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陶器製の黒い鳥



 最初に聞こえたのはガラスの割れる音だった。

 給仕が粗相でもしたのかと顔を向けると、割れていたのは案の定グラスだった。だが、数がおかしい。テーブルの上のグラスすべてが割れている。等間隔に美しく並べられた高級なグラスが、ちょうど高さを半分にされたように、真っ二つになっていた。

 続いて、皿の割れる音。

 テーブルの上ではなく、壁に飾られた巨大な飾り皿。色鮮やかな東洋風の大皿が、粉々になった。落ちて粉々になったのではなく、割れてしまったせいで留め具の隙間から次々と破片が床に落下していった。

 それから、木のきしむ音。

 ミシミシと不吉な音をたてるそれがどこから聞こえているのかわからなくて、思わず隣にいたオディールを抱きしめる。

 最初の音がしてから30秒も経っていない。

 だが、この部屋にきしむほどの木があるとすれば、天井か壁か、あるいは。


「お、お姉様っ!!」


 オディールが悲鳴を上げる。

 視界が暗くなった。

 次々と鈍い音を立てて重い物がぶつかる音がして、視界で火花が飛び散る。

 影を追うと、ゆうに10人以上が座れそうなベンチが白いテーブルクロスをなぎ倒しながら壁側へ吹っ飛んでいった。それだけではない。椅子が宙を舞い、壁にたたきつけられて壊れた。頭上でシャンデリアがおもちゃのようにぐらぐらと揺れ、陶器も磁器もガラスも、割れうるすべての物が割れる音が響く。

 視界に何度も白い火花が散って、鎖骨のあたりに熱を感じた。

 

(防護の魔道具!)


 さっきの衝撃は魔道具の作った結界とベンチがぶつかったせいらしい。

 あんな大きなベンチが直撃していたらまず死んでいる。血の気が引いて、しがみつくオディールをさらに抱きしめた。

 木のきしむ音がもう一度聞こえ、今度は反対側のテーブルがローテーブルをなぎ倒して壁にぶつかった。引き裂かれたテーブルクロスの向こうに、呆然と立ち尽くしているユーグがいた。


「何が…何で…」

「ユーグ様!」


 思わず手を伸ばす。オディールを抱え、ユーグの手をつかむと、また大きな衝撃音が頭上で響いた。 結界に跳ね返された大きな燭台の破片がテーブルに深々と刺さる。

 防護の魔法を込めた宝石がまた熱をもつ。鎖骨のあたりが火傷しそうなほどに熱い。正直ネックレスをむしり取ってしまいたいが、今はこれしか命綱がない。そのうえ、さっきのような大きなテーブルでもぶつかれば今度こそ宝石は砕けてしまいそうだ。


「どうして、僕はただ…」

「しっかりしてください、ユーグ様。とにかくここから離れないと」


 だが、周囲は破壊された元家具で塞がれている。視線ばかりうろうろと逃げ場を探しているうちに、破裂音と、続いて石がこすれ合う嫌な音が響き、最後に。

 まるで舞台の幕が開けるように、壁面の石がぼろぼろと崩れ落ち、巨大な穴がぽっかりと壇上にできあがった。


「リュファス?」

「!」


 オディールの言葉に顔を上げる。

 舞台のような階段が半ばから崩れ、その穴の真ん中、蛇のようにのたうつ石柱が見えた。その隙間から、黒髪が見える。そして、大粒のエメラルドが首元に光っている。間違いなくリュファスだ。 


「リュファス!」


 私の声をかき消すように、地面から爪のように5本の土柱がそびえ、耐えきれないように崩壊していく。地中にいる悪魔が何かをつかもうとするような動きだ。直撃すれば串刺しにされることだろう。


(大人の人は、誰か) 


 すくみそうになる背中をのばして、周囲を見渡す。

 土埃と料理で汚れたテーブルクロスの向こうに、期待した人影はなかった。代わりに倒れ伏している人の手足がちらちらと覗く。

 うめき声や、助けを求める声が、石の砕ける音に混ざって聞こえてきた。ベンチや椅子にぶつかって壁際へ跳ね飛ばされているか、地面から跳ね上げた家具類の下敷きになっているらしい。

 不規則に壁が、床が、天井が盛り上がり、蛇のように動き回る光景は悪夢のようだ。

 扉をふさぎ、砕き、廊下までえぐれている。状況を報告できる人間は見える限りにおらず、また外へ走って逃げることもできない。すぐに助けが来る可能性は極めて低いと判断するべきだろう。

 

(リュファスの魔力の暴走って、こんな子供の頃だったの?この光景を見ても、ジゼルは婚約したの?)


 もしそうなら胆力が強すぎる。私のせいで時期がずれたとしか思えない。

 足下を這いずるように魔力が巡り、そのたびに床に亀裂が入っていく。リュファスを中心とした魔力の渦は、それでも一定の範囲以上には広がることがない。

 ひっくり返った机や椅子が、地面から突き上がる爪によって破砕されていくのを見て、背筋に嫌な汗が伝った。

 リュファスの攻撃範囲に取り残されている人間は、おそらく私たちだけなのだ。

 動悸がする。心臓が耳の真横にあるような錯覚に吐き気がしてくる。


(これが原作と同じタイミングで起こっているとしたら)


 たとえば、仮に。

 オディールとジゼルに会話がなく、二人は早めに会場に乗り込もうなんて話にもならかったならば。ユーグにも出会えなかったはずだ。すべてが、予定通りにすべてが執り行われていたのなら。ここで怪我をしたのはリュファスと使用人だけだったことになる。

 あるいは、最悪この現場に居合わせたとしても、最初の攻撃で、他の使用人達のようにテーブルと一緒に吹き飛ばされたのかもしれない。怪我はしたかもしれないが、命の危険まではなかったのではないだろうか。ついでに気絶でもしていればリュファスの状態を見ることもなかっただろう。

 現状は最悪だ。

 原作のジゼルは防護の魔道具なんか絶対に持っていない。

 だとすれば、私が中途半端に防御したせいで離脱のタイミングを失ってしまったことになる。オディールとユーグまで巻き込んで。


「きゃあ!!」


 足下をリュファスの魔力が巡り、足下の床が盛り上がる。

 バランスを崩したオディールを抱き留め、ふらついた背中をさらに支えてくれる手があった。


「ユーグ様」

「……」


 目が合った。物言いたげに瞬きをして、それでもなお唇は引き結ばれている。

 魔力がぶつかり、火花が散るたび、オディールがしがみついてくる。罪悪感で潰されそうになりながらその小さな肩を抱きしめると、ユーグがすぐ隣でため息をつくのが聞こえた。


「本当に、仲のいい姉妹ですね」


 棘を飲み込んだような表情で、ユーグはこちらを見下ろしていた。何度も言われた台詞のはずだが、ぞっとするような虚無を含んだ声に、どう返答していいかわからない。私が黙って見つめる先で、ユーグが右腕のカフスボタンを取り外した。結界やリュファスの魔力に触れるたび小さな火花を起こしているので、何らかの魔道具なのだろう。魔力がないユーグが、護身用になんらかの魔道具を所持しているのは当然かも知れない。

 淀んだ水色の瞳、その真ん中にリュファスが映っている。カフスを飾る宝石が淡い光を放つのを見て、思わず腕をつかんでしまった。

 

「何だ」

「駄目です、ユーグ様」


 猛禽の彫り込まれたカフスボタンは、防護の魔力をまとうとあまりにも鋭利な形をしていた。その羽の切っ先が結界に触れるたび、大きな火花があがる。内側から削られるほどの魔力だ。

 一度発動させれば、文字通り風の刃になって対象を切り裂くだろう。

 魔力のない人間にも扱えるように作られた、魔力のある人間を切り裂くための道具。それ単体がとても強い力を持つ、最上級品のはずだ。そうでなくてはユーグに持たせる意味がない。


「直撃すれば、殺してしまいます」


 対象はならず者ではなく弟だ。

 状況が状況だ、クタール夫人は必ずユーグを守るだろう。だが、まだ15にもならない子供が背負うには、弟殺しの罪は重すぎる。


「ああ、きっと大丈夫ですよ。僕の弟は見ての通り、とても強い魔力を持っていますから」

「それでも、その威力をまともにくらえば大けがでは済まないです」

「そうなのですか?」


 暗い瞳とかち合った。

 

「僕には魔力がないので、これがどれほどの威力を持つ物なのか、わからないんです」

「…っ!」


 知っているはずだ。知らないはずがない。だが、それ以上の言葉が出てこなかった。

 口元に皮肉じみた笑みを浮かべ、ユーグは抑揚のない声を紡ぐ。


「僕とリュファスは違う。あなた達のようには、なれない」


 ユーグの右手で、透明な殺意が静かに形になっていく。火花が散る。


「もっと早くこうしておけば良かった」

「やめ、」

「駄目に決まっているでしょ!?」


 私が手を伸ばすより先に、小さな獣が突進していった。

 リュファスの魔力に吹き飛ばされたのかと思うほどの勢いで、ユーグとオディールがごろごろと床を転がっていく。

 結界からはじき出された二人の横を、椅子の破片が甲高い音を立てて通り過ぎていく。

 ユーグの手を離れたカフスボタンが、私の左頬をかすめ轟音を立てて壁に突き刺さった。ほんのり左頬がヒリヒリする。血が出ているんじゃないだろうか。髪の毛も一房ごっそり持って行かれたらしく、きらきらと光って床に落ちていくのが見えた。今、本当にちょっとかなり死にかけた。


「お前っ、今何をしたのかわかっているのか!?」

「ユーグ様こそ!自分が何をなしているかわかってらっしゃらないのね!!」


 侯爵令息に馬乗りになって、オディールが噛みつかんばかりの勢いで綺麗なレースの胸ぐらをつかんだ。


「私だって、お姉様のこと、殺してやりたいと思ったことがあるもの」


 待ってさすがにそれは傷つく。





「でも、絶対に後悔するわ。私は何度もしたから、わかるの。お、お姉様は楽園の門を何度もくぐろうとするから、嫌でもわかるしかないのよ。それがどれほど、こ、こわくて、おそろしくて、悲しい、ことか」


 大きな瞳がゆがむ。

 紫水晶の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれた。


「こんなひどいろくでなしのお姉様でも、悲しいんだもの。リュファスみたいな素敵な弟を殺したりなんかしたら、絶対に後悔するわ」

「・・・・・・」


 ぽかん、とユーグがあっけにとられた表情でこちらを見た。

 見ないでほしい。防護の魔道具の効果さえ必要なければ、泣きながら走り去りたいところだ。


「仲が良い姉妹に見えましたか?」

「・・・・・・いや」


 つい恨み言のような言葉が出てしまう。数秒の沈黙の後、ようやく、小さく息を吐いた。ユーグの目に意思の光が戻る。オディールを私にあずけるようにして持ち上げ、自身もゆっくりと立ち上がる。

 

「魔力封じの宝石が、中途半端にはずれたせいです」

「魔力封じ?中途半端、というのは一体」

「母が用意した魔道具を僕が壊したんですよ。全部壊したつもりだったけど、半分しか壊れてなかったみたいです。制御と封印は荷車の両輪です、封印の方だけが外れてる状態でしょう」


 それは蛇口の水を全開であけているようなものではないだろうか。

 もはやスクラップと化したテーブルの向こうで、リュファスは苦しそうにうめきながら喉をかきむしっている。魔力の過剰な使用は、体にとんでもなく負担をかける。私が風邪を引いたように、いくら魔力が強いとは言え子供の体でこの負荷が耐えられる時間は長くなさそうだ。

 飾りの甲冑が倒れ、派手な音を立てる。その音が耳障りだと言うように、石の蛇は鉄の甲冑を紙箱かなにかのように押しつぶしてしまう。 

 この惨状の何もかもが私の責任だと思うと吐きそうだった。


「僕が責を負います」


 ユーグがつぶやきと共に、反対側のカフスボタンを外した。


「殺しはしません」


 オディールと私に言い聞かせるように、はっきりと口にする。


「腕の一本も切り落とせば、意識を保てないはず」

「そんな……」

「言ったでしょう、責を負うと。リュファスが腕をなくしても、その責任を取って僕を後継者から外してもらえばいい。リュファスが望むのなら、あとで僕の腕を差し出しましょう」


 覚悟が決まりすぎている。

 ユーグのリュファスに対する感情が、悪意や殺意だけでないことは歓迎すべきかも知れないが、子供をここまで追い詰めるこの家の惨状に改めて冷や水を浴びせられた気分になる。

 生き残りたい。モブでいいから生き残りたいけれど、ここで一人逃げるような真似をすれば少なくとも一人以上死人が出るだろうし明日からまともにご飯が喉を通らなくなりそうだ。

 善意とか正義とかではなく後ろ向きな逃避。私がそんな考え方だから、こんなことになってしまったのだ。全方位私の自業自得。だからこそ私は責任を取らなくてはならない。

 

 私を見上げるオディールと目が合う。


 悪役令嬢らしからぬ、不安に揺らぐ瞳が私を見上げている。

 そりゃあそうだ、目の前には暴走状態の魔力渦、そこら中に積み上がるスクラップ、倒れた大人達、兄弟で腕を切り落とすだの責任を取るだのスプラッタホラーにもほどがある。トラウマになったらどうしてくれる。ただでさえ暗雲漂う未来が私たちには待っているのに。

 でも、ここで年端もいかない子供を見捨てるような人間は、悪役令嬢どころかただの人非人だ。

 なるほど、悪役令嬢の身内らしい。笑えてしまった。


「ユーグ様、この部屋に、水を送る管はありませんか?真上の、空中庭園へ水を送るための」

「……あるには、ありますが」

「よかった。それなら、リュファスが腕を失わずに済むかも知れません。その最後の一矢、この部屋へ水を招くのに使っていただけませんか」


 ユーグの肩が揺れる。不安そうなユーグの表情と同様に、手元でハヤブサのカフスボタンがぶれた。

 

「私に賭けてくださいと言っているのです。私の属性は水です。これでも、かつて聖女に届くと謡われた、母の魔力を継いでいますから」


 私の皮肉に、ユーグもまた皮肉な笑みを浮かべた。コップいっぱいと偽った、保身のためのウソが掛け違えた最初のボタンだ。まず私が代償を払わなくてはならないだろう。


「ああ、そうでしたね。失敗したらどうなります」

「運が悪ければ私たちがリュファスに殺されます。何もしなければ、大人達が助けに来てくれるのを待つ間にリュファスはきっと死ぬでしょう。リュファスを助けるために、命を懸けていただけますか」


 ユーグは目を細めてこちらを見下ろし、そして震えるオディールを見下ろした。

 何かを呑み込むように唇を引き結び、やがて目を伏せる。


「……わかりました」


 再度、空気を震わせる低い音が響く。

 形のない刃がユーグの指先に従って振るわれ、石の壁をケーキのように切り裂くのを目の当たりにして確信する。


(私どう考えてもさっき死にかけたわよね?)


 

 


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