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パイの中の王冠

 意識が飛んでいた。

 実際にどのくらいの時間だったのかはわからないけれど、凍った足場がまだ維持できていることを鑑みるにそれほど長い時間ではなかったのかも知れない。


 風が頬をなでた。妙に暖かく感じるのは、私が氷で室温を下げ続けているせいだろうか、それとも体温の下がりきった体がそう感じさせるだけだろうか。

 けれど、その風がどこから吹いているのかを目視して、ただでさえ冷たい私の体から血の気がひく音を聞いた気がする。壁に大穴があいていた。窓枠ごと外側へ落下したらしく、等間隔に並べられた大窓がそこだけ存在しない。

 シャンデリアの残骸だけが紙くずのようにへしゃげて丸められて穴の手前に落ちている。

(まさか、そこから落ちたの?)

 気力を振り絞って立ち上がると、大穴の手前、シャンデリアの残骸にはさまれるように人影があった。

「ユーグ様!!」

 思わず声が出てしまう。足場が強烈な突き上げを食らって、また転倒してしまった。冷え切った床に膝を思い切りぶつけて痛みに唇をかみしめる。

 小さなうめき声を上げて、ユーグの頭が揺れた。

 だが、その隣にあるはずの赤毛が見えない。

 防護の魔道具は最後まで機能していた。おそらくユーグはその効果からはじき出されたのだろう。だが、ネックレスをつけていたオディール本人は守られていたはずだ。守られて、そのまま、外へはじき出されて。

「……!!」

 呼吸に失敗して、喉がひゅっと嫌な音を立てた。

 あの魔道具は防御だけに特化したものだ。落下の衝撃は攻撃として認識できるんだろうか、わからない。

(わからない、けど。私のせいで、オディールが)

 足下が文字通り崩れていく。石の蛇が氷の塊を削っていく。

 他人の魔力に反応しているのか、接触した物をたまたま破壊しているだけなのかはわからない。

 手が動かない。涙がにじんで、床に落ちると同時に凍り付く。自責と自棄で立ち上がれない。ここでリュファスを止めて生き残ったとして、オディールが死んでしまったら。

(どうしよう、どうしたらいいのかわからない)

 ガリガリと、凍った石を削る音がする。

「ジゼル嬢、集中しろ。死にたいのか?!」

 ユーグが声を抑えながら立ち上がるけれど、私は馬鹿みたいに逆光の姿を見上げることしかできなかった。

 すっかり見通しの良くなってしまった壁の向こうで、何を見なくてはいけなくなるのか、考えなくてはいけないのに、動かなくてはいけないのに、脳が拒絶して思考が停止する。恐怖に耐えきることができない。そんな罪は背負いきれない。今すぐ逃げ出してしまいたいのに、足を動かすという命令さえ体は受け付けない。

 ただ、意味のない涙をこぼしてユーグと空を見上げていた。

 風が吹いて、空は青くて、それ以外の色彩なんてなにもない。

 最初から何も、なかったように、それ以外の音もない。

 ただ呆然と見上げる先で。

 先で。

 カツン、と音がした。

 コロコロと、小さな金具が床を転がっていく。

 壁にぶつかった衝撃で落ちたのか、それともシャンデリアの残骸だろうか。

 もうひとつ、金具が落ちてくる。

 明かり取りの小さな窓の横、きれいな大皿が揺れている。金具はあの皿を固定していたものらしい。見つめる先で、皿の裏から小さな手がにょっきり生えてきた。手は皿の縁を探るように動き、2,3度揺らしただけであっけなく大皿は落下した。

 派手な破砕音に肩がびくりと揺れる。

 音に反応したらしい石の蛇が部屋の奥へ集中する。

 大皿が取り除かれたその先、赤毛が見えた。

 逆光にふわふわと薔薇色の髪の毛が揺れている。揺れているが、そんなはずがない。だって、この建物には外階段なんてものはないし、明かり取りの窓の高さにバルコニーもない。赤毛の生首が3階相当の窓から登場したら、まずもって幽霊かモンスターの類いだ。化けて出るには早すぎる。思わず立ち上がってしまう。

「お、オディール、なの?生きてるの?どうやってそんなところにいるの?!」

「あら、お姉様は私がどの属性の魔法を使えるかお忘れなのね!」

 ふふん、と胸を張る。

 その背後に、アイビーの葉がピカピカと光っていた。

「壁に生えていた蔦に少しだけ力を借りましたわ!まぁ、魔法がなくたって、このくらいの壁なら登れたとおもいますけれど!」

「……」

 それは令嬢としてどうなのか、とか。

 頭上のオディールがあまりにも平常運転で、安堵と自責でまた涙が出てしまった。足下で、また氷の砕ける嫌な音がする。オディールがぐっと小さな眉間にしわを寄せて窓から引っ込む。すぐに隣の窓から顔を出して、今度は壁に掛かっている額縁をガタガタと揺らしている。留め金が外れないのか、それでもその音はリュファスの注意を引いているらしい。

「お姉様!リュファスを、はやく!」

「ええ、オディール」

 頷いて歩きだす。

 歩きはするのだけれど、少しも前に進んでいる感じがしない。それでも、一歩一歩進んでいく。また背後で何かが落ちる音がした。ついでに盛大に破壊される音も。

 一歩踏み出すたびに、靴ごと足が凍り付く感覚がする。

 真下から石の塊に突き刺されないためには魔力を途切れさせるわけにはいかない。視界がかすむ。魔力量については恵まれた生まれのはずだけれど、使う器が脆いうえにそろそろ魔力も底が見えてきた。

 リュファスは床に倒れたまま、浅く呼吸している。

 ぼんやりと開いた赤い瞳と、目が合う。背中で聞こえていた破砕音がぴたりと止んで、足下でぶつかって火花を散らしていた魔力のぶつかり合いが停止する。

 何かを言おうと開いたリュファスの口は、結局言葉を発することはなかった。

 同じように声をかけることもできない私の肩を、誰かがつかむ。首だけ振り返ると、ユーグだった。頭を打ったのか、出血が襟元を汚している。

「きけん、ですよ。ユーグ様」

「僕には魔力がありませんから。魔道具がなければどこにいても同じです」

 それは確かにそうかも知れないが。

 凍り付いた床に靴がへばりつくのか、それとも怪我が痛むのか、顔をしかめてユーグは私の肩を支える。一歩一歩、リュファスへ近づいていく。

 また背後でもう一枚、陶器の割れる音がした。

 歴史的な美術品が次々粉々になっていくのに安心してしまう。あの小さな野生児令嬢が生きていて、こんな自己愛ばかりの元凶を、自分勝手な姉を、助けようと必死になってくれているのが、図々しいことに嬉しいのだ。

「あんな素敵な弟を殺したら後悔するんでしょう」

 ユーグがぽつりと呟く。

 それは、オディールが言っていたことだ。

「ええ、そうですね、きっとそうです」

 また一歩足を踏み出す。いくらオディールが身軽で、魔法が使えると言っても、幼い子供一人をあんな危険な場所に長時間登らせておくのは絶対にダメだ。歯を食いしばって、ユーグの手を借りて、歩き続ける。

 とうとう3歩の距離まで近づいて、膝をつく。

 凍りきらなかった冷たい水へ、祈るように両手を浸す。

 ひゅう、と、冷えた空気が音を立てる。

 続いて、パキパキと氷が形になる。

 氷の薔薇が水の中から生えだして、崩れて氷の塊になる。

 リュファスの襟を、髪を、頬を凍らせ、また薔薇の形をとって、革製の首輪にとりつき、氷塊は成長していく。金色の金具に止められた、怪しく光るエメラルドがきしむ。

 手袋越しに、もう感覚のない指先を床へ突き立てた。気合いに応えるように、氷の薔薇は自身も砕けながらエメラルドを破壊する。

 ぼろぼろと小さな破片になって、氷の上を滑り、きらきらと水浸しの床に落ちていく。

「ど、して」

 リュファスの声が小さくこぼれた。

 まだ意識があることに安堵しながら、凍った床から引き剥がそうとして、体が動かなかった。代わりとばかりに、ユーグが進み出る。

「すまなかった。僕のせいだ」

「……」

 凍り付いた床から、ゆっくりとリュファスを起き上がらせる。三度、息を吸って、吐いて、痛む場所があるのか顔をしかめる。

「どうすんだよ、これ」

 もっともな疑問だった。がれきの外側に倒れている人は見えるけれど、がれきの中に人がいたなら、大怪我ではすまない気がする。

「僕がなんとかする」  

「……」

「本当にすまなかった。お前が僕の敵になるとしても、兄のまねごとをする機会を与えてもらえないか」

 物言いたげな赤い瞳が、ユーグをみて、私を見て、惨状としかいえない部屋の中を見て。

「そうしないと、後悔すると。オディール嬢に言われたんだ」

 さまよう赤い目が、多分、天窓近くにいるオディールを見て目を丸くした。ユーグも察したのだろう、天井を振り仰ぐ。

「降りられますか、オディール嬢」

「ええ、もちろん!それでリュファスはご無事?お姉様は?!」 

 軽快な声が天井から降ってくる。

 オディール、そう呼ぼうとして、上を向いた瞬間視界が真っ暗になった。

 落下するような浮遊感と、右のこめかみに感じた痛み。誰かが名前を呼ぶ声を聞きながら、私は冷たすぎる水の底へ意識を手放した。

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