花のお茶会
家の女主人がお茶をご一緒にと言うのなら、格下の客人である子供に否やなどあるはずがないのだ。ましてや、体調不良でベッドに伏していた二日間、それはもうもったいぶった態度で貴重な薬だの果物だのを銀の皿に恭しく盛っていただいた身としては断る口実も絞り出せない。
わざわざ近隣から腕のいい医者を呼び寄せたりもしてもらったのだ。
平身低頭、心からの感謝を述べて礼儀正しく平和に幕が引けるよう鏡の前で笑顔の練習をするのみである。病み上がりのせいか開始1時間前の時点で引きつっていた。意気揚々と今日も元気に部屋を飛び出していったオディールに、心の底からついてきたいと思った。
クタール夫人は、前回のお茶会同様髪を高く編み上げ、レースやシルクのリボンをたっぷりと飾り付けた昼の装いで出迎えてくれた。
冬の庭が見えるテラス席は春の陽気の暖かさで、この城が古い魔法使いたちの技術が詰まった物だと客人に見せつけるに十分な偉容を誇っている。なにしろ、今朝方の冷え込みのなごりで睡蓮池にはうっすらと氷が張っているのだ。思い出すだけで指先が冷えるような感覚に、こっそりと手を握り合わせた。
「体調はいかが?ジゼル。ユーグもずいぶんと心配していたのよ」
クタール夫人に促されて視線を動かせば、気遣わしげなユーグの表情が正面から見えた。初対面の時とは違う、少し砕けた感情の見える微笑みにこちらも笑顔を返すことができる。やはり先日、あの水門の模型の話が弾んだのがよかったのだと思う。
魔力がないという一点だけで才能や未来、人格まで踏みにじられ否定されたユーグがゆがむのは必然だ。
(そう、彼に必要なのは理解者!友達!そうやって健全な精神と肉体を手に入れれば弟いじめとかに走らないでゆくゆくは明るいお隣ファミリーとしてお付き合いができるかも知れない!)
心の中でぐっと拳を握ってしまう。
婚約者内定からの死亡ルートだけは避けたい。あとできればご家庭の事情が複雑すぎる義実家も遠慮したい。当然のごとく本日のお茶会にリュファスの席はご用意されていない。誤魔化す気もない女主人の優しい微笑みが、春の陽気の魔法を貫通して背骨に刺さるようだ。
「明日、小さいものだけどお客様をお招きして夜会を開こうと思っているの。プライベートなものだから、あなたたちも参加してくれると嬉しいわ」
「お気遣いありがとうございます、クタール夫人」
通常成人していない子供は夜会や晩餐会に出席することはできないものだ。
オディールが聞いたら大はしゃぎするだろう。ちなみに小さな野生児令嬢は本日もリュファスのナイトとして過ごしている。リュファスの魔力が封じられている今、前回のように助けは期待できない。怪我をすることのないよう、おとなしくしてほしいとお願いしたけれど、命に関わりない怪我ならもう許容範囲と思う方向に切り替えた方が私の胃痛的にいいような気がしてきた。子供、すぐ自分から死にに行く、何故。
ちらりと、クタール夫人の顔を伺う。
家のことはすべからく女主人の元へ報告が行っているはずだ。息子を守るために、徹底的に使用人を掌握している彼女のことだから。ましてや最大の警戒対象であるリュファスについて回っているのだ、気にしていないはずがないのに。オディールの奇行について嫌みの一つも言われないことが逆に怖い。空中庭園から落ちたという大事故について、一切触れても来ないので確信を持って意図的だと判断できる。
毒蛇がいると確信している藪に手を突っ込む勇気はない。
メイドが運んできたサモワールは東洋趣味の白磁と藍色の花柄が美しいもので、そろいのティーポットからは花の香りがした。
(うわぁ)
花の香りだ。
いつぞや、薔薇の下の秘密のお茶会で、勧められた物と同じ香り。
リュファスがしかめっ面で拒絶し、私もやんわりと口にするのをお断りしたそれ。クタール領の名物だったりするんだろうか。芳香剤をそのまま注いでいるかのごとく強い香りがするので、とてもではないが飲む気がしない。
ユーグを伺うが、特に気にした様子もなく飲んでいる。
クタール夫人も同様だ。
あまりにも貴族的な意味で面の皮の厚い二人なので、表情から味を伺うことはできないが、匂いがダメなだけで味はおいしかったりするんだろうか。
(主催者が手ずから淹れたお茶を飲まない選択肢はないかぁ)
南無三、最初から逃げ場はない。
意を決して息を止め、乙女ちっくピンクな液体を一口含む。
「……!!!」
その瞬間口の中に広がった地獄をなんと呼ぼう。
最初に鼻孔を突き抜けたのは芳香剤の原液のようなわざとらしく甘ったるい香りで、次に舌に感じたのはえぐ味と苦み。ニラ科の雑草を口に入れたような辛さと青臭さ、それらが最初の甘い香りと混ざって口中を蹂躙する、毒を盛られたとしか思えない不協和音だった。
かろうじて吹き出すことはなかったけれど、それも限界だった。
とっさにナプキンをつかんだせいで銀食器がぶつかって盛大な音を立て、向かい側の二人が目を丸くするのが見えた。
「お嬢様!」
「ジゼル嬢!!」
ユーグが席から立ち上がり、アンが珍しく慌てた様子で駆け寄ってきたけれど、耐えきれず口の中のピンクの液体をナプキンに吐き出してしまう。まるでさっきまでの青臭さは何だったのかというほど、甘い香りだけがする液体が真っ白なナプキンにしみこんでいく。
毒でも盛られたのかと思ったが、舌や口内に違和感はない。まるで口の中に入れている間だけ発動する呪いのようだ。そんな呪いが存在するんだろうか。
「ジゼル嬢、大丈夫か?やはり体調がまだ…」
ユーグが気遣わしげにのぞき込んでくるが、さすがにリバースしたナプキンを握りしめた状態で攻略対象男子の前に立ちたくないのが乙女心だ。
「大丈夫です、ユーグ様。申し訳ありません、クタール夫人、せっかく淹れてくださったのに」
「ええ、気にしないで頂戴」
にっこりと、テーブルの向かい側でクタール夫人が笑う。
笑う。
まるで、目の前で起こった無礼など気にしないように。あるいは。
「…母上?」
ユーグがいぶかしげに顔を上げる。
あるいは、それが起こることを知っていたような、笑顔。少なくともこちらへ向けられた視線は、病み上がりの親友の娘に対するそれではないし、招待客がお茶を吐き出すなんて異常事態に気遣うそぶりどころか立ち上がる気配も見せない。
強いて言うならとても、とても満足げな。とろけるような笑みを浮かべていた。
「イリスもね、このお茶を飲むことができなかったわ。なんだったかしら、南の方で採れる草の味がすると言っていたわね。そもそも、匂いがひどくて飲めた物ではないって言っていたわ。懐かしいこと」
「何を、」
花畑の真ん中で春を語るような、少女の笑みを浮かべる貴婦人に、震える唇からかろうじて問うことができたのはため息のような一言だけだった。薄桃色のお茶で喉を潤しながら、クタール夫人は続ける。
「ユキアサガオの茶を飲むのは初めて?花を乾燥させて、お茶の香り付けに使うのよ。花の持つ成分が魔力を持つ人の感覚を狂わせると言われているの。本人の持つ魔力の強さによって感じる香りや味が違うから、お客様にお出しするときは気を遣うわ。…このくらいの分量なら、お茶に混ぜても私は平気だけれど」
「!!」
悪夢のようなお茶の余韻で頭がうまく働かない。だが、自分が地雷を踏み抜いてしまったことはわかった。よどんだ水底のような瞳をしたクタール夫人も、物言いたげな顔で私を見下ろすユーグも。
魔力を測定するための機械のようなものはなくとも、こんな原始的な方法で魔力の強さを推し量ることができるのか。あの薔薇の下のお茶会でこのお茶が出されたのは、遠くから目と耳だけで私の魔力を確認するためだったと悟る。一般的な貴族令嬢であれば、主催者に供されたお茶を一口も飲まないなんて無礼はしないはずだ。
リュファスが匂いがきつすぎて飲めないと言ったお茶。同じく、匂いが強すぎると答えてしまった私。魔力に応じて感じる匂いがきつくなるのなら、アンは気づくことができなかったのだろう。ユーグが平然と飲めていたのはうなずける。
「コップ一杯を凍らせるのがやっと、だったかしら。かわいらしい嘘だこと。恥ずかしがり屋さんなのね、ジゼルは。そういうところは、小さい頃のイリスにそっくりだわ」
ゆっくりと、赤い唇に薄紅の液体が流れ込んでいく。
悪夢のような光景を、ただ指先を震わせて見つめることしかできない。
(何か、何か言わなくちゃ)
「睡蓮池は冷たかったでしょう?ジゼル」
「!!」
唇を三日月の形にして、貴婦人は上品に微笑んだ。
「冬とはいえ、その年で池を底まで凍らせるなんて、いつかは聖女様にも届くかもしれないわ。あの晩貴方を見て確信したのよ。貴方は私の愛したイリスが、私に遺してくれた贈り物だと」
見られていた。よりによって、一番見られてはまずい人に。
次の台詞は『ユーグのお嫁さんになって』だろうか。だが、視界の隅で小さく震えているユーグの肩が見えてしまう。針を飲み込む覚悟で視線をあげると、母親を見上げるユーグの目に光がない。
(だめ、これ以上は絶対ダメ。これ以上母親に否定されたら、今度こそユーグは)
だがしかし元凶は私だ。保身のためについた嘘が剥がされた以上、私は責を負うべきなのだろう。だが、お互いの信用がマイナスから始まる婚約なんてどう考えても死亡ルートへの花道しか見えない。
(こんなの私もユーグも絶対幸せになれない。不幸しか生まない)
なんとかしてクタール夫人の口を塞ごうと無意味に足を踏み出したところで、体がこわばっていたせいで足がもつれてしまう。今度こそ、私に手を差し伸べてくれる人は誰もいなかった。自業自得の後ろめたさが、タイルの冷気ごと膝からせり上がってくる。
「ねぇ、ジゼル」
彼女以外は誰も着席していないテーブルで、クタール夫人は目を細めて笑った。
「貴方、リュファスのお嫁さんにならない?」
「……は、い?」
言われた言葉の意味がわからなすぎて、足が痛いとか床が冷たいとか一切が吹っ飛んでしまった。
お似合いだと思うのよ、聞き間違いでないことを念押しするような笑顔が背骨を締め上げるようだった。