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ライラックの季節(2)


 扉を開けたメイドは先導するつもりでは無かったのだろう。というのも、両手に汚れたテーブルクロスを抱えていたからだ。 

 視界にこの家の令嬢を見つけて、そばかすのメイドはあわてて道を空ける。

 横を通り過ぎると痛いほどの視線を感じた。それはそうだろう、ジゼルはいつも自室にこもっていて、オディールがジゼルを訪ねない限りこの姉妹は顔を合わせることも無かったのだから。


「私は薔薇のお花が食べたいっていったじゃない!どうして用意できてないのよ!!」


 何か固い物がぶつかる音がして、ベチッとあまり可愛らしいとは言えない音がした。


「申し訳ありません、お嬢様」

「いやよ!いや!!薔薇じゃなきゃいやなの!!!!」


 余りにもわかりやすい駄々に、ため息が重くなる。妹はほぼ毎朝こんな癇癪を起こしている。菫の砂糖漬け、薔薇のジャム。朝の紅茶に入れるほんのひとさじのために皿を何枚も犠牲にするのだ。

 その声は、記憶にある限りジゼルの部屋にも届いていたはずだが、癇癪一つ起こしたことが無い生来おっとりした性格のジゼルにはオディールの激しい感情が全く理解できず、早々に理解する努力も放り投げ、なるべく距離を取りたいと考えてしまっていた。

 誰だって地雷原に足を突っ込みたくは無い。しかしやらねばならぬので。


「おはよう、オディール。朝から賑やかね」

「!!」


 ぴたり、部屋にいた人間の動きが止まる。

 小さな手に打たれていたメイドも、今まさに犠牲になりかけている小皿も、それを手にした少女も。

 肖像画の姿より少し成長した、燃えるような赤毛の美少女。うんざりするほどゲーム画面で見た彼女の幼い日の姿だと、もう一度確信する。


「オディール」


 ゆっくり、名前を呼ぶ。


「お、姉様」


 同じ色をしたアメジストの瞳はしばらく言葉を探していたようだったけれど、机の上に小皿を置き直して、きゅっと口を引き締めてまっすぐに見上げてくる。


「おはようございます、お姉様。もうお体はよろしいの?」

「ええ、心配してくれてありがとうオディール。主神のお導きに感謝しなくては」

「……」


 小さな貴婦人の目から、警戒心と猜疑の感情がはっきりと伝わってきた。無理も無い。


「私もお茶をいただいて良いかしら?オディール」

「……ええ。すぐにお茶の用意をして!」

「は、はい!ただいま!」


 手や足にいくつも小さなあざを作ったメイドを見送り、淑女のテーブルと呼ぶには荒れ果てた席につく。

 向かいの席に座りながら、オディールは落ち着かない様子で視線をさまよわせていた。しかし時折目が合うと侮られまいと強い意思をもって睨み付けてくるのでもうすでに悪役令嬢の片鱗ばっちりである。


「オディール。先ほどは何故あんなに大きな声を出していたのかしら?」

「あれはメアリが悪いのよ」


 きっぱりと幼い声が断言する。

 メアリ。先ほどのメイドの名前らしい。


「私が薔薇のジャムとすみれの砂糖漬けがほしいって昨日言っておいたのに、用意できなかったの。本当に使えないんだから」


 ふんぞり返って鼻で笑う。甘いお菓子が食べたい、という子供らしい発言だが、その結果がさっきのバイオレンスな癇癪なので一切可愛くは無い。身分と立場に物を言わせて暴力を振るう姿はこちらの事情を差し引いても目にしたくない光景だ。


「今は薔薇の季節ではないし、一日で砂糖漬けはできないでしょう。非道い無茶を言ってメイド達を困らせるものでは無いわ」

「!」


 オディールが信じられない、という顔でこちらを見ている。

 当然だろう、今日まで誰一人オディールの行いに苦言を呈する者はいなかったのだから。


「オディール。あなたが素晴らしい主人であれば、彼らはあなたのためになんとしてでも薔薇のジャムを探し出してくれたかも知れないけれど。仕える人の献身を得られないのは、主人がそれに足る人間でないと公言しているのと同じこと」


 ぐっと眉間に皺を寄せて、正面からオディールの視線を受け止める。理解できない単語が含まれていようと、責められていることは感じるのだろう、オディールの口がへの字に曲がる。元々きつめの顔立ちなので、不機嫌を詰め込んだような表情になった。


「メイド達に無理な命令をして、悪く言うのはおやめなさい。あなたが何もできないだめな主人だと言いふらしているようなものよ」

「……っ! 私は悪くないわ!!!!」


 バンッ!

 テーブルに残った花瓶と小皿が飛び跳ねるほど強く天板を叩いて、オディールは淑女らしからぬ音を立てて椅子を引いた。 


「お姉様なんか大嫌い!!!」


 アメジストの瞳に燃えるような怒りを滾らせて睨み付けると、オディールはそのままばたばたと続きの間にある寝室の扉にすべりこみ鍵までかけてしまった。

 重い金属の錠が閉まる音が部屋に響く。

 豪奢な扉をしばらく見守っていたけれど、出てくる気配も無い。

 一朝一夕でどうにかできるとは思っていないけれど、先の長い話になりそうだ。

 部屋を見渡すと、貴族令嬢に相応しい家具が行儀良く並んでいるが、所々目立った傷があった。上等な木材なのだろう、磨き上げられた飴色の木肌に触ろうとして、入り口で銀のトレイを持ったまま立ち尽くしているメイドと目が合ってしまった。目を丸くして口を開けているメイドに苦笑して立ち上がる。名前はたしか。


「メアリ。オディールがごめんなさい、あなたには後で薬を届けるようメイド長に言っておくわ」

「は、え、はい」

「それと、明日からしばらくは私も朝食をこの部屋でとります。叔父様のお許しはこれからいただくつもりだけれど、厨房に伝えておいてもらえるかしら」

「はい!」


 しゃちほこばったメイドの動きにおくれて、後ろでまとめた三つ編みがぴょんと跳ねた。

 その顔が引きつっているのを見ない振りで、なるべく優しい笑顔を残して部屋を出る。

 オディールは言わずもがな、ジゼルも自分の家の人間を全く把握できていない。病弱で部屋に閉じこもっていたとしても、あまりにも狭すぎる自分の世界だけを見ていた。


 さっきオディールに言った言葉はそのままこれまでのジゼル…私自身にもあてはまる。この家にいる使用人の誰一人、ジゼルが死にそうになっても、オディールが窮地に陥っても命を賭けてはくれない。そして、きっとこの家が没落しても船を見捨てるネズミのように消えるだけだろう。いっそ没落の原因になってもおかしくない。信用が無いのだ、お互いに。恩も情もない相手を大切にする理由なんて無い。

 死にたくない。できれば没落だってしたくない。でも多分、このままだとそうなる未来しか見えない。身体に染みついた習慣とは怖いもので、ぼんやりと歩いていると自分の私室を通り過ぎて寝室までたどり着いてしまった。本来であれば私室に置かれるべき本棚も文机もすべてが寝室にそろっていて、まるで3歩以内に必要な物すべてを配置したコタツのようだ。なんて狭い世界だろう。

 絹のシーツにくるまれているだけでは、きっと死んでしまうので。

 

 寝室に背中を向けて、鏡に向かって再度『淡雪の君』の微笑みを練習して、叔父へのお強請りに備えることにした。



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