コマドリは何羽いたか
初めての晩餐会に、小さな令嬢は浮かれた表情を隠せないようだ。オディールは朝からドレスにしわがないか確認することに余念がない。もう10回は髪飾りを交換してあれでもないこれでもないと悩んでいたので、手持ちの真珠色のリボンを提案したらお気に召したらしい。
ご機嫌なオディールから、鏡の中の自分へ目を向けてみる。母であるイリスが好んだすみれ色のドレスは、銀髪によく似合っていると思う。まるでお人形のような少女を何度見つめても、内々とは言え婚約を発表される表情ではない。断頭台に上がる囚人のそれだ。
身内を集めた簡単な晩餐だと言っていた。
(身内……クタールの本邸を追い出された親戚の魔法使いも来るのかしら)
古いダルマスの血をもつ令嬢と、庶子ではあるがクタールの魔力を正しく受け継いだリュファスであれば、一応は親族の了承を得られるだろう。亡き母リラの魔法使い達の評判は高い。恋に落ちたという理由で爵位目当ての成金と結婚したことを除けば。
(そういう意味では、お似合いね)
血の高貴さなんてものがあるなら、その青さではとてもではないがユーグに及ばない。
もっとも、それらはすべてこの家にいる人間を苦しめる枷にしかなっていないが。
より強い魔力を持った令嬢に心当たりがあるのか、それともリュファスと懇意になった時点でダルマスの令嬢たちを切り捨てることにしたのか。リュファスをクタールの領地から追い出すことを優先した可能性もある。クタール夫人の意図が読めない。
「お姉様とリュファス様なら、まぁ、お似合いなんじゃないかしら」
鼻歌交じりにオディールはくるくると回ってみせる。
ダンスは特に得意だけれど、ここ最近の逃走(走り込み)により体幹が鍛えられてより動きにキレが増した気がする。筋肉の重要性を再認識する。鍛えても鍛えても強くならない我が身が恨めしい。
「ジゼル様が遠くへお嫁入りすることがなくなって、すごく喜んでいらっしゃるんですよ」
こっそり、メアリが耳打ちしてくる。隣でアンも無言で頷いており、花を散らしそうなオディールの笑顔につられて私も笑ってしまう。
(リュファスと一緒にいたのがよかったのかな。確かに今のオディールの感じだと、貴族令嬢とかより平民の男の子の方が気が合うのかも?そもそも、オディールだって元気すぎるだけで今は悪い子ではないものね)
クタールに来てからというもの、オディールとの関係は以前よりとても改善したように思う。この死亡フラグだらけの悪魔城に来た甲斐がほんの少しはあったのだと自分を慰めることにした。
リュファスをクタールから追い出すことを目的としているなら、婚約を契機にこのままダルマスへ連れて行けば、これ以上の闇墜ちを防ぐことができるかも知れないし、ストレスの原因であるリュファスが遠くへ離れればユーグもクタール夫人も落ち着くかも知れない。
本来なら同盟関係として行われるはずの政略結婚が、敵対関係にしかならない気がする。新しい地雷を埋めているだけかもしれない。
「ねぇお姉様、まだ空中庭園を観ていないでしょう?すごく綺麗だったわ、私が案内して差し上げてもよくってよ!」
「オディールは……元気ね」
つい先日そこから飛び降りて死にかけた子供の台詞とは思えない。
はしゃぐオディールの手を取って、椅子から立ち上がる。
なぜか目を丸くしたオディールを見下ろすと、頬が紅潮していてリンゴのようだ。
「案内してくれる?晩餐までまだ時間があるようだから、一緒に散歩でもしましょう」
「っ、え、ええ!一緒に。お散歩くらいなら、付き合ってもいいわ」
ぎゅうと握る手の強さが微笑ましい。
晩餐会を控えた城の中はばたばたと慌ただしく、すれ違う使用人達が一瞬目を丸くして通り過ぎていく。
(なるほど、ここはお客様が通るような道じゃないんじゃないかもしれないわね、オディール)
絨毯も何もない、粗末な木の扉や扉もないランドリーの並ぶじめじめした石造りの廊下に苦笑する。自信満々で先導する小さな令嬢に迷いも違和感もないらしい。そういえばこの子はダルマスの館を網羅する勢いでかくれんぼをしていたので、城の裏方といえる場所へ出入りすることに躊躇がないのだろう。令嬢教育上どうなのだろう、首をかしげてしまう。
そもそも、この道を教えたのがリュファスなのだとしたら、あえてこの道を選んだ可能性の方が高い。なので、この道を通るのがさも当然ですよ、という顔でオディールの手を握る。
「あら。今日の晩餐会の会場はここみたい」
ひょいと、開いた扉からオディールが部屋に飛び込む。
先ほどまでの薄暗い道と違い、高く天井と窓を取った広間には光があふれている。
天井ギリギリの上側に、明かり取りの窓もたくさんとられていて、石造りの古い城だと言うことを感じさせない。壁には家紋を織り込んだ立派な布と、細密画が書き込まれた絵皿や東洋趣味な焼き物が等間隔に飾られている。
白いクロスの掛けられた長テーブルには、当然まだ料理も載せられていない。まだゲストが到着する時間ではないのに、突然現れたドレス姿の令嬢二人に使用人達がぎょっとした顔をする。この滞在中だけでずいぶんこの表情を見たけれど、オディールのしでかす大体のことに動じなくなってしまっているダルマスの使用人達が少し懐かしくなってしまった。
「わぁ、広い!それに明るいわ。ダルマスにもこんな広間があればいいのに!」
「ダンスをするにはよさそうね」
くるりくるり、午前の光を浴びて踊るオディールは妖精のようだ。
会場を見渡すと、窓からは空中庭園から注ぐ滝が見える。なるほど、大広間は通常1階に作る物だけれど、空中庭園を一部でも見せるためにあえて2階に作ったらしい。
それにしても、改めて。空中庭園、高さがある。あんな場所から落ちてリュファスもオディールも無傷だったなんてもはや奇跡に近い。
そんな私の感想など知らず躊躇なくまた窓から身を乗り出そうとしているオディールの手を全力でつかんだ。
トラウマになっていないことを喜ぶべきか、もうちょっと死なないように学習するメンタルを持ってほしいと言うべきか、飲み込んだいろんな言葉で胃袋がすでに重くなる気がした。
空中庭園へ向かってツタ状の植物が壁に伸びている。青い空と、花咲く庭園と、壁の緑と、冷たい風。あまりにも平穏な光景に、オディールを抱きかかえたままぼんやりと魅入ってしまう。
不意に、空気がざわついた。
振り返ると、舞台装置のようなひな壇からユーグが降りてくるのが見えた。気まずくて口の中を噛んでしまう。固まる私たちを一瞥し、ユーグはそのまま隣を通り過ぎていく。
「……ごきげんよう、ユーグ様」
憎しみのこもった目に、胃の奥から胃液がせり上がってくるようで歯を食いしばって耐える。
何か言わなくては、そう思って顔を上げるのと、小さな火花が高い天井から落ちてくるのは同時だった。つい最近も見た、魔力の干渉によってこぼれ落ちる火花。
魔法を使うような道具でも天井にあるだろうかと見上げるけれど、ごく普通の、ろうそくを使うシャンデリアがあるだけだ。ざわつく違和感が肌にまとわりつく。
急に首筋が熱くなって、思わず手をやると薔薇の形を模した魔道具が熱を持っていた。また、ぱちりと小さな音を当てて火花が散る。
火花に首をきょろきょろとしているオディールを抱き寄せるのと、最初の音が鼓膜をたたくのは同時だった。