花のお茶会2
ユキアサガオ茶の後味による体調不良を訴えて、よろめきながら自室に帰った私を出迎えたのは叔父の熱烈なハグだった。勢いがよすぎたせいで胸筋に頭が跳ね飛ばされ一瞬意識が飛びかけた。
「ジゼル!また倒れたと聞いたよ大丈夫かい!?あと一歩で門をくぐるところだったというじゃないか!今も顔が真っ青だよ」
「大げさです叔父様、私は元気ですよ。きっとドレスの色のせいでしょう」
お茶会に来ただけなのにそこかしこに楽園への門が開きまくっているここは地獄か何かなのだろうか。薄いピンクのシミを見下ろしながら、疲れたため息をついてしまう。
部屋のソファで、小さな生き物が丸くなっているのが見えた。
バラ色の巻き毛が規則正しく上下している。
元気いっぱいな令嬢は疲れ切って眠ってしまったらしい。今日はどこを冒険してきたのだろう。聞いてみたいけれど覚悟をする時間もほしい。叔父はきっとオディールが何を言ってもニコニコと笑うだけだろう。
「クタールから提案があったよ。リュファス様をお前の夫としてどうか、とね」
「っ」
ひゅ、と喉から嫌な音がして咳込む。椅子から立ち上がって再びハグしてこようとする叔父を片手でとどめて、なんとか呼吸を整えた。
「侯爵からですか?」
「ああ。……夫人が折れたかな」
ぼそりと付け加えられた独り言に、私の眉間にもしわが寄る。
魔力の強い子孫を望むのであれば、この縁組みは一族にとっては喜ばしい物だろう。ダルマスにとっても悪い取引ではない。一族の意向でリュファスが一族の主になるのであれば侯爵夫人になれる。あるいは婿として迎えるとしても、強い魔力を持った子供はダルマス家としても歓迎すべきだ。ユーグがいずれ子供をもうけるにしろ、その子供が魔力を持っているとは限らない。保険としても手駒としても、私とリュファスの縁談、その子供への期待値はとにかく高い。
だが、どうにもクタール侯爵夫人のあの笑顔がひっかかる。
ユーグにとっては全方位にマイナスにしかならない取引だ。
(……ユーグ)
魔力を隠す必要がない貴族令嬢が、嘘をついた理由をどう考えただろう。命がかかっていると説明をしたところで、理解が得られるとは思わない。単純に考えれば、クタールとの縁談を望まないから。もちろん、魔力なしと評判のユーグとの縁談を。あるいは憐憫や同情ととられただろうか。
(どっちにしろ、二度とユーグが私を友達だと言ってくれることはないんだろうな…)
生き残るためだと自分に言い聞かせても、腹の底の冷たいものは動いてくれない。
嘘を一つつけば、次々嘘をつかなくてはいけなくなる。
安易に楽な道を選んだ結果、あっけなく崩れて取り返しがつかなくなった。砂の城にもほどがある。
オディールであれば、偽ったりしなかっただろう。愛情も、憎しみも、全部まっすぐに伝えてきた彼女なら。正面から嘘偽りなくクタール侯爵夫人に伝えて、その上で婚約者になるのはごめんだと素直にお断りしただろう。その結果お隣との関係がこじれたとしても、きっと気にもしない。
死にたくない、没落もしたくない、面倒事関わりたくもない、嘘をついた結果がこれだ。
思いついたときは白いウソで死亡フラグが回避できるなら願ったりだと思っていて、まるでゲームのようにイベントをスキップできるような気がしていた。
このまま、嘘をつきとおして、ユーグがコンプレックスを克服して、次期領主として前向きに頑張っていけるようになって、それで。 そのままユーグの人生からフェードアウトしていけば。全方位に円満解決、少なくともこの幼少期のフラグは回避できると思っていた。
結果がこれだ。見える範囲の全員を傷つけて泥沼にはまり、最初の目的であるリュファスとの婚約回避という最低ラインを割ってしまった。自業自得が過ぎて、胃がきりきりと痛む。
やったことは犯罪でも自分の心に準じて潔く死亡イベントに臨んだ原作のオディールのほうが万倍ましな気がしてくる。犯罪はもちろんダメだし、できれば誠実に生きていきたい。正論かまして愛されヒロインとか言うのが転生ものの王道じゃないのかとも思うのだけど、どう理屈をつけても正論かましたらこの城の幽霊の仲間入りしかできそうにない。愛人の息子と正妻の確執なんて子供にどうこうできるレベルを超えている。
野生の伯爵令嬢とバトルするほうがずっと楽な気がしてきた。すやすやと丸まって眠るオディールは、それこそ先日見た子猫のようだ。安らぎが毛玉の形をして寝息を立てている。
「…オディールを起こした方がいいかしら。ソファで寝ていたら風邪を引いてしまうわ」
「ジゼルお嬢様!わ、私がお連れします!!」
控えていたメアリがぴょっこりと顔を出した。
労働階級らしい鍛え上げられた腕力で、慣れた様子でオディールを抱き上げる。
「ジゼルお嬢様がお倒れになっている間、ずっと心配して眠れなかったようですから。このまま休ませてあげてください」
「オディールが?」
少なくとも。私を心配してくれたという、少しずつ野生から戻ってきているらしい妹くらいは、無事に連れて帰らなくては。私は痛む頭を押さえながら、夜空の月を見上げることしかできなかった。