに抱きつくと、「やっぱり私がいなくちゃだめなんだから」と呟いて抱きしめてくれた。
「まぁあの歌のせいでうちの城死体だらけだけどな。あの池何人埋まってるんだっつー話だよ」
リュファスがケラケラと笑って話題を変えてくれる。
クタールの城で、冷え切った体で私をいたわってくれたときと同じ。相変わらず優しい青年だ。原作の影のある寡黙な性格は欠片も残っていない。
「古い城だから一人くらいは埋まっているかも知れないが」
「やめてくださる!?クタール城に泊まるときに思い出したらどうしてくれますの!」
ユーグの冗談にオディールが噛みつく。
(冗談……冗談よね?)
気安いやりとりと、この先も友誼が続いていくことが当然だという二人の態度は、原作とまるで違う。
目が合うたび澄んだ泉の瞳で微笑んでくれるユーグも、原作の張り付いた社交辞令の笑顔を思い出させることはない。
何より、オディールが私を、ジゼルという姉を愛してくれている。私もオディールという妹を愛している。
(大丈夫、きっと大丈夫)
祝祭の終わりを告げる真っ赤な花火が、薔薇の花弁のように夜空を彩るのを見上げながら、私は祈るように自分に言い聞かせていた。
オディールが15才を迎える、六月の祝祭が終わった。




